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スポーツ記録箱

スポーツの記録や用語、人物からランキング等を独自視点で分かりやすく解説!スポーツ観戦のための「スポーツ記録箱」登場!

1984年

2010-08-25 16:30:58 | スポーツとその時代
スポーツとその時代⑨ 1984年

●社会全般
この年は日本中を震撼させる事件が起こった。
江崎グリコの社長が何者かに誘拐される。グリコ森永事件の始まりである。
その後、菓子に青酸カリを入れるなどし食品会社の脅迫が連発し日本中が安全性に不安を持つ。

一方でスペースシャトルディスカバリーが初の打ち上げに成功。
コアラがオーストラリアから6頭贈られるなど明るいニュースもあった。

世界を見渡すとアメリカはレーガン大統領が再選、ソ連は最高指導者であるアンドロポフが死去、新時代に突入する。

また冒険家植村直己がマッキンリーの単独登頂に成功するが下山時に消息不明になった。

なお、マッキントッシュが発売されたのもこの年である。


●スポーツ界では
オリンピックのスタイルを変えたと言われるロス五輪が行われた。
カール・ルイスが4冠を獲得し、世界的スーパースターとしての地位を確立した。
日本勢では、柔道の山下泰裕が怪我をおして金メダルを獲得、国民栄誉賞を受賞した。
期待されたマラソンの瀬古は体調を崩し14位に終わった。
日本勢は柔道、体操を中心に10個の金メダルを獲得した。

プロ野球ではブレーブスのブーマ・ウエルズが外国人選手として初の三冠王を獲得。
そのブーマのいるブレーブスがリーグ優勝し、日本シリーズで広島カープと対戦した。
シリーズでは、ブーマーの弱点を徹底して突いたカープが3度目の日本一に輝いた。

高校球界では前年に衝撃のデビューをしたPL学園の桑田、清原のコンビが活躍するが、春夏ともに準優勝に終わる。
センバツは初出場の岩倉高校、夏は取手二が優勝。共に自由を打ち出したチームの優勝だった。

大相撲では、蔵前国技館が秋場所を最後に閉館した。
この場所で、ハワイ出身の小錦が大活躍。あわや優勝まで迫ったが、平幕の多賀竜がまさかの快進撃を見せ初優勝した。
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1978年

2010-08-15 06:49:44 | スポーツとその時代
スポーツとその時代⑧ 1978年

●社会全般
この頃は高度経済成長期であり、開業が相次いだ。
まず揉めに揉めた新東京国際空港(成田国際空港)が5月に開業。
羽田と並ぶ日本の空の玄関口として国際社会の一員としての加速を示すものであった。
地下鉄は半蔵門線と都営新宿線が一部開業。東京一極集中の象徴である。
またサンシャイン60が完成したのもこの年である。
スポーツ界でも横浜スタジアムが4月に完成した。

政界では8月に日中平和友好条約が締結されたが、福田首相は自民党の総裁選で敗北し大平内閣が誕生した。

サザンオールスターズが「勝手にシンドバット」でデビューしたのもこの年である。
 

●スポーツ界では
大相撲では北の湖がピークをを迎え、初場所から秋場所までを5連覇。初の年間制覇が」かかった九州場所では11勝に終わり優勝を逸したが、年間82勝を挙げ大鵬の持つ81勝を更新(当時の記録)した。
名古屋場所後に大関若三杉が横綱に昇進し、二代目若乃花となったのもこの年である。

球界では大きな記録が生まれる。
6月に王が通算打点で、張本が通算安打でそれぞれ野村克也の記録を更新。
その王は8月に通算800号本塁打を達成する。
優勝はセ・リーグが球団創設以来初めての優勝、パ・リーグはブレーブスが4連覇を果たす。
日本シリーズは激戦の末、4勝3敗でスワローズが初の日本一に輝く。
第7戦での大杉のホームランを巡ってのブレーブス上田監督の抗議は1時間19分に及んだ。
スワローズを初の日本一に導いた広岡監督の管理野球は話題となった。

また後に黄金時代を築くライオンズを西武が買収したのもこの年である。

10月にはゴルフの世界マッチプレーで青木功が優勝。世界のアオキを印象付けた。

ボクシング界では具志堅が全盛期。4回の防衛を全てKOで飾った。

1969年

2010-04-28 09:26:40 | スポーツとその時代
スポーツとその時代⑦ 1969年

●社会全般
この年は何と言ってもアポロ11号が月に月面着陸したことが最も大きなニュースであった。
人類初の月面有人着陸は宇宙への大きな一歩として世界的な話題となった。
この当時は米ソの宇宙進出競争が激化していた。

中国が初めての地下核実験を行ったのもこの年。軍事大国へのスタートを踏み出した。
11月にはこの当時全盛を極めていた日本赤軍が大菩薩峠で53人が逮捕される。

12月に行われた衆院選挙(沖縄解散)では小沢一郎、羽田孜、森喜朗、土井たか子といった大物が初当選した。

10月には超人気番組「8時だョ!全員集合」がスタート、またサザエさんもテレビ放送がスタートした。
そしてドラえもんの連載が開始されたものこの年である。

また「男はつらいよ」の第一作が放映されたのもこの年である。
 
●スポーツ界では
プロ野球はジャイアンツが全盛期。
この年もブレーブスを4勝2敗で下し5連覇を達成。
金田正一投手が前人未到の400勝を達成したものこの年である。

高校野球はセンバツでは三重高校、夏は松山商業が優勝した。
夏の決勝戦では松山商業と三沢高校が18回を戦い引き分け、再試合となった。
三沢高校の太田幸司投手は一躍スターとなった。

華やかな球界で暗い影を落としたのは、黒い霧事件。
ライオンズの数選手が永久追放処分となる。

大相撲は2度優勝の大鵬が君臨していたが、北の富士、玉の海、琴櫻といった新しい世代が優勝し台頭してきた。

ボクシングでは2階級制覇のファイティング原田が3階級目のフェザー級タイトルマッチに挑戦し3度のダウンを奪って勝利確実かに思えたが、不可解な判定により敗れた。
この時はチャンピオンの地元オーストラリアでも批判が出るほどの不可解な裁定だった。

2000年

2009-10-14 10:16:31 | スポーツとその時代
スポーツとその時代⑥ 2000年

●社会全般
20世紀最後の年であり、パソコンの普及による「2000年」問題が注目を集めたこの年。
ハッピーマンデーと言われる祝日制度が始まったのが2000年。
成人の日や体育の日などが月曜日に移され土日と合わせた3連休となるという景気対策。
2月には大阪で太田房江氏が女性で初めて知事に当選。
4月には現職の総理である小渕首相が脳梗塞で緊急入院、総辞職し森内閣が誕生。小渕氏は5月に死去し、森内閣は選出過程から世論の支持を得られず自民党の苦闘が続く。
6月には皇太后(昭和天皇の皇后)が死去。史上最高齢の皇太后だった。

事件としてはグリコ森永事件の時効、そして世田谷一家殺害事件の発生があった。

外国ではロシアでプーチン大統領が就任、「プーチン王朝」が始まった。
一方アメリカではブッシュとゴアが史上稀にみる大激戦を展開、ブッシュが親子2代にわたる大統領に選ばれた。
 
●スポーツ界では
シドニー五輪が開催され、女子マラソンで高橋尚子が金メダルを獲得、一躍国民的ヒーローとなった。
日本勢では柔道の野村忠宏が連覇を達成、人気の田村亮子が遂に金メダルを獲得したのもこの大会だ。
更に井上康生、滝本誠と柔道勢が金メダルを獲得し柔道ニッポンの意地を見せた。
ただ、篠原が決勝で敗れた「世紀の誤審」もこの大会の出来事である。

プロ野球ではジャイアンツとホークスが優勝。両監督が王、長嶋だったことから「ON対決」として年配が支配するマスコミを中心に騒がれた。
一方で、イチローが終盤まで4割の可能性を残す高打率を維持したにもかかわらず全く注目されなかった。(.387)
イチローはこの年を最後に日本を去りアメリカに渡る。

高校野球ではセンバツで東海大相模、夏の選手権では智弁和歌山が優勝した。

大相撲では初優勝が続く。
初場所では武双山が優勝、春場所後に大関に昇進。
その春場所は新鋭の雅山が終盤まで優勝を争うが、最後は土俵生命をかけていた幕尻の貴闘力が涙の初優勝を飾る。
夏場所でも魁皇が初優勝し大関に前進した。

7月にはタイガー・ウッズが全英オープンに優勝し史上最年少でグランドスラムを達成した。
 

1985年

2009-09-09 11:21:30 | スポーツとその時代
スポーツとその時代⑤ 1985年

●社会全般
阪神タイガースが21年ぶりの優勝を飾ったこの年は、大きな事件が続出した年であった。 
2月に政界を牛耳ってきた田中角栄元首相が脳梗塞で倒れ、政界復帰が困難に。ニューリーダーによる世代交代が進むとともに、中曽根首相が独自の路線に踏み出す契機となる。 
4月にはその中曽根首相の悲願であった民営化政策のうち、日本電電公社がNTTへ、日本専売公社が日本たばこ産業に変わった。 
6月、豊田商事の社長がマスコミの目の前で視察されると言う惨劇が起こる。マスコミの姿勢が批判される。
そしてこの年8月、史上最悪の航空機事故が発生。日航機が墜落し520名の死者を出した。この大惨事で日本航空の杜撰な安全管理体制が浮き彫りになる。 
また中曽根首相が8月15日に靖国神社に公式参拝を行う。これにより朝日新聞アド反日マスコミが中韓と結託し、靖国批判を始める事になる。 9月には世間の注目を集めたロス疑惑の三浦和義氏が逮捕、同日人気女優の夏目雅子氏が白血病で死去した。  

海外に目を移しても冷戦終結に大きな業績を果たすソ連のゴルバチョフ氏が2月に書記長に就任。
11月にはアメリカのレーガン大統領とジュネーブで歴史的会談を行った。  

松田聖子と神田正輝の結婚、人気番組「八時だよ!全員集合」が終了したのもこの年である。
●スポーツ界では 
冒頭でも述べた通り、この年はタイガース一色だった。バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発から始まって、真弓を含めた30発トリオが猛打爆発。安定感のあるカープやジャイアンツを撃破し21年ぶりのリーグ制覇を果たした。日本シリーズでも常勝になりつたるライオンズを打ち崩し日本一に輝いた。  

相撲界では1月に両国国技館が完成。その両国で大横綱北の湖が引退した。この年は千代の富士が4度の優勝を飾り千代の富士時代が幕を開けた。  

高校野球ではKKコンビ、桑田・清原が3年生となった。センバツでは準決勝で超人的活躍を見せた伊野商業の渡辺智の前に敗れたものの、夏の選手権では清原が1大会の記録である5本塁打を放つなど大活躍し優勝を果たした。  

ラグビー界では北の鉄人と言われた新日鉄釜石が7連覇を達成。大記録を置き土産に松尾雄二は引退した。また大学ラグビーでは慶応大学が躍進。翌年の全日本選手権で優勝を飾り、寅年にちなんで「タイガー旋風」と言われた。(これはタイガースにも使われた)

1959年

2009-07-29 10:02:13 | スポーツとその時代
スポーツとその時代④
1959年

●社会全般
この年は何と言っても皇太子(現天皇)のご成婚が最も大きなニュースで、日本中が祝福ムードとなった。
民間から初めての皇太子妃と言う事も手伝いミッチーブームが巻き起こった。
このあまりに大きなニュースの発生もあり、政治では史上に残る事件が起こらなかったが、現在問題となっている国民年金がこの年から制定されている。
また、未曾有の水害である伊勢湾台風が名古屋周辺を襲ったのがこと年だ。
死傷者4万人の被害はその後の災害対策に大きな影響を与え、ダム建設も勢いずかせた。
この年、世界でも珍しい「事件」が愛知県で発生。
挙母市がトヨタ自動車に由来して「豊田市」と改名。一企業の名が都市名となるのは世界でも珍しく話題となった。
芸能ではレコード大賞が創設。国民的音楽大賞として長く国民に親しまれた。

●スポーツ界では
この年のスポーツ界の話題をさらったのは、6月のに初めて行われたプロ野球の天覧試合である。
接戦の末、タイガースの村山実からジャイアンツの長嶋茂雄が放ったサヨナラホームランは今も語り継がれる伝説である。
プロ野球はこれを機に国民的人気スポーツへと成長する。
この年はこのままジャイアンツがセ:リーグを制するが、日本シリーズでは、長嶋と立教大学時代同僚だったホークスの杉浦忠が快投を見せる。
シーズン38勝4敗と言う怪物的記録をの残した杉浦は日本シリーズでも大車輪の活躍。自慢のシュートが冴え渡り2度の完投を含む4連投4勝でジャイアンツを」圧倒した。
ジャイアンツは前年の3連勝4連敗(対ライオンズ)から日本シリーズ8連敗を喫する。
大相撲では、大阪太郎と呼ばれた朝潮が横綱に昇進。栃若との対決が話題を呼んだ。
甲子園では春は名門の中京商業、夏は西条高校が優勝した。
ボクシングは空白の期間で、白井義男がタイトルを失ってからファイティング原田が出現するまでの「成長の時」だった。
ノンタイトルでチャンピオンを破った矢尾板貞雄に期待がかかったが、一歩届かなかった。この当時のボクシングは今とは比較にならないほど国民の熱狂を生んだスポーツだった。

1970年

2008-01-27 09:03:34 | スポーツとその時代
スポーツとその時代③
1970年

●社会全般
3月に日本で初の万国博覧会が大阪で行われた。
64年のオリンピック開催に続く世界的イベントの開催で、高度経済成長の真っ只中、いよいよ先進国の仲間入りをし始めた事を国民に実感させた。
この万国博の行われた年は、戦後今に至るまで日本を悩ませる「思想」を含んだ大きな事件が二つ起きている。
一つは連合赤軍による「よど号ハイジャック事件」である。
自身の主張の実現のために、何の罪もない人を人質に取ると言う今での左翼が好んで行う卑劣な手法で行われたこの事件。
人命優先の製作を取った日本政府は、山村運輸事務次官が人質の身代わりに北朝鮮まで同行を名乗り出て、人質は解放された。
北朝鮮を地上の楽園の喧伝し、様々なテロを起こしてきた赤軍派を許す事は決して出来ない。
また11月には天才小説家で右翼の大物三島由紀夫が自衛隊クーデターの失敗から
陸上自衛隊市谷駐屯所で自決した。
自衛官に天皇擁護と憲法改正の演説を打ったが野次や罵声で失敗。天皇陛下万歳を叫び割腹自殺した。
時代錯誤とも英雄気取りとの言われた悲壮感漂う事件だった。
新宿に歩行者天国が登場したのもこの年である。当時の写真を見ると希望に満ちた日本人の姿が窺える。
そのほかにはあしたのジョーの力石徹の「葬儀」が行われた、ボーリングブームの到来、いざなぎ景気の終焉などがあった。
黒猫のタンゴ、ドリフのズンドコ節などがヒットした。
またケンターッキーフライドチキンが日本で始めてオープンしたのもこの年である。

●スポーツ界では
戦後のスポーツ界でも有数の残念なニュースが駆け巡った。
暴力団関係者からの依頼に応じ、八百長を行ったとして西鉄ライオンズの6選手が永久追放となった。
特に球界を代表するエースであった池永正明氏の追放は球界に衝撃を与え、結局に私鉄は2年後に球団を手放すに至った。管理野球を標榜するつまらないジャイアンツい対抗した個性派球団はこれを機に消滅する。
しかし池永氏は否認しており冤罪ではないかと言う説も根強く、稲尾、豊田氏らの尽力で2005年の追放解除となった。
球界ではその事件とは関係なく圧倒的な戦力をバックにジャイアンツがオリオンズを破り6連覇を達成。円熟期に入る。
ボクシングはファイティング原田が引退し、ブームに陰りが出るが、後に伝説的チャンピオンになる大場政夫が世界チャンピオンになる。
相撲界ではいよいよ大鵬が晩年に入り、北の富士と玉の海が新横綱となる。
高校野球では春が箕島、夏は東海大相模が初優勝した。
スポーツとはいえないかもしれないが、植村直己が五大陸最高峰を世界で始めて制覇したのもこの年である。

1964年

2007-09-19 10:26:17 | スポーツとその時代
スポーツとその時代②
1964年
バレーボール女子日本代表、王貞治、飯島秀雄、遠藤幸雄

●社会全般
日本で初のオリンピックが行われたこの年、政界では池田隼人首相が佐藤栄作、藤山愛一郎を破り自民総裁三選を果たすが、11月にガンのため退陣、戦後最も長く続く佐藤政権がスタートした。
世間の注目を集めた東海道新幹線はオリンピックを前にした7月に開通。
これまで仕事や留学など特定の理由に限られていた海外旅行が、この年から自由化された。
将棋界では大山康晴が名人位を防衛し、連続6期・通算11期の名人在位記録を作った。
また競馬史に残る名馬シンザンが11月の菊花賞を取り三冠馬となった。
日本初のカップ酒「ワンカップ大関」が発売されたのもこの年だ。

●スポーツ界では
 10月に日本で初めて開催された東京オリンピックでは、日本は金メダル16個を獲得する大躍進を見た。
 中でも大松監督率いる女子バレーボールチームは決勝でソ連に完勝し“東洋の魔女”と言われた。大松監督の「俺についてこい」は流行語となった。
 正式競技となった「日本の国技」柔道では軽量・中量・重量の3階級で金メダルを獲得したが、無差別級では期待された神永がヘーシングの大きな体の前に敗れ銀メダルに終わった。この時喜んで土足で畳に上がろうとした同国人をヘーシングが手で制した場面は、今の柔道家に見せてあげたい。
 当時お家芸だった男子体操では遠藤幸雄が金メダルを2つ獲得する等活躍。日本は団体総合を含む5つの金メダルを獲得した。
 その他レスリングで5つ、重量挙げの三宅義信、ボクシングの桜井孝雄が金メダルを獲得した。尚、ボクシングではこれ以降金メダルを獲得出来ていない。
 また、マラソンでは期待された君原ではなく、円谷幸吉が健闘した。2位で競技場に入ったが、結局抜けれ銅メダルを獲得した。
 東京オリンピック一色だったこの年だが、2月にはインスブルックで冬季五輪が開催された。日本はこの五輪で入賞3人・メダルなしの惨敗に終わった。
 3月には第1回のラグビー日本選手権が行われ同志社大学が近畿を破り優勝した。まだまだ学生が社会人に勝てる時代だった。
 4月、センバツ高校野球では徳島海南高校が尾道商業を破って初優勝を果たしたが、海南のエースは後に日本のトップゴルファーとなる尾崎将司だった。
 実はこの年プロ野球で大記録が生まれている。5月のタイガース戦で王貞治が4打席連続ホームランを記録。この年の王は55本のシーズン本塁打記録を樹立した。この記録は未だに破られていない。(2007.9時点)
 優勝はパ・リーグがホークス、セ・リーグがタイガースだった。タイガースは最後のドラゴンズとのダブルヘッダーで連勝しホエールズを逆転し優勝を果たした。日本選手権ではホークスがスタンカの活躍でタイガースを破り2回目の日本一となった。
 大相撲では1月場所後、技巧の栃ノ海が横綱に昇進、5月場所で優勝を果たす。また大鵬はこの年も4回の優勝を果たす。2場所連続優勝、34連勝も記録し大横綱への道を驀進する。
 陸上でも快挙が生まれた。6月にベルリンで行われた大会に出場した飯島秀雄は100mで10秒1の日本新記録を出し、一躍脚光を浴びた。
 また、9月1日には村上雅則投手が日本人として初のメジャーリーグ登板を果たした。その後、日本人大リーガーの誕生までは31年間待たなければならない。


1995年

2007-09-17 08:01:43 | スポーツとその時代
スポーツとその時代①
1995年
主な選手:野茂英雄、イチロー、伊達公子、神戸製鋼、貴乃花、竹原慎二

●社会全般
政界では自社さ野合による村山政権下にあったこの年1月、5000人以上の死者を出した阪神淡路大地震が起こり、3月には狂信的集団オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こるという未曾有の惨事が続いた。これらの惨劇に対する法的整備の不完全さと政府の対応の遅さが指摘された。

●スポーツ界では
 この年は、野茂のメジャー挑戦と被災地神戸を本拠地とするブルーウェーブとイチローの活躍が注目を集めた。※下記詳細
 テニス界では伊達公子が6月の全仏オープンで日本人初のベスト4に進出、世界ランキングも4位となる偉業を成し遂げた。また、ウインブルドンでは松岡修造が日本人男子としては62年ぶりのベスト8入りを果たした。
 相撲界では初場所、後に名横綱となる貴乃花が新横綱として登場。決定戦の末、武蔵丸を破り13勝2敗で3連覇を達成、この年4回の優勝を飾り貴乃花時代へ突入。九州場所では12勝3敗同士で若貴の兄弟対決が実現、兄若乃花が優勝を飾った。
 ラグビー日本選手権で神戸製鋼が新日鉄釜石に並ぶ7連覇を達成したのもこの年である。この試合は日本選手権史上初の100点ゲームとなった。この偉業の2日後に阪神淡路大震災と言う大惨事が起こるとは誰も予想できなかった。
 1月の箱根駅伝では中村・マヤカを擁する山梨学院が2連覇を達成。2区では早稲田大学3年の渡辺康之が区間新記録の走りでマヤカに快勝し大器の片鱗を見せた。
 プロ野球。パ・リーグはブルーウェーブが、セ・リーグではスワローズが優勝、日本選手権ではイチローを封じた古田率いるスワローズが圧勝した。また、この年でジャイアンツの四番として驚くほどの過小評価をされてきた原辰徳が引退した。
 3年目を迎えたJリーグは1stではマリノスが、2ndではヴェルディが優勝し、チャンピオンシップでマリノスが初優勝を飾った。連覇をしていたヴェルディは3年目にして初の敗北。MVPを取ったストイコビッチの活躍が目立った。
 ボクシングでは12月に竹原慎二がホルヘ・カストロを判定で下し、日本人初のミドル級世界王者を獲得した。

※野茂のメジャー挑戦
 日本人の醜いまでの島国根性が出た、日本スポーツ史に残る偉業。 
 バファローズで入団以来4年連続最多勝を記録していた野茂英雄が日本野球の閉鎖性・保守性に嫌気が差し、海を渡りメジャーリーグ、ロサンジェルス・ドジャースに入団した。
 マスコミは日本各球団及び親会社の意向通りに、規則を守らないとして野茂及び代理人である団野村を痛烈に批判した。そして「とても通用しない」「自信過剰」等と野茂をこけおろした。
 しかし日本人の予想を大きく覆し、見事二桁勝利を飾り、オールスターのスターターとなり、長嶋の数倍少年達に野球に対する関心を引き付けた野茂に対し、マスコミ及び世間は当然のように掌を返し賛辞を惜しまなかった。
 また、前年ストライキにより初めてワールドシリーズが行なわれず人気が凋落していたメジャーリーグの人気を復活させた功績も大きい。

※イチローの活躍と大震災
 関東大震災以来の被害者を出した阪神淡路大震災。本拠地を神戸に持つブルーウエーブはユニフォームの袖に「頑張ろう神戸」の文字を入れ試合にのぞんだ。新しい時代のスーパースターイチローや若き速球王平井らの活躍で前半から順調に勝ち星を重ね、早々に優勝を決定。神戸でマリーンズに3連敗して地元優勝を逸したのは非常に残念だったが、圧倒的な強さを見せ神戸のファンに勇気と希望を与えた。特に前年200本安打を達成し一躍ニューヒーローとなったイチローがこの年も大活躍。2年連続の首位打者となるとともに打点王と盗塁王も獲得した。