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スポーツ記録箱

スポーツの記録や用語、人物からランキング等を独自視点で分かりやすく解説!スポーツ観戦のための「スポーツ記録箱」登場!

1950年

2012-02-22 09:43:29 | スポーツとその時代

【社会全体】

1950年と言えば、世界的には朝鮮戦争が始まった年である。

第2次世界大戦が終わり、突入した冷戦の代理戦争である。

アメリカが支援する南朝鮮(韓国)に対し、ソ連が支援する北朝鮮が攻め込んできた。
 
朝日新聞など当時の左翼マスコミは韓国が攻め込んだとして大いに批判したが、事実は逆であり北の侵攻を韓国が防いだものだった。


また文化も宗教も全く異なるチベットに中国が侵攻し、周辺諸国への進出、弾圧が始まった。


国内では吉田政権下であったが、池田蔵相の「貧乏人は麦を食え」などの発言が話題を集めた。


また第1回のミス日本が開催され、山本富士子が選ばれた。

                   


【スポーツ界では】

この年、ジャイアンツの藤本英雄が西日本戦で、プロ野球史上初の完全試合を達成。


優勝はセ・リーグが小鶴の活躍でロビンスが優勝、パ・リーグは2リーグ分裂でタイガースから移籍した別当らの活躍でオリオンズが優勝。

日本シリーズではオリオンズが4勝2敗で日本一に輝いた。


当時年3場所だった大相撲では、千代の山、東富士、照国が優勝。

覇権が混とんとしていた時代だった。



1949年

2011-12-30 08:39:15 | スポーツとその時代

●社会全体

この年の最大の話題は、湯川秀樹博士が「中間子論」で日本人初のボーベル賞を受賞したことである。

敗戦後にスポーツで湧き上がりつつある日本が学問の世界でも世界に認められたことで、自信を取り戻すきっかけになった。

 

共産党の仕業と噂された松川事件、三鷹事件が起こった。

共に不可解な電車転覆事故で、共産党に汚名を着せるために右翼が起こしたと言う逆の噂も流れる。


ライブドア事件の昭和版ともいえる光クラブ事件もこの年発生。


政界では民主自由党が総選挙で圧勝。逆に社会党は片山代表が落選する等惨敗。55年体制への移行のきっかけになる。


第3次吉田内閣が発足する。



●スポーツ界では

水泳の古橋が前年に続いて大活躍。世界記録を連発する。


プロ野球ではジャイアンツが独走で優勝。

この年、パ・リーグが発足して2リーグ制に移行する。

パ・リーグの設立は、前年にホークスの別所をジャイアンツが引き抜いたことに端を発したが、詳細は別述とする。


大相撲では「シールズ事件」で、横綱前田山が引退に追い込まれる。

休場中の前田山が、来日したサンフランシスコ・シールズの試合見物に行き、批判を浴び引退した。


現在では考えられない日本人の責任感、道義感があった。



1948年

2011-09-14 16:59:54 | スポーツとその時代

●社会全体

終戦から3年。

復興へ着実に歩みだしたこの時代。

政界では大きな疑獄事件が起こった。

 10月に昭和電工事件の混乱により首相を辞任した芦田均が12月に逮捕された。

時の吉田内閣は、与野党話し合い結果、内閣不信任案を可決、解散が行われた。俗にいう「なれあい解散」である。


 

また東京裁判が結審。

東条英機元首相ら7名が絞首刑に処された。

占領下の勝者による裁判であり、未だにこれを引きずっている左翼の存在を考えると大きな出来事であった。


 

社会では帝銀事件が発生。

指揮を執った平塚八兵衛の名前がクローズアップされだす。

しかしテンペラ画家の平沢は再審請求する等、冤罪を訴えるこえは後年まで続いた。


 


 

●スポーツ界では

敗戦から立ち上がる過程で、スポーツの存在は大きかったが、中でも水泳の古橋広之進の活躍は日本人を勇気付けた。

6月に800mで、8月には400mと1200mで世界新記録をマーク。

フジヤマのトビウオと言われ世界中に名が知れ渡った。


学制改革により中学校が高等学校に改められたこともあり、中等野球大会の呼称も高等学校野球選手権と現在のものに変更。

センバツでは京都一商が、夏の選手権では福岡の小倉が優勝した。

プロ野球では、山本一人(のちの鶴岡一人)の活躍で南海が優勝。

首位打者の本塁打王の二冠に輝いた青田昇の活躍も光った。

 またこの年、初のナイターが開催された。

大相撲では東富士と増位山が優勝を飾った。




1947年

2011-08-13 10:23:15 | スポーツとその時代

●社会全体

終戦から2年目に入り、復興に向けて立ち上がりつつあったこの時代。

日本国憲法の施行、皇室典範の公布といった戦後日本の形が作られた年となった。

 この年は吉田茂が首相としてスタートしたが、初の参議院選挙、そして衆議院選挙を経て、社会党の片山均内閣が成立した。

社会党のお家芸ともいえるイデオロギー抗争による党内混乱で1年持たず退陣する。この後、社会党内閣が出来るのは、社会党を消滅に追い込んだ村山内閣まで、約50年待つことになる。

それにしても戦後の混乱期とは言え、社会党が政権を取ったとは、日本がソ連や中国のような陰湿な国家にならなくて本当に良かった。

この片山内閣成立の年に、今の日本を二流国家に成り下げる最大の功労者ともいえる日教組が設立したのも因縁だろうか。

昭和天皇の関西巡礼、イギリスのエリザベス女王が結婚したのもこの年である。

 

●スポーツ界では

復興の象徴ともいえるプロ野球では、若林の活躍により大阪タイガースが独走で優勝を果たす。個人的には東急フライヤーズの大下弘が活躍。

ヒット曲「赤いリンゴ」の歌詞「青い空」からとった青バットは国民的人気を博した。

年2場所だった大相撲は、羽黒山が2場所とも制するなど全盛期を迎える。のちに日本プロレスの始祖となる力道山や増位山、出羽錦といった個性派が活躍した時代だった。

 

 

 


1998年

2011-03-02 09:28:17 | スポーツとその時代

●社会全体 

国内では自社さ連立政権が橋本龍太郎首相のもと樹立していたが、5月に社民党が閣外協力解消を表明。野党に転じ反自民路線に戻った。 

この年に行われた参議院選挙では自民党が惨敗し橋本首相は退陣した。 

新総裁に名乗りを上げたのは、小渕恵三、梶山静六、そして小泉純一郎の3名。 本命視された小渕氏が圧勝し総理に就任した。  


その他政界では民政党、新党友愛、民主改革連合が民主党と合併。所謂新民主党が誕生。この民主党に自由党を加えたのが、のちに政権党となる民主党である。  


日本版金融ビックバンのスタート、ヤクルト社がデリバティブ取引に多額の損失を出した事が発覚し、経営陣が退陣。


そしてプロレスのアントニオ猪木が引退したのもこの年である。

 

●スポーツ界では 

プロ野球では横浜ベイスターズが38年ぶりの優勝。日本シリーズでもライオンズを4勝2敗で下し日本一に輝いた。


しかしこの年、注目を集めたのはプロ野球ではなく高校野球。

春の選抜を制した横浜高校の松坂大輔は、連覇に向けた夏の大会も好投を見せる。 準々決勝のPL学園戦では延長17回の死闘を演じ、準決勝では8回まで0-5でリードされる苦戦。 

ところがこの日、休養を取っていた松坂がブルペンで投球練習を開始すると明徳義塾に動揺が走り、奇跡の逆転で横浜が決勝に進む。 


決勝ではその松坂がノーヒットノーランを達成すると言う偉業を達成。 この3試合の激闘は野球漫画さながらの劇的さであった。  


大相撲では大関若乃花が春・夏と連覇し横綱に昇進。貴乃花と共に初の兄弟横綱が誕生した。 ことろが、この直後から兄弟絶縁騒動が勃発し、結局この騒動は今に至るまで尾を引いている。  


Jリーグは鹿島と磐田の2強時代が続く。 この年も1stが磐田、2ndは鹿島が制し、チャンピオンシップは鹿島、ナビスコカップは磐田が優勝とまさに2トップの時代だった。  


サッカーでは念願のワールドカップ初出場の日本。 リーグ戦は3連敗に終わったが、この意義は大きかった。 

このワールドカップに直前まで帯同したエースのカズがメンバーから落選したことが社会的な論争に展開した。  


そして長野五輪。 日本は冬季五輪最多の5つの金メダルを獲得。 スピードスケートの清水のロケットスタート。 ジャンプの金メダルは特に忘れ難い。




1973年

2011-01-12 09:16:56 | スポーツとその時代
 

●社会全体


 

この年は世界の構図に変化の見られる事件が発生した。

まず、1月に欧州諸共同体にイギリス、デンマーク、アイルランドが加盟。

これは後のECにつながるものである。

 

続いてベトナムの和平協定が結ばれ、3月にはアメリカが南ベトナムから撤退する。

このベトナム戦争の泥沼はアメリカ世論の一部を反戦に持ってゆく。


 

また8月には金大中事件が発生。KCIAが軍事政権下にあった時代のこと

で、金氏はここから奇跡の復権を遂げる。


 

東ドイツが国連に加盟するのもこの年で、俗に言う東側勢力が拡大する。


 

国内では為替が1ドル308円の固定相場から変動性に変わる。日本が本格的

に先進国の一つと認められる1歩である。


 

足尾銅山、漆生炭鉱など日本を支えた炭鉱が閉山する。


 

性懲りもなく日本赤軍がドバイ日航機をハイジャックしたのもこの年である。


 

●スポーツ界では


 

ボクシングの世界チャンピオン大場政夫が1月に歴史的逆転KO

でチャチャイ・チオノイを下し防衛を果たすが、その23日後の

首都高で事故を起こし死亡するという衝撃の事件が起こった。


 

プロ野球ではパ・リーグで2シーズン制がスタート。

前期はホークス、後期はブレーブスが優勝。

後期でブレーブスに1勝も出来なかったホークスがプレーオフを

制しリーグチャンピオンになった。

野村監督の手腕が注目された出来事だった。


 

ペナントでは優勝目前で球団幹部の「優勝不要発言」により江夏がやる気を喪

失したと言われたタイガースを逆転したジャイアンツが日本シリーズでは9連覇を成し遂げた。

またこの年は日拓ホーム社長による1リーグ構想が判明、ファン

を騒がせた。


 

この年の9月にタイガースの江夏が達成したノーヒットノーラン

は延長戦での

初の快挙であると同時に、自らサヨナラホームランを放つという

おまけつきの伝説の試合があった。

 

 「野球は1人でも出来る」と語ったという説もある。


 

高校野球ではセンバツで横浜高校が、夏の選手権では広島商業が

優勝した。


 

大相撲では輪島が横綱に昇進。

学生相撲出身者として初の快挙で、この年3回の優勝を果たし

た。新しい時代の幕開けであった。



1970年

2010-12-12 08:56:26 | スポーツとその時代

 

 

●社会全体

 3月に大阪で万国博覧会が開催された。

 東京五輪に続く世界規模のイベントの開催により日本は世界のトップ国としての地位を確立する。

 

 同じ3月には、日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件が発生。

 未だ反日勢力が幅を利かせている時代である。

 

 12月にはアメリカ軍の犯罪等の多発などにより沖縄のコザで暴動が発生した。

 沖縄の日本返還は2年後の1972年である。

 

 また作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部で決起を促す演説のあと、恰幅自殺。

 日本中が衝撃につつまれた。

 

 また世界中で人気を博したビートルズが解散したのもこの年である。

 

●スポーツ界では・・・

 球界はジャイアンツが連覇を驀進中。

 この年も日本シリーズでオリオンズを破り6連覇を達成した。

 

 高校野球では選抜では島本講平が活躍し箕島高校が初優勝。

 夏の選手権では東海大相模が初優勝。原貢監督(原辰則の父)は三池高校に続いて2校目の制覇。

 

 大相撲は3月に大鵬が31回目の優勝を果たすが、この年は北の富士が3回、玉の海が2回優勝し、共に横綱に昇進。

 柏鵬時代から北玉時代に移行した時期と言える。

 

 ボクシング界では、名チャンピオンになる大場政夫が世界フライ級タイトルを獲得。

 またのちに2階級制覇をする柴田国明がフェザー級タイトルを獲得した。

 

このころブームとなっていたボーリングは、第1回全日本女子選手権が開催され中山律子が優勝した。


1955年

2010-12-08 06:53:49 | スポーツとその時代

スポーツとその時代⑫ 1955年

 

●社会全体

2009年に民主党が政権交代を成し遂げた時に、マスコミは「55年体制の終焉」と言う表現を使った。

 

55年体制とは、左右両派に分かれていた社会党の統一とそれに刺激を受けた自由党と民主党という保守2党が合併し出来た自由民主党(保守合同)による政界の構図を言う。

これにより、93年に細川政権が出来るまで自由民主党の1党政権が続く事になる。

 

事件としては4月に佐世保のボタ山崩落事故、5月の紫電丸事故、7月の津市での水難事故、9月の森永ヒ素ミルク事件、10月新潟大火と大きな事故が続発した。

 

そのほかソ連が日本の国際連合加盟に拒否権を行使すると言う腹立たしい出来事もあったが、この年辺りから高度経済成長が始まった。

 

 

●スポーツ界では

プロ野球はジャイアンツが黄金時代を迎えている。

ホークスから引き抜いた別所や大友を中心とした安定した投手陣に加え、2冠を獲得した川上が全盛期で打線を牽引した。

日本シリーズではパ・リーグを制したホークスを4勝3敗で破り日本一となる。

 

この年タイガースの藤村富美男が史上初の通算200号本塁打を達成した。

またスワローズの金田正一がシーズン340奪三振を記録した。

そしてスタルヒンが300勝を達成した。

 

大相撲では5月場所で昭和天皇が初めて蔵前国技館で観戦した。

この年は千代の山が初・春と連覇。夏では栃錦が5度目の優勝を果たす。

これ以降、栃若時代に突入してゆく。

一方で、千代の山のライバル的存在だったこともある東富士がプロレスラーに転向する。

 

全米テニスでは加茂・宮城組が日本人初優勝した。

 

 


1946年

2010-12-07 21:23:31 | スポーツとその時代

 

スポーツとその時代⑪

 

●社会全般

1946年と言えば、日本史上最悪とも言える第二次世界大戦敗戦の翌年である。

東京を中心に都市部は焼け野原で、国民は復興に向けて動きだしたばかりと言える。

 

混乱期なので分野別ではなく、月毎に追ってみる。

1月に天皇の詔(人間宣言)、2月に農地解放などと言うと日本史を学んでいるようだ。

 

そして4月には戦後初の総選挙は早くも行われる。

女性は39名当選するなど画期的ではあったが、一方でソ連率いる共産勢力の介入を恐れたGHQ立会いのもとでの選挙であった。

 

同じ4月には「サザエさん」が連載開始。

8月は連続婦女暴行殺害の小平義雄が逮捕される。

「男はつらいよ」で「国のはじまりは大和の国~」の口上の中で「助平の始まりは小平の義雄」と言うのがあるが、これがこの犯人。

 

11月は日本国憲法公布と徐々に国の形が整ってきた中で、12月に和歌山で南海地震が発生。1000人以上の死者を出す大惨事となった。

 

 

●スポーツ界では

2年ぶりに再開されたプロ野球は近畿グレートリング(現福岡ソフトバンクホークス)が優勝。本塁打王となったセネタースの大下弘が人気を博す。

 

大相撲は11月に東京メモリアルホールで1場所のみ開催された。

羽黒山が11戦全勝で優勝したが、この場所「相撲くじ」が発売されたが不評で廃止となった。

 

野球、相撲という日本の2大プロスポーツが再開されたことで、戦後の復興がスタートしたと言える。


1992年

2010-09-01 10:21:48 | スポーツとその時代
スポーツとその時代⑩ 1992年

●社会全般
この年は政界に動きがあった。
佐川急便事件が発覚し、東京佐川急便前社長らが逮捕される。
8月には同事件で、自民党のドン金丸信氏が自民党副総裁を辞任、翌年の逮捕、そして自民党分裂へとつながって行く。
また5月には細川護煕熊本県知事が中心となり日本新党を設立。政界再編の発端となる。

アメリカではビル・クリントンが大統領に就任。戦後世代に突入する。

国家公務員が週休2日となり、日本の週休2日制が本格化するものこの年。

5月には国民的人気漫画「サザエさん」の原作者長谷川町子氏が死去。国民栄誉賞を受賞する。


●スポーツ界では
この年は甲子園にスターが登場した。
星陵高校の松井秀喜である。実際清原や松坂のような好成績を収めたわけではないが、何と言っても明徳義塾戦での5打席連続敬遠は伝説となった。

プロ野球では、野村監督率いるスワローズが14年ぶりにリーグ制覇。日本史シリーズでは稀にみる激闘の末、常勝のライオンズに敗れるものの黄金時代に突入する。
広島カープの北別府が200勝を達成、20世紀最後の200勝投手となる。

大相撲では混戦が続くが、貴花田と曙が台頭。
2回ずつ優勝し、新時代に突入する。

オリンピックは2月にアルベールビル五輪が開かれ、荻原健司らのノルディック複合が団体で金メダルを獲得する。
この五輪以降、冬季五輪は夏季と異なる年に開かれることになる。

夏季のバルセロナ五輪では、13歳の岩崎恭子が200M平泳ぎで金メダルを獲得。一躍国民的ヒロインになった。
柔道の古賀、吉田も金メダルを獲得したが、95キロ超の小川が破れる波乱に柔道界は動揺した。

また女子マラソンの有森、男子の森下が共に銀メダルを獲得。
男子はこれを最後に低迷期に入った。