少年よ、ある種の事がらは死ぬことより恐ろしいいいなー、荒木のセリフ、いいっ! これぞ荒木節だよ。 ウォーム、バルバルバルバルバルバル
荒木飛呂彦氏の名作漫画『バオー来訪者』の文庫版
「怖そうな漫画読んでますね。それ、どんなホラーなの?」
いや違う。
表紙でよく間違われるんだけど、これはホラーじゃないんだ。
あえてむりやりジャンル分けをするならヒーローものになる。健全な勧善懲悪ヒーローじゃなくて、アメコミとかにある等身大ダークヒーローって感じでね。敵と同時に自分の宿命とも戦うヒーローっているじゃん、あんな感じさ。
まあここに座れ。
オジさんがよーく講義してやるから。
![]() | バオー来訪者 (集英社文庫 コミック版)価格:¥ 670(税込)発売日:2000-06 |
『バオー来訪者
物語はローカル線の車内から始まる。
ローカル線といっても田舎を走るのどかな単線電車ではない。旧日本軍の細菌戦部隊に由来したアメリカ軍の軍事開発のための組織「ドレス」の専用車両なのだ。だから車内には実験用動物や機材などが並んで、さながらSF映画の実験室のよう。
予知能力のために組織に研究されそうな少女・スミレが脱走を企てるのだけれど、混乱のどさくさで水槽の中に眠る生物兵器バオーの被検体(橋沢育朗《はしざわいくろう》)が目覚めてしまう。このシーンで研究者「霞の目博士」のセリフがすごい。
「バオー」を目覚めさせることは核爆発させること同じだッ!のちに明かされるバオーの能力と育朗の体に迫ったタイムリミットを考えると、このことばはけして誇張ではない。実際すごいのだからバオーは。
さらに霞の目博士は言う。
やれッ! ヤツを逃がしてはらなん! 今なら殺せる!では「今」を逃したらどうなるのか?
物語はバオーの少年・育朗と予知能力の少女・スミレの逃避行に移る。
そう、二人は逃げ出したんだよ。
いけないッ!バオーの正体は寄生虫である。
僕に殺意を向けるのは
僕はあなたを殺すかもしれないッ!
宿主の生命が脅かされると寄生虫バオーは分泌物によって宿主の肉体と意識を乗っ取り、恐るべき生物兵器に変えてしまう。このあいだ、宿主・橋沢育朗の意識はない。
育朗にとってこれは怖い。
自分の体のなかにいる何者かに意識を乗っ取られ、次に気が付いたら目の前に死体が転がっているのだから。
最初は相手の殺意の「におい」に反応して虐殺するだけだったバオーなのだけれど、次々にやってくる暗殺者や追っ手と戦ううちにさまざまな「におい」を学習していく。追っ手の殺意の「におい」。殺された生物の悲しみの「におい」。スミレの生命危険の「におい」。
バオーは次第に悲しみの「におい」を作る原因、つまり加害者を見分けてそちらに敵意を向けるようになる。
劇中では犬のバオーも出てくるのだけれど、そっちのほうは見境なく暴れ回るだけでそれほど知性を持っているようには見えなかった。つまり「学習する」というのは人間のバオーだけが持つ特殊能力なのだろう。
化物の「力」よ 出現してみろッ! 出てみろッ!物語の大詰め、スミレが「ドレス」に拉致されるにいたって、
おまえは人を殺すだけかッ!
育朗とバオーが下した決断はすべての根源である「ドレス」の「におい」を止めることだった。
そして育朗は、みずからの意志でバオー化する。
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秘密機関”ドレス”が創り出した最強の生物兵器・バオー。橋沢育朗《はしざわいくろう》に寄生し、超能力少女・スミレと共にドレスから脱走したバオーに、暗殺者たちが次々と襲いかかる。その時、育朗の中に眠る無敵の生命・バオーが覚醒する!! 荒木飛呂彦が描く伝説のSFバイオレンス傑作が、今ここに文庫版で復活するどう? 面白そうでしょ?
これは絶対、読まないとソンするよ。
ウォーム、バルバルバルバルバルバル
★週刊少年ジャンプ1984年45号から1985年11号まで連載されたものです。(この作品はジャンプ・コミックスとして1985年9月、11月に、集英社より刊行された。)
そうですね。
ズギューンとかドドドドドといった荒木音はまだそれほどでもないんですけれど、台詞回しがもう荒木ですね。「ようこそ来訪者」とかとか。
文庫版のあとがきで荒木自身が、このバオーを書いたことで二年後の作品であるジョジョに人間賛歌というテーマが受け継がれた、みたいなことも書いてありました。いいですね。人間賛歌。
人間賛歌は勇気の賛歌!
荒木作品はその異彩ゆえに理解されるまで
時間がかかりました。
ぼくはゴージャスアイリンちゃん!
やっぱり 残る作品はセリフ回しがすばらしい。
読者がセリフを反芻するからまた記憶強化されて受け継がれる これですね。
たしか10週打ち切りを計算に入れて書いたんでしたっけか? そうだったんですか。
今回読み返してみて一・二話はまあいいんだけど、三話四話あたりで「ん? ちょっと急いでる?」と思うことがありました。バオーの「学習」とかね。もうちょっと長くしてもいいんじゃないかい? と思っていたのです。
そうか。最初から十週の企画だったからなのですね。納得。
ゴージャスアイリン、いいですよね。「残酷ですわよ」はなかなか言えない。さすが荒木。そこにシビれる憧れ(ry
→『ゴージャス★アイリン』
ジョジョになるとそれが極端になっています。スタンド戦になったころから、打ち切りが見えてきたかなという気がした。
初見ですか。
バオーはいいですよ。
それでも生きようとする生命体への憧憬というか畏れというか、それこそがまさに人間賛歌なのかもしれませんけれども、そんなものを感じる作品です。
ジョジョは三部までは辛うじてまとまりを感じるのですが、四部以降は惰性に思えました。ひとつひとつのバトルは「さすが荒木」といえる頭脳戦や特殊戦闘なんですけれどもね。ストーリー全体として見ると三部で終わっているだろうと思うのです。