スポーツ記録箱

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2010年スポーツ10大ニュース

2010-12-31 10:26:52 | スポーツベスト10

2010年スポーツ10大ニュース 

  1.白鵬63連勝

  2.角界に野球賭博蔓延

  3.朝青龍暴行事件で引退

  4.イチロー10年連続年間200安打

  5.浅田涙の銀メダル

  6.谷引退

  7.W杯で日本16強入り

  8.横浜身売り騒動

  9.内村日本人初の世界選手権2連覇

 10.マートンシーズン安打新記録

 次 .岩隈交渉決裂

 

様々な偉業や出来事があったが、何といっても角界に尽きる。

各スポーツ紙などのアンケートではトップとなっているワールド杯の16強は何故に1位か皆目見当がつかない。

確かに自国開催以外で初めて勝利し16強となったことは喜ばしいことは事実だが、あくまで16強である。

またマリーンズの3位からの逆転を上位にするものも散見したが、これは現行制度では十分あり得ることであり驚愕にも事件にも値しない。

それに比べ白鵬の連勝は71年ぶりの記録更新がかかった歴史的偉業であり、相撲の神様双葉山の記録を守ったのが日本人の稀勢の里

だというのも喜ばしい。


角界の野球賭博も前代未聞の親方と現役大関の解雇という衝撃の事件である。

未だ改革を拒む姿は民主党に酷似している。


更に朝青龍の暴行事件による強制引退。

素行の悪さを長年放置し、遂に詰め腹を切らせた。

これも相撲協会の膿の一つに過ぎない。

角界の3大ニュースに比べるとインパクトに欠けるものの、イチローの10年連続年間200本安打は、白鵬同様、半世紀は見れないだろうと思われる偉業である。

自身の記録更新という点で白鵬より順位を下げた。


浅田の悔し涙も忘れ難い。

素晴らしい演技を行ったが、円熟のキムヨナと現在の採点方式に泣いた。


谷の寂しい引退も印象的だ。

高橋尚子が記者の拍手で去ったのと対照的だった。


W杯はこれで十分ではない。

ブラジルまでは行かなくても日本人は少し代表に厳しくなるべきだ。


横浜ベイスターズの身売りも考えさせる。

ナベツネとミスターがぶっ壊した野球人気だが、地域密着がうまくいかず、野球バブル時代の形態を継続している球団の悲劇と言えよう。


内村の2連覇とマートンの新記録も秀逸。

特に内村は男子体操が再び世界トップに君臨していることを示した。


岩隈のポスティング問題も来年以降の課題だ。

詳細は依然述べたので避けるが、メジャー流出も含めて球界は真剣に考えるべきだ。


その他、宮里の躍進や石川遼の活躍、興南の春夏連覇なども印象に残ったニュースだった。

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畑山隆則

2010-12-12 17:57:38 | 名選手列伝

畑山隆則(ボクシング)

1975年青森県青森市生れ

少年時代から喧嘩が強く、辰吉丈一郎に憧れてボクサーを目指した。

16歳の時に高校を中退し上京、翌年に京浜川崎ジムに入門した。

新人王を獲得するなど早くから有望視され、平成8年にはOPBFジュニアライト級タイトルを獲得。

3度の防衛を経て9年3月に韓国の雀に挑戦するが惜しくも引き分け。

その年の10月には日本チャンピオンのコウジ有沢と日本人頂上対決を行いKOで勝利し、翌年に再び省に挑戦、判定で破り遂に世界タイトルを獲得する。

1回の防衛のあと、ラクバ・シンにKO負けを喫し王座を陥落。そのまま引退した。

しかし、12年に復帰を宣言し3月、有明コロシアムでいきなりライト級世界王者のヒルベルト・セラノに挑戦。

8RKO勝ちを果たし2階級制覇を成し遂げる。

その後、坂本博之とのスーパー対決を制すなど2度の防衛を果たすが、13年にロルシーに判定で敗れ引退した。

通算24勝(19KO)2敗3分け

派手なキャラクターと気の強さで辰吉、川島、鬼塚といった90年代前半の黄金期の去ったあとのボクシング界を支えた名選手だった。

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1970年

2010-12-12 08:56:26 | スポーツとその時代

 

 

●社会全体

 3月に大阪で万国博覧会が開催された。

 東京五輪に続く世界規模のイベントの開催により日本は世界のトップ国としての地位を確立する。

 

 同じ3月には、日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件が発生。

 未だ反日勢力が幅を利かせている時代である。

 

 12月にはアメリカ軍の犯罪等の多発などにより沖縄のコザで暴動が発生した。

 沖縄の日本返還は2年後の1972年である。

 

 また作家の三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部で決起を促す演説のあと、恰幅自殺。

 日本中が衝撃につつまれた。

 

 また世界中で人気を博したビートルズが解散したのもこの年である。

 

●スポーツ界では・・・

 球界はジャイアンツが連覇を驀進中。

 この年も日本シリーズでオリオンズを破り6連覇を達成した。

 

 高校野球では選抜では島本講平が活躍し箕島高校が初優勝。

 夏の選手権では東海大相模が初優勝。原貢監督(原辰則の父)は三池高校に続いて2校目の制覇。

 

 大相撲は3月に大鵬が31回目の優勝を果たすが、この年は北の富士が3回、玉の海が2回優勝し、共に横綱に昇進。

 柏鵬時代から北玉時代に移行した時期と言える。

 

 ボクシング界では、名チャンピオンになる大場政夫が世界フライ級タイトルを獲得。

 またのちに2階級制覇をする柴田国明がフェザー級タイトルを獲得した。

 

このころブームとなっていたボーリングは、第1回全日本女子選手権が開催され中山律子が優勝した。

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千代の富士一代年寄辞退

2010-12-08 07:10:47 | 事件の真相

 

【概略】

数々の大記録を樹立し国民栄誉賞を授与された横綱千代の富士に対し日本相撲協会は、最大の名誉ともいえる「一代年寄」を贈ることを決めた。

それに対し、千代の富士は九重親方とともに会見を開き辞退の意向を表明した。


【一代年寄】

引退後に相撲協会に残るには、108しかない年寄名跡を取得する必要があるが、多大な功績を残した力士にのみ「一代年寄」という栄誉を与える。

これまでに大鵬、北の湖(のちに貴乃花)の二人しか授与しておらず、最大の名誉と言える。


しかし一方で、その名跡が一代限りで消えるため、部屋も一代で消滅することになる。

大鵬部屋も大鵬の定年を持って、大嶽部屋に名前が代わっている。


【状況】

53連勝、通算1000勝など数々の記録を作り、国民的人気の高い千代の富士と、横綱北勝海も擁し土俵に君臨していた九重は栄華を誇っていた。


千代の富士なくして角界は成り立たず、九重は新興部屋の出身でありながら、理事長を狙っているという噂も実しやかに囁かれていた。


【真相】

理事長を狙う九重にとって最大の敵は出羽海(元佐田の山)である。

出羽海部屋時代の兄弟子であり、本家本流の出羽海。

普通に戦っては到底勝ち目はない。


主流派の代表である出羽海に対して、その主流派の与える最高の権威を辞退する。

これほどの挑戦状はない。


世間に対するインパクトは強烈だが、反面危険な綱渡りでもあった。

それでも九重は理事長の椅子に着くために必要な賭けであり、乗りに乗っていた当時は自信もあっただろう。


千代の富士には九重部屋の継承を約束し、理事長就任時にはスピード出世も確約したのだろう。


果たしてもの師弟は、堂々と主流派に反旗を翻した。

苦々しい思いで、辞退を受けた相撲協会は、その後の暗闘の中でこの二人に見事逆襲。


九重は相撲協会を去り、千代の富士はその功績に比べて不遇な年寄人生を歩んでいる。


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1955年

2010-12-08 06:53:49 | スポーツとその時代

スポーツとその時代⑫ 1955年

 

●社会全体

2009年に民主党が政権交代を成し遂げた時に、マスコミは「55年体制の終焉」と言う表現を使った。

 

55年体制とは、左右両派に分かれていた社会党の統一とそれに刺激を受けた自由党と民主党という保守2党が合併し出来た自由民主党(保守合同)による政界の構図を言う。

これにより、93年に細川政権が出来るまで自由民主党の1党政権が続く事になる。

 

事件としては4月に佐世保のボタ山崩落事故、5月の紫電丸事故、7月の津市での水難事故、9月の森永ヒ素ミルク事件、10月新潟大火と大きな事故が続発した。

 

そのほかソ連が日本の国際連合加盟に拒否権を行使すると言う腹立たしい出来事もあったが、この年辺りから高度経済成長が始まった。

 

 

●スポーツ界では

プロ野球はジャイアンツが黄金時代を迎えている。

ホークスから引き抜いた別所や大友を中心とした安定した投手陣に加え、2冠を獲得した川上が全盛期で打線を牽引した。

日本シリーズではパ・リーグを制したホークスを4勝3敗で破り日本一となる。

 

この年タイガースの藤村富美男が史上初の通算200号本塁打を達成した。

またスワローズの金田正一がシーズン340奪三振を記録した。

そしてスタルヒンが300勝を達成した。

 

大相撲では5月場所で昭和天皇が初めて蔵前国技館で観戦した。

この年は千代の山が初・春と連覇。夏では栃錦が5度目の優勝を果たす。

これ以降、栃若時代に突入してゆく。

一方で、千代の山のライバル的存在だったこともある東富士がプロレスラーに転向する。

 

全米テニスでは加茂・宮城組が日本人初優勝した。

 

 

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1946年

2010-12-07 21:23:31 | スポーツとその時代

 

スポーツとその時代⑪

 

●社会全般

1946年と言えば、日本史上最悪とも言える第二次世界大戦敗戦の翌年である。

東京を中心に都市部は焼け野原で、国民は復興に向けて動きだしたばかりと言える。

 

混乱期なので分野別ではなく、月毎に追ってみる。

1月に天皇の詔(人間宣言)、2月に農地解放などと言うと日本史を学んでいるようだ。

 

そして4月には戦後初の総選挙は早くも行われる。

女性は39名当選するなど画期的ではあったが、一方でソ連率いる共産勢力の介入を恐れたGHQ立会いのもとでの選挙であった。

 

同じ4月には「サザエさん」が連載開始。

8月は連続婦女暴行殺害の小平義雄が逮捕される。

「男はつらいよ」で「国のはじまりは大和の国~」の口上の中で「助平の始まりは小平の義雄」と言うのがあるが、これがこの犯人。

 

11月は日本国憲法公布と徐々に国の形が整ってきた中で、12月に和歌山で南海地震が発生。1000人以上の死者を出す大惨事となった。

 

 

●スポーツ界では

2年ぶりに再開されたプロ野球は近畿グレートリング(現福岡ソフトバンクホークス)が優勝。本塁打王となったセネタースの大下弘が人気を博す。

 

大相撲は11月に東京メモリアルホールで1場所のみ開催された。

羽黒山が11戦全勝で優勝したが、この場所「相撲くじ」が発売されたが不評で廃止となった。

 

野球、相撲という日本の2大プロスポーツが再開されたことで、戦後の復興がスタートしたと言える。

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畑山隆則VS坂本博之(後編)

2010-12-05 08:17:03 | 名勝負物語

名勝負物語⑨-2
2000年10月11日
横浜アリーナ
WBA世界ライト級タイトルマッチ
畑山隆則VS坂本博之


横浜アリーナは試合前から盛り上がっていた。

中々世界をとれないカリスマボクサー坂本の人気はすごく、親衛隊のような観客も多かった。

一方、畑山も人気者である。世紀の激突の様相は会場を包んでいた。

試合開始から坂本は積極的に打って出る。強烈なボディーブローを放ち、それに対して畑山はスピーディーな左フックで応戦。早くも打ち合いの様相となった。

初回中盤に早くも左目上をカットした坂本は2Rに入っても迫力のあるパンチを放つが、徐々に畑山ペースに。右クロスやアッパーが的確に決まるようになる。

中盤に入ると畑山の右が痛烈にヒットしだし、坂本はたじろぐ。

そして8Rに入ると畑山の右が4連発で命中し、打たれ強い坂本も大きなダメージとなる。

9R終盤。右から左のフックを打ち込むと坂本は完全にグロッキーに陥る。

もしかしたら10R、坂本は立ち上がってこないのではないかと言うほどのダメージであったが、さすがにファイターである坂本は勇敢に立ち上がった。

しかし畑山は左フック、右ストレートと確実にヒットさせ、坂本は痛烈なダウンを喫する。

何とか立ち上がった坂本だが、セコンドはタオルを投げ入れて試合終了となった。

沼田VS小林、辰吉VS薬師寺と比べても、熾烈と言える名勝負であった。

 

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