jojony HULA sisters

フラダンスのお教室です。
豊島区目白で活動しています。

フラは伝える手段

2011年01月22日 | ○フラについて
古代のハワイには、文字がありませんでした。
伝統や歴史、カプなどは、すべてチャント(詠唱)で伝えられ、
フラはそれを補足するために踊られていたそうです。

1月10日の「海を渡る人々」で書かせていただいた
カヒコ「He Mele No Kanaloa」は、
まさに、人々が海を渡ってハワイに移住した歴史を伝えています。

「ハワイには文字がなかった」と言われていますが、
もしかしたら、文字が「なかった」のではなく、「必要なかった」のかもしれません。
それは、あまりに優れたチャンター、ダンサーがいたから。
「目は口ほどにものを言う」ではありませんが、
歌や踊りは、文字以上に本質を表現できるのかもしれません。

たとえば、メリーモナークのDVDを観ていると、
踊り手がチャントを唱えるシーンがたくさんみられます。
群舞の場合、踊りは見事なほどに一体化しているのですが、
チャントのときは、まったく様子が違います。
それぞれが、それぞれのやり方で、
顔を動かし、手振りを加え、感情を込め、チャントを唱えているのです。
揃っている・揃ってないで言えば、バラバラです。

でも、「伝えたい」という迫力は、見事に一体化しています。
こうしたシーンを見ると、まさに「フラ」は伝える手段だったんだなーと強く感じます。

カヒコが史実など「公」を伝えるものだとしたら、
アウアナは、踊り手の気持ち「私」を伝えるものでしょうか。

アウアナでは、「愛しています」「幸せです」「会いたいわ」などなど、
歌詞に乗せて、自分の気持を表現します。
だから、同じ振りでも、踊り手によってまったく違う雰囲気になることも。
「愛しています」と踊っても、その対象は、踊り手によって恋人だったり、
子どもだったり、家族だったり……。

アウアナは、とっても「個」が投影されるものだと感じます。
だから、踊っても、観ているだけでも、面白いのですね。

また、人生を重ねれば、重ねるほど、「個」が充実するのだとしたら、
歳を重ねれば、重ねるほど、より深いフラが踊れるのかもしれません。

フラをやっていれば、歳をとるのも怖くない!?
そんなフラに出会えて、感謝です。

(ジョアン・アベ)

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