kabuka7

思い出

知恵と経営戦略

2009年10月27日 | Weblog
いま高付加商品でも安くなければ売れないような世の中になってきた。売れ筋の商品の単価が下がり始めると、なかなか元に戻らない。世界的デフレや新興国の中間層の台頭などを背景に商品単価の戻りは数量の戻りより鈍い。日本のメーカーの高機能化、高付加価値化の進めてきたモデルのやり方は通用しなくなったきた。このような経営環境下ではじっと耐えて、景気回復を待っていたのでは生き残れない。7割の経済でも勝ち残る知恵と経営戦略が必要である。
首相の鳩山氏が所信演説の中や、やたらに友愛と言葉を使うが友愛という言葉は、戦乱に明け暮れたヨーロッパの統合を提唱し、EUの父と呼ばれたクーデンホフ・カレルギー伯(オーストリア・ハンガリー帝国の貴族、ハインリッヒ・クーデンホフ・カレルギー伯と青山光子の二男)が、著書「自由と人生」のなかで、唱えた「友愛革命」に由来している。鳩山由紀夫の祖父・鳩山一郎元首相が戦後、公職追放中、軽井沢に隠棲していたとき、これを読み、感銘を受け、翻訳している。
友愛とかの言葉からキリスト教の教えを感じる。やはり祖父はクリスチャンであった。連れあいもクリスチャンで同じ臭いがする。いつもきれいごとの理想論をばかり言ってけんかをする。
思想に流れている考えは博愛主義、現実の社会は理想道理にはいかない。汚いものは見ないで美しいものを見るようにする。音楽家も同じでお嬢さん育ちが多く、現実離れがする。日本の経済は当分立ち直ることはできない。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119769

円高不況

2009年10月24日 | Weblog
アメリカの経済が失速することで弱いドルが起こり、日本は円高不況に見舞われている。ドル安・円高の進行によってどの程度のマイナスの影響を受けるのか。アメリカの実質経済成長率が08年の前年比プラス1.4%から09年に前年比マイナス0.7%へスローダウンしても日本経済の落ち込みの影響は、実質経済成長率をわずかの0.06%下押しする程度である。ところが1ドル105円から90円へと変化した場合には、0.64%も押し下げられてしまう。日本経済はアメリカの経済失速のショックよりも、弱いドルによる円高で自動車産業などの輸出産業の業績が落ちることで起こる円高不況が怖い。

思い込み

2009年10月21日 | Weblog
株価が市場でどのように決まるかは、需要と供給が交わったところで決まる。需要側の買い手も、供給側の売り手も、お互いに納得して、市場価格で取引をおこなうことは本当でしょうか?買い手が市場価格で買おうと思うのは、その価格が将来価格が上昇すると思うから買うので、いまの価格が割安だと考えている。売り手は、市場価格が割高で、将来下落すると考えている。買い手と売り手とは、全く正反対な思いで取引を行っている。この買い手と売り手のギャップがなければ、売買は成立しない。しかも市場価格について割安、割高であると考えるのは取引する人たちの勝手な思い込みであることがほとんで、市場価格は不安定なものである。もし割安と思って買ってもその後に相場が下落してしまえば、損切りやあきらめる。つまり、市場価格というものは、トレーダーの片思いで絶えず変動している。
自動車大手のホンダが、国内生産台数はピーク時に比べて約3割減の90万台となる見通しで、大幅な回復は難しいとの判断から、主な取引先部品メーカーに対して、人件費など固定費の約3割を削減するよう要請している。景気悪化や円高を背景として、生産拠点を海外に移管する気運が高まっており、国内での雇用が少なくなり、ますます働く場所や年収が少なくなる。民主党も子供手当を考える前に円安にする事と、国内の製造業の工場を増やし、雇用を増やす方法を考えた方がいいよ。

美人投票

2009年10月18日 | Weblog
株式市場の中では一人ひとりのトレーダーの存在は、小さいものであり、一人で市場を動かすことはできない。いくら自分が相場が上昇すると思っても、他の大勢の人々が反対に考えれば、多勢には勝ち目がない。そこで他人がどう考えているかを考えること、つまり、一番の多くの参加者が考えることを予測することを美人投票と呼んでいる。自分が美人と思う女性に投票するのではなくて、他の多くの人が美人と思う女性に投票しなければならない。よって株式市場を見るとき、市場の出来高が一番大事ことで、ある株が急に出来高が増えて、上がり始めたときに買うことが効率がよい投資方法である。

格差

2009年10月16日 | Weblog
吉祥寺は世間では派遣切り、リストラとか言われているがこの街では関係ないようだ。下町の方に住んで10年にたつがこの2年の寂れようには目をおうばかりだ。この街の周辺に住むにはそれなりの年収がないと住めない。それが街の活気を表している。自分も知らず知らずに気持ちが閉塞感になっていた。まずはお金を稼げなければ気持ちが落ち込んだ毎日になるし、下を見ないでたえず上を目指して行かないとだめになる。貧すれば貪するするの言う言葉がある。前は何処に住もうが格差を感じたことが、ほとんど無かったが今ほど肌に感じることはない。
23歳のときリックサックを背負って蟹族をしながら、青森や北海道の根室の街に降りたとき、日本にもこれほど寂れた街があったときの驚き、地図の上では大きく名前が掲載されていても根室の街は夏でも寒く、閑散とした漁師町だった。公共事業が減らされると産業のない地方はますますと寂れて行く。いまはデフレとなり、物の値段が下がり、資産を持っている人たちとってはこれほどよい世の中はない。中央線でも吉祥寺、高円寺、新宿は人々が集まり、不景気が何処であるかの繁盛ぶり、いま痛手をうけているのは阿佐ヶ谷や上野、秋場原などの個人商店が集まる年収が低い人たちの街だ。消費がおちればこの人たちを直げきし、格差を広げる。
民主党が子供手当てとか福祉に重点の政策をとっている。これはいいことだが、間違える公共事業のばらまきと替わらなくなる危険性がある。これは薬と同じで一時的にすることで、それにたよって甘えてしまっては国も滅びる。昨日の日経新聞の夕刊にパソコン出荷台数が掲載していたが、日本のメーカーでは東芝が5位に名前があるだけで日本電気、富士通の名前すらない。日本の製造業の衰退が数字に表れている。

現実2

2009年10月13日 | Weblog
雇用の受け皿として期待される介護・福祉分野で働く人が増え、8月の就業者数は前年同月比20万人増の291万人と過去最多になった。少子高齢化を背景に、介護現場は人手不足が続いており、職を失った人たちの流入が進んだことは好いことである。しかし現実に若い人の定着率が上がるか疑問でもある。職安に職を探しに行ってたとき、となりいた若者が介護の現場にいて腰を痛めて職を探しに来ていた。妹の子供も看護学校で介護の現場の研修があり。排泄物の処理で食事も出来ない毎日で可愛そうであった。結局、大きな病院に勤めたが身体を壊し辞めてしまった。
若者たちは大學にいくこと、いい会社に入ることがいいことなのに、なぜいとも簡単に、辞めてしまうのでしょうか。学生は、会社を選択するときに、今後この会社は成長するのか、株価が上がって、業績が伸びるかといった基準で判断する。会社の方も面接のさいに学生に適正を見るのではなく、自社の会社が有望であることを懸命にアピールする。まるで株の売買や投資のようで、就職後、様子を見て。伸びそうならしばらくいるが、伸びそうでなければもっとよい企業に転職する。まるでゲームをしているようだ。
株仲間で上野で塾を経営している塾長さんもバブル前なら月60万になって、かなりいい生活できたそうで、いまは奥さんの郵便局長の方が稼ぎが良さそうだ。文書を書いて生活している人の平均発行部数は平均で8000部の売り上げだそうで、一冊1500円として120万にしかならず食べて行くのは大変だ。クラシック音楽の愛好家は1%といわれている。現実に連れ合いも6年前に音楽大学に学生を入れていらい生徒がこず、個人で生徒を取って生活することは難しい時代だ。それより、努力して東大などの一流大学に入り、一流企業にもぐりこんだ方が楽だ。

現実

2009年10月13日 | Weblog
企業は利益を出すには人件費などのコストを切り詰めていくしかない。だが、規模縮小では企業として尻すぼみである。売り上げを伸ばすには競争相手から顧客を奪うしかないので、特売や安売りなどを仕掛ける。ならば目には目をと相手も反撃してくる可能性は高い。旗色が悪くなった方が退却すればまだいい。最悪なのは、どちらも頑張って結局、共倒れすることである。最長3年間の返済猶予などを認め貸し渋り・貸しはがし対策法案で経営者に余裕ができて、海外を含めた新たな販路開拓や新製品開発などに向かえばいい。しかし、借り入れ負担が小さくなった分で採算を度外視したような生存競争を続ける企業があれば逆効果になる。
わが国の経済力は確実に低下し、国際競争力は全くなく、後進国並みでしかないことが指摘される。国の再生の道は国民の真面目さであり、手先の器用さであり、忍耐強さである。世界で最も信頼できる食品加工や最も優秀で信頼性の高い電気製品、高級品は日本人が造りだしている。大量生産、大量消費、使い捨ての世界では、巧みの技術は生かされない。そのよさを守り、高めながら、確実に造り続けることが産業を守り、技術を育てることになる。

コンピューターが発達すると

2009年10月13日 | Weblog
スパーにコンビニエンスストアにしろ、今はコンピューターで商品管理され売れ筋でない商品は排除され、テレビなどで見た商品しか売れず、自分の判断できずに買っている。知的文化の本もベストセラーは売れるが、そうでないものは売れなくなっている。日本の書店は21000軒があり、書籍全体の初版部数は平均8000部といわれいる。これから解るように各店に1冊ずつ配ったとしても、全部の書店には並ばない。書店も知の倉庫ではなく、コンビニエンスストアのようなものになりつつある。検索エンジンで何でも解ると思っていませんか。大きな氷山の一角、水面の上に頭をだしている一部分しかみていない。水面下には次々と情報が生まれてくる。これが検索エンジンの限界と言われているものである。検索エンジンは注目されている情報、流行している情報を選び出し、注目を浴びていない情報や少数意見の情報などは、重要であっても多くの人から見られていないという事実から判断され重要でないと判断する。このように多数派の支配、流行のみの評価になり、こうした危険ができる。私たちは情報の一部分や流行になっている部分のみを見ている。本当に小さな情報の表面しか理解していないことが起こる。

物まね

2009年10月12日 | Weblog
兎も角一度やらしてみましょう。今迄も大企業に国家の資金をつぎ込んだ初めて中小零細企業や個人救済に税金投入歓迎。これだけは言える、バックに政治献金なし。と言うご意見。一時的の資金繰りで助かるかもしれませんが所詮は一時的なカンフル剤にしかなりません。自分も中小企業に勤めていましたから解る。経営者に能力が無いのに企業を延命することしか考えていない。料理店を個人で経営してもその人に味覚と臭覚に色彩感覚が人並みにすぐれていなければ繁盛しない。感覚という物は親から受け継いだ遺伝でどんなに努力しても、超えることの出来ないものである。絵描きでも音楽家でも上手い人はいる。物まねならそれを超えることができず、どこかで聞いた音や、絵になってしまう。商売でも同じで中小企業の経営は人の物まねが多い。

返済猶予制度の原案固まる 

2009年10月12日 | Weblog
返済猶予制度の原案は会見当日の朝刊各紙で報じられた。その内容は猶予期間は最長3年、元本だけでなく金利の一部も猶予といったもので、1年間の時限立法とされるものだが、不況で苦しむ中小企業には福音と思える返済猶予制度も、金融機関や納税者にとっては想定外の負担を強いることになりかねない。2008年から2009年にかけての主要行の不良債権比率は、あおぞら銀行、新生銀行、りそな銀行をはじめとして不良債権が増えている銀行が多くなっているのだ。このような状況において中小企業へのモラトリアムを認めてしまうと、返済できないままに倒産する中小企業が出てきたら、今度は銀行が大きく傷つくこになる。これは焼け石に水にすぎない。むしろ返済猶予をすると負債が減らず、企業の財務体質は改善しにくくなる。最終的に問題を先送りするだけで、どこかにしわよせがくる。亀井担当相は「そんなことはわかっている」とばかりに堂々と答えた。金融機関の経営が苦しくなったら公的資金で救済すればいいという安易な道筋もみえる。