トランプ大統領がたびたび用いる「サイレント・マジョリティー」という言葉は、
初めニクソン大統領が「グレート・サイレント・マジョリティー」として発言したものらしい。
「沈黙しているが賛成は多数派だ」という都合のいい解釈をされることが多いと感じる。
しかし、沈黙する者の本意は本人にしか分からないものだ。
賛成かもしれないし、反対かもしれない、様々な考えがあって賛成とも反対とも言えないのかもしれない。
そもそも、その問題について考えていないのかもしれない。
小学校の頃から、特に学校では多数決は公平だと思わされている節があるが、
話し合いで大切なのは各々の意見の擦り合わせであって、同じ意見を持つものがどれほどいるかというのは
物事を決める上で、あくまで一要素でしかないと思う。
中学生の頃、ある授業でテーマ討論があったのだが、40人のクラスで
なんと39対1、自分一人が他のクラスメイト全員に対立する構図になってしまった。
自分の意見を曲げれば何のための討論会か分からないと思い、懸命に意見を述べたが
最後には先生までもが話し合いに混ざり、39人の味方をした。
討論会なのに、一方的に攻撃されているとしか思えなかった苦い思い出だ…
少数派だとしても、めげずに頑張っていきたいものだ。
若いときに湯川秀樹先生の研究所の非常勤講師をごく短い期間していたことがあります。
そのときに湯川さんご本人から聞いたことばがあります。
「独創ははじめは少数者のものである」ということです。そういう自負は独創的であるからこそ持てるものでしょう。
少数者であることを恐れないようにしましょう。
湯川先生の書かれた『旅人ーある物理学者の回想』は感銘を受けた本のひとつで手元に置いてあります。
素敵な言葉をありがとうございます。