昨日、六本木のオリベホールで行われたヤマハのピアノプレミアムショーに行きました。
そこで、木曽真奈美さんというピアニストに初めてお目にかかったのですが、
お姫様のような気品あふれる美しい容姿で、立ち振る舞いや微笑み方が優雅~
こういう方は、育った家庭がお金持ちで、両親共に音楽家だったりして、
きっと小さい時から英才教育を受け、ピアノだけ弾いて大きくなったのよね~とか思っていたら、
「わたくしは一般家庭で育ち、はじめに家にあったのはオルガンでした。」とおっしゃっていました。
その後、真奈美さんが小学校4年生の時にグランドピアノが家にやって来て、
ピアノの練習へのモチベーションが上がったと話していました。
素晴らしいのは、お母様の教育に対する考え方。
音楽の道へ進ませたいとは考えていなかったけれども、
子どものうちに豊かな感性を育てるために環境を整えたとのこと。
「バッタは本当は高く跳ぶ能力を持っているのに、狭い場所に閉じ込めておくと、
その後、広い場所に移しても、跳ぼうとしなくなる。」
この話は、教育学の講義でも聞いたことがあります。
全くその通りで、教育にも臨界期というものがあり、感性教育は14歳までとのことです。
つまり、義務教育期間中に感性教育は行われるべきもので、
まさに感性を育む音楽教師の果たす役割の責任は大きいと感じました。
生い立ちのトーク後は、小学5年生のピアノレッスン。
ショパンのワルツ 作品64-2
「とても上手に弾いていて、何も申し上げることはありません。」とおっしゃったあと、
この作品を作曲した時のショパンの歴史的背景や心情などに触れ、レッスンされました。
私が驚いたのは、演奏した子が、ショパンがどこの国の作曲家なのか、この曲をどのように表現したいのか、
何一つ答えられなかったこと。それなのに、ピアノは(技能面は)上手に弾けていたこと。
これはもう、音楽教師の責任だと思いました。
小学校音楽科の新学習指導要領で大きく強調されている事項
「思いや意図をもって表現できる児童の育成」
今日のレッスンを拝見して、この目標が明文化された理由がはっきりわかりました。
今までの日本の音楽教育は、教師のいう通りに演奏するのが良しとされてきたのです。
これからの教師は、児童に思いや意図を持たせるために、その楽曲に対するアプローチをいろいろ考えなければなりません。
そのためには教材選択も重要です。
児童の発達段階に合っているか。児童の心情に訴えかける教材か。
そういう意味では、小学生にこのワルツを弾かせるのは早すぎたかも…と感じました。
木曽さんは「こんなに難しい曲を弾いて」とおしゃっていましたが、この曲の難しさは技術面ではなく、
小学生にショパンの失恋の感情や、やるせない気持ちが理解できるかという難しさだと思います。
高校1年の時、ベートーベンの「悲愴」第1楽章冒頭部のc-mollの和音を何度も弾き直しをさせられて、
「あなたには、悲愴感というものが全く感じられない!」とピアノの先生に怒られたのを思い出しました
人としての経験値もあるのでしょうが、あの頃の私はまだ挫折を味わったことがなかったから、
先生の言っている意味がわかりませんでした。
木曽真奈美さんのレッスンは、テクニックに偏らず、音楽の心髄に触れているところが素晴らしかったです!
その曲に対する思いが、彼女の演奏にも表れていました。
ピアノに向かってすぐに弾き始めるのではなく、まず瞑想。
充分に曲をイメージしてから弾き始めていらっしゃいました。
ピアノを弾いている時の表情も、ノクターンはとても優雅でロマンチックな表情。
幻想即興曲は、くるくると変わる曲のモチーフのイメージに合わせて、多彩な表情を見せてくれました。
次のパッセージに移る時のテンポ・ルバートの加減が絶妙で、私はこの曲が一番心に響きました。
ラフマニノフは、この細い身体のどこに、こんなエネルギーがあるのだろうかというほど、情熱的で華麗な演奏でした。
弾き終わった後も、とても余韻を大切にしていらして、すぐに拍手をしてはいけないような緊張感がありました。
こんなに曲に対する愛情や思いが伝わってくるピアニストであるがゆえに、
あの環境(周りから別の雑多な音がしている中)での演奏が申し訳なく、
残念な気持ちでいっぱいになりました。
今度は、ぜひ音響の良い演奏会場で聴きたいです。
木曽真奈美さんは、幼少からバレエを習っていて、家の中では「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」の音楽が流れていたと
彼女のホームページで知りました。
西本智実さんと一緒だ~!!
しかもロシアに精通しており、チャイコフスキー愛用のピアノを弾いたとか…
それならば、ぜひ西本智実さんとチャイコフスキーのピアノコンチェルトで共演してください!!
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