昨晩は山間の道の駅という事もあり、静かでよく眠る事が出来ました。
ウィークデイなので、車中泊は2台のみでした。
今日の天気予報はあまり良くなく曇りベースで雨の予報も出ています。
まだ雨は降っていませんが、いつ降ってきてもおかしくない感じです。
今日は鹿児島を目指します。近くのコンビニで朝ご飯を購入し、移動しながら朝ご飯です。
R218を西方面へ向かい九州自動車道松橋ICより高速に入り鹿児島方面へ南下していきます。
九州自動車道の熊本から鹿児島間は山の中を走る感じです。時々雨も降ってきましたが、降ったり止んだりなので、
走行にも気にならない程度です。えびのJCTを直進し、鹿児島方面へ。
加治木JCTで隼人道路に入り、桜島を目指します。
隼人道路の国分ICで降りてR220で錦江湾を右手に見ながら南下して、やっと桜島を東側から回り込んで到着。
雨は降っていませんが、雲がかかり、桜島は見ることができませんでした。
まずは「道の駅桜島」へ。
こちらでも少し鹿児島のおみやげを少し物色。
時間経って雲が晴れて桜島が見えてくるような可能性も低そうなので、次の目的地へ移動しようと思います。
桜島の姿を見たかったのですが残念!またの機会に!といっても中々ここまで来れませんからね~。
向こう側に見えているのが、鹿児島市内です。
来た道をぐるっと回って鹿児島市内方面へ向かうのは時間ロスになる為、桜島フェリーで移動することに。
桜島フェリーは24時間運航のフェリーで、桜島港と鹿児島港を約15分で結び、昼間の時間帯は15分おきに運行されています。
地元の方の足にもなってるフェリーなんでしょうね。6m以内のキャンピングカーで運転手1人付きの運賃は¥1970
この旅で3度目のフェリー乗船です。
入口に高速道路の料金所みたいなブースがあってそこで料金を払います。
次から次へとフェリーを利用する車がやってきます。
あの船に乗ります。
船自体がちょっと小さいのかな?!思いましたが、そこそこ車両の積載能力もありそうです。
指示された場所に車を停めます。
15分で到着するので、車の中にいても良かったのですが、せっかくなので、甲板へ。
甲板へ出ると、ちょうど次の便が入港してきました。
上手な「車庫入れ」ならぬ「港入れ」(笑)
出港して途中でまたその次の便とすれ違います。
あっちゅうまに鹿児島港へ入港。
鹿児島港から次の目的地は、南九州市の知覧です。
ここにある、「知覧特攻平和会館」へ以前より行ってみたくて、今回やっと行くことが出来ました。
鹿児島から一般道のR225で南九州市方面へ南下。
途中県道23号線へ入り山越えで知覧へ。
やはりウィークデイという事もあり、駐車場は空いており、キャンカーでも問題なく駐車できました。
この「知覧特攻平和会館」は第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、
爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料が展示されています。
凄いと思うのは、陸軍沖縄特攻作戦で亡くなられた1,036名の隊員の遺影が、出撃戦死した月日の順に掲示されている事。
そして、家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などが展示されている事。
ただし、館内は写真撮影禁止で、撮影できたのは、昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、
水深約35メートルのところに海没していた海軍零式艦上戦闘機です。
この海軍零式艦上戦闘機は知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものです。
こちらの機体は海軍の零戦です。
でも、当時の様子が伝わってくるような気がします。
機体は35年間海中にあり、無残な姿ですが、往時をしのぶ姿をとどめています。
機体は旧海軍の零式艦上戦闘機52丙型で、20ミリ機銃2門、13ミリ機銃3挺を装備しています。
撮影はできませんでしたが、中央展示室内には陸軍一式戦闘機「隼」(キ43-Ⅲ甲)が展示されてます。
この機体は平成19年5月に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影のために実寸大で精巧に制作されたものでした。
「隼」は特攻機として166機が使われ,その内120機が知覧基地から出撃したそうです。
館内にはもう1機 陸軍四式戦闘機「疾風」(キー84甲)が展示されています。
沖縄戦では特攻機にも使用され、宮崎県都城東・西両基地を中心に出撃し、118機が未帰還となっているそうです。
うち知覧基地から4機出撃し2機未帰還となっているそうです。
この会館で一番胸にぐさっと来たのはやはり、若き特攻隊員達が残した家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などです。
かなりの数があり、全部読むのには3、4日掛かってしまうのでは?!という感じです。
かなり時間をかけて読まさせていただきました。
「人生の総決算 何も謂う事なし」なんて20歳そこそこの青年が明日出撃という時に残せますかね。
「捨身殉国斃而後不已 (みをすてて くににじゅんじ たおれてのち やまず) 」
命を捨てて,国を護る。そうしてなおまた,倒れたのちも,その心は変わらない。
今の若い世代の人たちに是非見ていただきたい。
かなりの時間を費やしてしまい、この後実は「知覧武家屋敷庭園」を見学するつもりでしたが、
日が暮れてしまい、見学を断念。お昼ご飯も食べずに、見学に集中してしまいました。
明日以降の予定もあり、今日は鹿児島を離れ、宮崎県内に入るべく、移動を開始します。
指宿有料道路の知覧ICから自動車道に入り北上。そのまま九州自動車道に入り、加治木JCTで朝通った隼人道路に入り、
そのまま東九州自動車道のICで高速を降り、R10を宮崎都城方面へ。
そして今晩の車中泊地を「道の駅都城」に決定。
晩ご飯は宮崎に来たら「地鶏」でしょうって事で、お店を検索。都城駅近くのお店を見つけ、そちらへ。
お店の名前は「山王」高級感漂う料亭って感じのお店。
こちらに地鶏があり美味しいとのうわさなので、こちらのお店へ。
道の駅からは少し距離があり、車でないと来れないので、今日はアルコールは飲みません。っいうかほとんどこのキャラバンでは
アルコールは飲んでませんね。まあ、普段からあまり飲まないので、地鶏とジンジャーエールやコーラでもOKなのだ!(笑)
まずは、「地鶏の炭火焼」オーダー!
やっぱこれは食べておかないとね。昼飯も食べてないので、結構お腹すいてる。
鉄の鍬に盛られて出てくるんですよね~。
匂いがたまらない。鶏のエキスが凝縮されてる~。そしてやはり柚子こしょう付き!
プリプリで旨い!やっぱり本場で食べないとだめだね~。熊本ラーメンもそうだった!
これは旨すぎます。
そして、同じ鶏ですが、お店の看板メニューということで、こちらもオーダー「手羽先」です。
これも美味しかった!宮崎は鶏が旨い!
そして、ご飯を頂きたかったので、ガーリックチャーハンを!
お昼ご飯ぬきで良かったぁ~!(笑)
この後、道の駅まで戻り、本日はここで車中泊。
そろそろサブバッテリも危ないのですが、走行中にトラベラー(発電機)を回し充電しながら走行してるので、
何とか大丈夫そうです。明日は少し宮崎を観光したいと思います。
キャラバンも終盤戦。安全運転で明日も楽しみます。
おやすみなさい。
ウィークデイなので、車中泊は2台のみでした。
今日の天気予報はあまり良くなく曇りベースで雨の予報も出ています。
まだ雨は降っていませんが、いつ降ってきてもおかしくない感じです。
今日は鹿児島を目指します。近くのコンビニで朝ご飯を購入し、移動しながら朝ご飯です。
R218を西方面へ向かい九州自動車道松橋ICより高速に入り鹿児島方面へ南下していきます。
九州自動車道の熊本から鹿児島間は山の中を走る感じです。時々雨も降ってきましたが、降ったり止んだりなので、
走行にも気にならない程度です。えびのJCTを直進し、鹿児島方面へ。
加治木JCTで隼人道路に入り、桜島を目指します。
隼人道路の国分ICで降りてR220で錦江湾を右手に見ながら南下して、やっと桜島を東側から回り込んで到着。
雨は降っていませんが、雲がかかり、桜島は見ることができませんでした。
まずは「道の駅桜島」へ。
こちらでも少し鹿児島のおみやげを少し物色。
時間経って雲が晴れて桜島が見えてくるような可能性も低そうなので、次の目的地へ移動しようと思います。
桜島の姿を見たかったのですが残念!またの機会に!といっても中々ここまで来れませんからね~。
向こう側に見えているのが、鹿児島市内です。
来た道をぐるっと回って鹿児島市内方面へ向かうのは時間ロスになる為、桜島フェリーで移動することに。
桜島フェリーは24時間運航のフェリーで、桜島港と鹿児島港を約15分で結び、昼間の時間帯は15分おきに運行されています。
地元の方の足にもなってるフェリーなんでしょうね。6m以内のキャンピングカーで運転手1人付きの運賃は¥1970
この旅で3度目のフェリー乗船です。
入口に高速道路の料金所みたいなブースがあってそこで料金を払います。
次から次へとフェリーを利用する車がやってきます。
あの船に乗ります。
船自体がちょっと小さいのかな?!思いましたが、そこそこ車両の積載能力もありそうです。
指示された場所に車を停めます。
15分で到着するので、車の中にいても良かったのですが、せっかくなので、甲板へ。
甲板へ出ると、ちょうど次の便が入港してきました。
上手な「車庫入れ」ならぬ「港入れ」(笑)
出港して途中でまたその次の便とすれ違います。
あっちゅうまに鹿児島港へ入港。
鹿児島港から次の目的地は、南九州市の知覧です。
ここにある、「知覧特攻平和会館」へ以前より行ってみたくて、今回やっと行くことが出来ました。
鹿児島から一般道のR225で南九州市方面へ南下。
途中県道23号線へ入り山越えで知覧へ。
やはりウィークデイという事もあり、駐車場は空いており、キャンカーでも問題なく駐車できました。
この「知覧特攻平和会館」は第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、
爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料が展示されています。
凄いと思うのは、陸軍沖縄特攻作戦で亡くなられた1,036名の隊員の遺影が、出撃戦死した月日の順に掲示されている事。
そして、家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などが展示されている事。
ただし、館内は写真撮影禁止で、撮影できたのは、昭和20年5月鹿児島県甑島の手打港の沖約500メートル、
水深約35メートルのところに海没していた海軍零式艦上戦闘機です。
この海軍零式艦上戦闘機は知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものです。
こちらの機体は海軍の零戦です。
でも、当時の様子が伝わってくるような気がします。
機体は35年間海中にあり、無残な姿ですが、往時をしのぶ姿をとどめています。
機体は旧海軍の零式艦上戦闘機52丙型で、20ミリ機銃2門、13ミリ機銃3挺を装備しています。
撮影はできませんでしたが、中央展示室内には陸軍一式戦闘機「隼」(キ43-Ⅲ甲)が展示されてます。
この機体は平成19年5月に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影のために実寸大で精巧に制作されたものでした。
「隼」は特攻機として166機が使われ,その内120機が知覧基地から出撃したそうです。
館内にはもう1機 陸軍四式戦闘機「疾風」(キー84甲)が展示されています。
沖縄戦では特攻機にも使用され、宮崎県都城東・西両基地を中心に出撃し、118機が未帰還となっているそうです。
うち知覧基地から4機出撃し2機未帰還となっているそうです。
この会館で一番胸にぐさっと来たのはやはり、若き特攻隊員達が残した家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などです。
かなりの数があり、全部読むのには3、4日掛かってしまうのでは?!という感じです。
かなり時間をかけて読まさせていただきました。
「人生の総決算 何も謂う事なし」なんて20歳そこそこの青年が明日出撃という時に残せますかね。
「捨身殉国斃而後不已 (みをすてて くににじゅんじ たおれてのち やまず) 」
命を捨てて,国を護る。そうしてなおまた,倒れたのちも,その心は変わらない。
今の若い世代の人たちに是非見ていただきたい。
かなりの時間を費やしてしまい、この後実は「知覧武家屋敷庭園」を見学するつもりでしたが、
日が暮れてしまい、見学を断念。お昼ご飯も食べずに、見学に集中してしまいました。
明日以降の予定もあり、今日は鹿児島を離れ、宮崎県内に入るべく、移動を開始します。
指宿有料道路の知覧ICから自動車道に入り北上。そのまま九州自動車道に入り、加治木JCTで朝通った隼人道路に入り、
そのまま東九州自動車道のICで高速を降り、R10を宮崎都城方面へ。
そして今晩の車中泊地を「道の駅都城」に決定。
晩ご飯は宮崎に来たら「地鶏」でしょうって事で、お店を検索。都城駅近くのお店を見つけ、そちらへ。
お店の名前は「山王」高級感漂う料亭って感じのお店。
こちらに地鶏があり美味しいとのうわさなので、こちらのお店へ。
道の駅からは少し距離があり、車でないと来れないので、今日はアルコールは飲みません。っいうかほとんどこのキャラバンでは
アルコールは飲んでませんね。まあ、普段からあまり飲まないので、地鶏とジンジャーエールやコーラでもOKなのだ!(笑)
まずは、「地鶏の炭火焼」オーダー!
やっぱこれは食べておかないとね。昼飯も食べてないので、結構お腹すいてる。
鉄の鍬に盛られて出てくるんですよね~。
匂いがたまらない。鶏のエキスが凝縮されてる~。そしてやはり柚子こしょう付き!
プリプリで旨い!やっぱり本場で食べないとだめだね~。熊本ラーメンもそうだった!
これは旨すぎます。
そして、同じ鶏ですが、お店の看板メニューということで、こちらもオーダー「手羽先」です。
これも美味しかった!宮崎は鶏が旨い!
そして、ご飯を頂きたかったので、ガーリックチャーハンを!
お昼ご飯ぬきで良かったぁ~!(笑)
この後、道の駅まで戻り、本日はここで車中泊。
そろそろサブバッテリも危ないのですが、走行中にトラベラー(発電機)を回し充電しながら走行してるので、
何とか大丈夫そうです。明日は少し宮崎を観光したいと思います。
キャラバンも終盤戦。安全運転で明日も楽しみます。
おやすみなさい。