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『独去独来』『全ての人は秋の木枯らしの吹く寂しい荒野を一人で旅する旅人である』(お釈迦様)

仏教を判り易く知る資料(1)

2023年01月05日 | 仏教・親鸞聖人

  仏教=親鸞聖人

無常に驚かれ、9歳で仏門に入られた親鸞聖人は、29歳までの20年間、法華経の修行に全身全霊打ち込まれる。

比叡山天台宗は、約1200年前に、伝教が開いた。インドの霊鷲山、中国の天台山と並び、法華経の三大道場の一つに数えられる。

比叡山には、千日回峯行という難行がある。真夜中の2時に起き、山上山下の行者道を30キロ歩くのだ。この間、堂塔伽藍や山王七社・霊石霊水など、300余ヵ所で所定の修行をする。もちろん、雨が降ろうが、風が吹こうが、雪が積もってでもやめられない。病気になっても、這い上がって走らねばならぬ。

しかも山道はとても細く、ボーッとしていると、たちまち谷底へ転落してしまう。雪が積もって、道が見えなくなったらどうなるのだろう。足を踏み外し、滑り落ちて、雪の中に埋まることもあったであろう。砂利道ゆえに、石につまずいて、ケガをするかもしれない。行を達成したある僧は、「途中で足の小指が炎症のため腫れ上がり、痛くて走れなくなった。短刀で小指を切り、再び歩き出した」という。

過去、どれだけの行者がこの道を通り、後生の一大事の解決を目指したのだろうか。そして涙を流したであろう。法華経の難行に身を沈められた親鸞聖人のご苦労が、身に染みるではないか。

その30キロを、始めの6年間は毎年100日、後の2年は200日、連続して修行せねばならない。とりわけ801日目から200日は、「大回り」をする。山を降りて、京都の修学院から一乗寺、平安神宮、祇園と一日84キロを、17、8時間で回る生死関頭の荒行である。

千日の間に歩く距離は、約4万キロ。地球一周分に相当する。

また、700日目には、天台宗で〝生き葬式〟と言われる「堂入」がある。9日間、堂に籠り、断食・断水・不眠・不臥のまま、10万回真言を唱えるのである。唱えるうちに、口の粘膜のため、口臭を放つようになる。それでも水は飲めない。空腹にも耐えねばならぬ。自分の言葉以外は静寂な世界で、横にもなれず、まして眠ってもいけない極度の疲労から、感覚が異常に磨ぎすまされてくる。香炉に線香の灰が落ちる時、ドサッという音が聞こえるそうだ。九日終了した時には、両脇を他の僧侶に抱えられ、憔悴しきって堂から出てくる。そのまま病院へ担ぎこまれて、危篤に陥っても不思議ではない。

しかも、満行の前に、もし途中で挫折すれば、持参の短刀で自害するのが山の掟になっている。死を覚悟した白装束で「死出紐」を身につけ、草蛙を履く。「もう一度、始めからやり直します」とは言えない。徳川時代には、多くの修行僧が、自らの命を絶ったと言われる。

開山以来、完遂した者はわずか300人にも満たず、幕末から今日までは10人程度を数えるのみ。文字通り、命懸けの修行である。しかもなお、仏覚には程遠い初歩の行なのである。

昭和62年7月、史上3人目の二千日回峯行(千日を二回)を満行した、酒井雄哉氏が、「二千日歩いても、身の汚れはなくならん。終生、行をして、落としていかねば。今度は、中国の五台山を歩きたい」と語っている。〝さとり〟とは、雲泥の差がある証言といえよう。

20年に及び、法華経の難行に打ち込まれた親鸞聖人は、叡山の麒麟児と称賛を浴びられたが、一大事解決の糸口さえつかめずに苦しまれた。体は修行に邁進されても、心は悪の造り通しで、未だ真っ暗がりだと悲泣なされたのだった。

「自力聖道の菩提心
 こころもことばもおよばれず
 常没流転の凡愚は
 いかでか発起せしむべき」

「釈迦の教法ましませど
 修すべき有情のなきゆえに
 さとりうるもの未法に
 一人もあらじとときたまう」

『正像末和讃』に仰有ったように、自分の力で修行して、後生の解決をなさんという、法華経などの聖道門・自力の仏教では、決して救われない。それを親鸞聖人が身を挺してさとられ、私たちに明らかに教えてゆかれたのである。

(続く)


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