昨日の菅総理と小沢会談で分かった事は、この政権は国民生活の議論より、取引材料を探して切り抜ける事を優先し、そのくせ取引する政治技術を持ち合わせていないという事である。予算の議論に力を入れないから、国民に政権を後押しする気は生まれない。予算が成立しても国民生活に直結するという実感が湧かない。国民は低レベルの言い争いをただ呆れて眺めていた。本来ならば来年度予算の作成に全力を挙げ、それが国民生活にどれほどプラスになるかをアピールすべき時である。ところが小沢の首を差し出すような話を始めた。民主党執行部は小沢氏の国会招致を通常国会の前に実現すると言い出したのである。執行部はそれをしないと通常国会で予算が通らないと言う。しかしこれは奇妙な話である。予算を通すために小沢氏の国会招致を実現するなら、予算成立のタイミングで取引きしないと取引にならない。今からそれをやれば犬死である。菅総理は支持率が1%になっても頑張れと言われたとか、これまでは仮免許の政権運営と語ったり、取引のために首を差し出したりする政権が長続きするわけがない。
日本国債への投資について、潜在的なリスクが高まっている。これは年金基金や銀行などの国債運用に変化が出始めていることや、2015年までに国内の民間貯蓄が不足し財政赤字を埋められなくなる。日本の家計貯蓄率はリーマン・ショック以降、一層下落を続け、ついに消費大国の米国を下回る水準になった(2009年ベースで日本2.3%・米国4.3%)。こうなると外国から借りるという道。この場合、利回りを高く設定する必要があるが、その時点で日本国債はアウトだ。もう一つは、誰も日本国債を買わないという道。国債を引き受ける人がいなくなれば、日本の財政は立ち行かなくなる。こうした予測は特別に難しいものではなく、原理原則から考えれば当たりまえだ。それにも関わらず、この事態を理解していないことが大きな問題だと強く感じる。