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渡辺康幸は何故マラソンで成功しなかったのか

2011-12-23 20:58:02 | 事件の真相

【箱根駅伝】

今や正月の風物詩ともいえる箱根駅伝。

瀬古や谷口など日本が世界に誇るトップランナーを輩出した学生陸上界最大の行事ともいえるこの大会で、史上最も活躍した選手と言えるのが、早稲田大学の渡辺康幸である。

ちょうど箱根駅伝が国民的行事になり始めた1990年初めに早稲田大学に入学。

2年先輩の三羽烏をあっと言う間に抜き去り学生陸上界のスターに上り詰める。

1年は花の2区で区間2位ながら早稲田の8年ぶりの総合優勝に貢献。

2年は1区で区間新。

3年は2区で区間新。

4年も2区で区間賞。


1年の時に同じ2区で20秒ほど及ばなかった山梨学院のマヤカとの対決は名勝負で、3,4年時は同じ2区を走り、マヤカを抑えて区間賞を記録した。

 

スポーツ観戦の達人-最強の学生ランナー渡辺康幸

【マラソンへのチャレンジ】

今にして思うと絶頂期とも言えた大学3年(1995年)3月のびわ湖毎日マラソンにエントリー予定であったが、花粉症を起因とする気管支炎により断念。

この時に挑戦していればと思うと残念でならない。


そして翌96年2月の東京国際マラソンに出場予定であったが、肉離れで断念。

この年行われたアトランタ五輪への挑戦権をかけたラストレースである3月のびわ湖毎日マラソンにマラソン初挑戦するが、肉離れの影響からか35キロ過ぎから遅れ7位に終わった。


卒業後はエスビー食品に入社するが、学生時代の輝きを取り戻すことはできなかった。


【真相】

渡辺がマラソン選手として大成しなかった原因は何なのか。


1つには瀬古氏は実名は避けて述べているが明らかに彼を指して語っている通り、自身のように生活の全てをマラソンに費やすことなく、遊びもしながらある程度の実績を残せればよい。そんな精神力の問題である。


これは渡辺に限らず今どきの選手の特徴であろう。


2つ目には、それほど大騒ぎするほどの選手ではなかった。

以降、三代、藤田、徳本、今井など多くの箱根のスターはマラソンで実績を収めることはできず、箱根での実績が過大に評価された。


そして3つ目。

箱根駅伝こそ悪の元凶であると言う説。

あまりに注目の高い大会であるがゆえに、学生生活の全てを箱根に捧げるがために、膝など体に大きな負担がかかり、その後のランナーとしての生活に支障をきたす。


また精神的にも燃え尽きてしまい、他の目標が見いだせなくなってしまう。


渡辺の場合、初出場のびわ湖で優勝またはそれに準ずる成績であれば、また違ったのだろうが、この失速によりモチベーションが下がってしまったのではないだろうか。


またこの時の肉離れも、4年間の箱根の疲労がたまって起こったものではないだろうか。


いずれにしろ学生史上最強ランナーは世界に名を轟かすことはできなかった。



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