仏教の目的=抜苦与楽 ・抜苦 苦しみを抜くこと。・与楽 幸せを与えること。
●仏教は「慈悲」の教えである。「慈」は「苦しみを抜く」働き、「悲」は「幸せを与える」働きをいう。 . . . 本文を読む
親鸞聖人の教えに私見はない=親鸞聖人の教えはお釈迦様の教えのみである
○更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり。(御文=蓮如上人のお手紙) . . . 本文を読む
親鸞聖人の教え=仏教=阿弥陀仏の本願=釈尊の教え=浄土真宗(仏教とは弥陀の本願一つを教えられた釈尊の教えです)難しくて判らないと言う読者の声があり私は力不足で何か良い教材はないか探していました、素晴らしい教材がありましたのでそのままお伝えいたします。少し時間を要しますが興味のある方は我慢してお付き合い願います。あなたの人生ががらりと変わることを祈ります。
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●覚如上人 親鸞聖人の曽孫、願本寺三代目の善知識。
●蓮如上人 親鸞聖人の子孫、願本寺八代目の善知識。聖人の教えを全国に伝えられ、浄土真宗を再興された。「中興」上人ともいわれる . . . 本文を読む
この人間とはどんなものか、の答えを、お釈迦さまは『仏説譬喩経』に、譬えで教えられています。ロシアの文豪トルストイは、その例え話を知り、「まさしくこれは真実の、論じ合う余地のない、すべての人が知っている真理なのだ」と、絶賛しました。 . . . 本文を読む
「浄土真宗」は、約800年前、親鸞聖人が明らかにされた教えです。
浄土真宗とか、親鸞聖人の教えと聞くと、親鸞聖人独自の特別な教えがあるように思われがちですが、そうではありません。 . . . 本文を読む
○教行信証
親鸞聖人の教えの全てが書かれている主著。教・行・信・証・真仏土・化身土巻の六巻から成る。浄土真宗の根本聖典。「御本典」ともいわれる。
52才の時、稲田の草庵にて完成されたが、終生、手元に置かれ修正加筆された。
○愚禿鈔
浄土真宗の教義と信心を、上下二巻に体系化されたもの。『二巻鈔』ともいわれる。
○三帖和讃
和讃とは、「和語讃歌」の略。平仮名まじり(和語)の詩で、弥陀の本願とその教えを褒め讃えられたもの。
次の三つをまとめて、『三帖和讃』といわれる。
『浄土和讃』………阿弥陀仏とその浄土を讃嘆されたもの。
『高僧和讃』………七人の高僧を讃嘆されたもの。
『正像末和讃』……弥陀の本願のみが救われる道であると教えられたもの。
○末灯鈔
お手紙やお言葉を集めたもの。
○一念多念証文
一念(一回の念仏)で救われるのか、多念(多くの念仏)で救われるのか、正しい教えが明らかにされている書。
・他にも、『浄土文類聚鈔』『尊号真像銘文』『唯信鈔文意』など多くの著作を残されている。 . . . 本文を読む
親鸞聖人は約800年前(1173年)、京都にお生まれになる。ご幼名は松若丸。(後に範宴、綽空、善信、親鸞、と名前を変えておられるが、分かりやすく「親鸞」のお名前で統一されている)
お父様は藤原有範、お母様は吉光御前といわれた。
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○真如より来現した人という意味
・真如 何時でも何処でも変わらない大宇宙の真理。「真理」といっても、科学的真理、数学的真理ではなく、「すべての人が幸福になれる真理」を、仏教では「真如」といわれる。 . . . 本文を読む
●「さとり」は、漢字では「覚り」「悟り」などと書く。低いさとりから高いさとりまで、五十二の位がある。(『華厳経』などに説かれている)
(1) 十信………10段目(2) 十住………20段目(3) 十行………30段目(4) 十回向……40段目(5) 十地………50段目 . . . 本文を読む
お釈迦様は印度の人 父─浄飯王、母─マーヤー夫人の子で成仏前の名前を 悉達多太子と言うカピラ城の生まれで、四月八日 ルンビニー園と言う花園で出生された。「お釈迦さま」「釈迦」「釈迦牟尼世尊」ともいわれる。 . . . 本文を読む
親鸞聖人出家の動機
盛を誇った平家一門も、清盛入道が悶死、狼狽ひとかたでない頃であった。
若くして両親に死別するということは、人生の大きな不幸である。そして世間は、まるで修羅道のような有り様。見るもの聞くものことごとく悲惨の極みで、松若丸(親鸞聖人の幼名)は人生内外の悲哀に直面されたのであった。 . . . 本文を読む
親鸞聖人の教え=仏教=阿弥陀仏の本願=釈尊の教え=浄土真宗(仏教とは弥陀の本願一つを教えられた釈尊の教えです)難しくて判らないと言う読者の声があり私は力不足で何か良い教材はないか探していました、素晴らしい教材がありましたのでそのままお伝えいたします。少し時間を要しますが興味のある方は我慢してお付き合い願います。
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今日、姉と仏教讃嘆をしていました、姉は浄土宗の家に嫁に行きましたので(南無阿弥陀仏)と毎日、唱えることによって救われると信じて毎日『南無阿弥陀仏』『南無阿弥陀仏』と称えているから私は救われると申します。世間ではそのように教えられていますが法然上人も親鸞聖人の三大浄論で信行両座の浄論で信の座にお入りになっており、念仏は信心を戴いたお礼の念仏である(他力の念仏) . . . 本文を読む