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文法を考えて弾く

先日鈴木敬さんという先生の和声のセミナーを受講した。作曲が専門の先生でお話しもピアノ奏法より音楽の構成に重点が置かれ普段とは視点が変わるから面白かった。ハ長調でいうとドミソのIの和音がトニック、シレソのVはドミナント、ドファラのIVはサブドミナント。他にも沢山和音があり複雑に組み合わされて曲が成立っているが基本はV→Iの解決する強い進行である。普段弾いてる曲がどこでどうなって納まるのか意識して弾くのが大切である。
先生から演奏が3ランクアップする秘訣も教わった。それは解決の和音をできるだけ丁寧に弾く事。よく練られた楽曲はVからすぐにIに行かず寄り道をいっぱいする。そして最後にやっと丁寧に解決して曲が終わるのである。ウーン、それを理解したら曲がうまくまとめられるんでしょうね~(*^-')ノ
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少しリセット

コレルリの重い宿題を終えて、次はショパンのワルツと復活のハンガリアンなのだがどうもリセットしたい気持ちでいっぱいになり、少しのあいだ平均律17番とモーツァルトのソナタ K284も弾いてみることにした。(どちらもリバイバル、悲しいけど新曲に取り組むパワーはない…)ボァーンとした不気味さを追い求めていたのがくっきり鮮明な清々しさ、さわやかさ、調和美などの世界に入り以前感じていた以上の清涼感を感じる。
声部の弾き分けの大事さが前よりは強く感じるようになった。
やっぱりはっきり指を動かすのは大事よね~。頑張らないとf^_^;
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新しい曲と再び弾きだした曲

以前申込んでいたサロンコンサートの日程が12月に決まった。持ち時間は12分ぐらい。弾く曲は聞いてもらいやすい曲というのを基準に選んだ。(間違っても弾く人に「この曲怖いんです。」と言わせてしまうコ…などは選んではいけない…。
(-_-#))
まずショパンの華麗なる円舞曲 op34ー1、それからリストのハンガリアン狂詩曲6番に決めた。
ショパンのワルツ、華やかで明るくて若々しくて、こういう曲が私は本当は好きなのだ!特にミドルエージになってますます好きになった。(自分に無いものにあこがれる?)
そして去年取り組んだハンガリアン。この曲も元気の源みたいな曲。どうもコレルリ弾いている反動かしらねぇ~。まったく違うタイプの曲が弾きたくなるわん。でもショパンのブリリアントさ、リストの重量感はやっぱりたいへん。(疲れます(‐o-;))そしてコレルリは頭が一番たいへんかも…。
(; ̄_ ̄)=3

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椅子の高さ、いろいろ

姿勢の改造に取り組み出して数日。まずは椅子を目盛2つ下げた。というのはN氏に指摘されたからだ。
「椅子、高過ぎません?」「…!(えっ、今なんと)」「高過ぎるとつんのめるんですよ」私はこの言葉を聞いて高い椅子からずりおちそうになった。なぜならここまで椅子を高くするように言われたのはN氏だったからだ。(え~!こうおっしゃたのは他ならぬ貴方様ではござりませぬか!私はその教えを忠実に守り、時につっかえ棒が必要なくらい前傾しても二階から目薬状態に耐え忍んできましたのに!)で「あの…、以前にみていただいた時先生にこの高さと言われましたので…」
先生はそれに対し肯定も否定もされず「ちょっと高過ぎます」でこの話しは終った。
(日によってかわるんですか…(-_-#)、でもご承認いただいたので今後は少し下げる事にします…)
ちなみに大御所先生は高いめを好まれたが一時期私はすごく椅子を低くしていたことがある。それは手と鍵盤の密着感がとても安心感を与えてくれたからだ。大御所先生はこの点おおらかな方で何もおっしゃらなかった。
ちなみに舞台では私は一回座ってみて直す事にしている。とことんまで合わせるというのはK叔母の教えである。
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ランラン読破

先日ついにランランを読み終えた。フランス語はやはりよく分からずじまいで半分は類推だけど、やはり興味のあることは困難の壁を乗り越えさせてくれたなあ。でも単語は都度引きだったからほとんど覚えていないけど…。
さて感想はランランのスパルタのお父さん、はじめはベトベンの父みたいに寝てるのになぐって叩き起こして練習させる目茶苦茶な人かと思っていたがそういうタイプてはなく子供の才能をイチ早く見抜き、良い教師につける、上京して学ばせる、募金を募って海外のコンクールに出場させる、海外渡航が困難だった中国で是が非でもビザを取るなど無数の困難を打破り息子がピアノに打ち込める環境を作ってくれた人なのだった。ランランはお父さんととても仲がよく今の彼は父親なしではありえなかったというのがよくわかった。
ローマは一日で成らず同様、あのランランも一人では成らずなのだった。
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単純な性格

最近自分の時間がもてるようになり、ようやく滞っていた読書が進みだした。ランランの本である。相変わらず辞書とにらめっこだが、筋が推測しやすいので読みやすい。今はドイツのコンクールにでるため中国をでた所。一気に読んでしまいたいがなんせ分からない単語に阻まれて焦らされる事この上ない。
で本を読んでていいのは自分もピアノを弾きたくなる事である。私は単純な性格ですぐ同調してしまうのだ。もちろんランランの100万分の1も弾けないけど表現力豊かそうな姿勢をみたらなんかピアノを弾くのが楽しげに思えてくるのである。
単純な性格はこういう時いいかも(^^)
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新しい曲

ついつい新しい曲に目移りしてしまった。それはラフマニノフの前奏曲23-6。なんて甘美な曲!コレルリも甘美な変奏はあるが長く弾いてると甘美さも色あせてくるというか、最近は無感動になっていた…。でも別の甘美な曲を弾くと「なんてラフマニノフは甘美なのでしょう!」と思えるからこういう目移りはよいことかもね~。でも左手、音が多くてなかなか弾けない。早く最後までたどり着きたいと思うけどいつになることやら~。でも短いのはいい。(コレルリの長いのに比べたら~)
早く通して弾けるようになりたいが、6月末のコレルリ強化訓練開始までの間に合うかしら…。
(^_^;)
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つい他の曲に…

コレルリの全部暗譜の厚い壁に跳ね返され、つい他の曲の練習を始めた。その曲とは「木枯らし」である。右の音型がどうしても力が抜けきれなかったが、最近少しいい感じである。右はひたすら分散せず4度の移行として弾いている。指の鍵盤への着地点で最適の場所を探す。そのポジションに手を持っていくためのちょっとした手首のひねりの微調整も研究する。最適な手の動きが掴めて楽に弾けるようになった時は嬉しい。この作業は楽しいから努力は必要ではない。一方で暗譜のしんどさ~これは苦痛(-"-;)努力、努力と自分をむち打つものである。従って別の曲の練習を熱心にしてあっという間に練習時間が終わってしまう日々である。
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芸術家はエキセントリック?

先日の演奏会で大御所先生がいかに怖~い先生だったかが話題になった。なんか若かりし頃は怒鳴り声がすごかったらしい。大声が建物の外から聞こえたら「ああ、また先生が怒鳴っている」と思われていたとか。ある時奥さんがお弟子さんのレッスンをみてそのすごい様子に「〇〇さんもあんなに言われて耐えているのだから私も主人に怒鳴られても耐えなくては」と思ったとか。私は幸いにして穏やかになられてからお会いしたのでとてもお優しいと思っていたが、ピアニストのお弟子さんに本気で指導される時はやはり怖かったらしい。
息子さんも「エセントリックな父でした」と言われていたし。
でもそこまで本気で指導できるのは芸術へのこだわりなんでしょうね…。普通の人の私には想像できない世界だなあ…。
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ポーランドで気付いた事

今回久しぶりにポーランドを訪れて思った事をいくつか書いてみる。
まず多分ポーランドに限った事ではないが、西洋の人はゆったりしている。時間の捕らえ方が私とは違う~。時間とはゆったりと流れていくものというのが根底にあるようである。
いわゆるアンダンテが歩く速さだが、私はやっぱり歩く速さはアレグロである…。ピアノ弾く時は切り換えないといけないなあと思う…。
それから暗くなってもなかなか電気をつけない。日が暮れて周りが暗く、暗くと移り変わっていく微妙さを五感で充実感じるのが日常のようだ。何だか夜でもぎらぎらした明るさのなかにいつもいたら、微妙なものへの感性が鈍っていくのかも…。
ショパンの音楽については、マゴーシャさんはピアノを習った事がなく「昔の音楽の作曲家」といった。う~ん私はショパンを弾いていて昔のものと思った事はないけど…。

「日本人は小さな時からピアノを習いはじめ、それが好きな人は習い続けてショパンを知り、その素晴らしい音楽に心をうたれるのですよ。」と私がいうのを不思議そうに聞いていた。

ショパンへお熱なのはむしろ日本人の方で、ポーランドの人からみたら日本人のショパンへの愛が不思議なものかもしれないなあ~。
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