今日も午後から少し歩きに出かけた。東へ車を走らせ、山頂に虎丸城跡があるという、東かがわ市の虎丸山へ向かった。家で地図を見ていたが、その地図を忘れてしまい、記憶を頼りに登山口を探す。
風呂集落のあたりで何度か行き来し、与田川を渡り、ようやく登山口の看板を見つける。
13:26 風呂集落の道路脇の広いスペースに駐車し出発
振り返ると、北向かいの那智山
しばらく歩き、石風呂跡の石碑を通り過ぎる。上から、登山者が3人降りてくる。
水田の横には、イノシシ・サル除けの電流柵
コンクリ道を歩き、小さな表示のある分岐を左に曲がる。
13:36 杖が置かれた登山口に着く
橋を渡り、車が通れそうな道を行く。上の砂防ダム建設用につけられた作業道のようだ。
13:40 右下に砂防ダムを見ながら、
やがて、登山道らしい道になる。
13:42 小さな沢を越え
13:44 「8丁」の丁石
風化した花崗岩(真砂土)の登山道
ムクノキを見上げる 青空が広がる
安山岩の転石(虎丸城の関係だろうか)
13:58 カゴノキがあちこちに見える
ツブラジイだろう
13:57 登山道はいったん平坦となり、向こうに山頂が見えだす
14:07 登山道が三角点方向に分かれる
14:08 虎丸 3等三角点 373.0m
展望が広がる(播磨灘 三本松港沖の瀬戸内海)
14:10 頂上へ向けて歩く いい道が続く
登山道は、再び花崗岩に
最後は、ロープが張られた急登を上がり、
14:15 虎丸山山頂 417.0mに着く
虎丸城の説明看板
戦国時代晩年、土佐の長宗我部氏が讃岐に侵攻した際、十河氏が虎丸城に逃れたという。2度の戦いでも落城しなかったという山城のようだ。周囲が見渡せ、急斜面の山の地形が守りを固めたのだろう。
本宮山と同じように、ここにも休憩小屋がある その後ろにはトイレも
休憩小屋内には、いろいろな案内板や取り外された表示類
鳥居には「速玉大社」の名前がある
南にいい展望が広がる。冬とは思えないあたたかな山頂だ。
湊川の流域 福栄 与田山・・・ 遠くに天井山
鵜の田尾トンネルに続く谷が見える
この後は、一気に登山道を下り、15:02 車に戻った。90分余りのトレッキングだった。
風呂集落のあたりで何度か行き来し、与田川を渡り、ようやく登山口の看板を見つける。
13:26 風呂集落の道路脇の広いスペースに駐車し出発
振り返ると、北向かいの那智山
しばらく歩き、石風呂跡の石碑を通り過ぎる。上から、登山者が3人降りてくる。
水田の横には、イノシシ・サル除けの電流柵
コンクリ道を歩き、小さな表示のある分岐を左に曲がる。
13:36 杖が置かれた登山口に着く
橋を渡り、車が通れそうな道を行く。上の砂防ダム建設用につけられた作業道のようだ。
13:40 右下に砂防ダムを見ながら、
やがて、登山道らしい道になる。
13:42 小さな沢を越え
13:44 「8丁」の丁石
風化した花崗岩(真砂土)の登山道
ムクノキを見上げる 青空が広がる
安山岩の転石(虎丸城の関係だろうか)
13:58 カゴノキがあちこちに見える
ツブラジイだろう
13:57 登山道はいったん平坦となり、向こうに山頂が見えだす
14:07 登山道が三角点方向に分かれる
14:08 虎丸 3等三角点 373.0m
展望が広がる(播磨灘 三本松港沖の瀬戸内海)
14:10 頂上へ向けて歩く いい道が続く
登山道は、再び花崗岩に
最後は、ロープが張られた急登を上がり、
14:15 虎丸山山頂 417.0mに着く
虎丸城の説明看板
戦国時代晩年、土佐の長宗我部氏が讃岐に侵攻した際、十河氏が虎丸城に逃れたという。2度の戦いでも落城しなかったという山城のようだ。周囲が見渡せ、急斜面の山の地形が守りを固めたのだろう。
本宮山と同じように、ここにも休憩小屋がある その後ろにはトイレも
休憩小屋内には、いろいろな案内板や取り外された表示類
鳥居には「速玉大社」の名前がある
南にいい展望が広がる。冬とは思えないあたたかな山頂だ。
湊川の流域 福栄 与田山・・・ 遠くに天井山
鵜の田尾トンネルに続く谷が見える
この後は、一気に登山道を下り、15:02 車に戻った。90分余りのトレッキングだった。
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