:〔続〕ウサギの日記

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★ 《メリークリスマス》 - 映画 「マリア」 -

2008-05-03 12:06:47 | ★ 映画評

 

 

 

 

クリスマスまであと2週間あまり。 この日世界中で「この世の救い主」(とクリスチャンは信じる)イエス・キリストの誕生が祝われる。それで、今日はこのテーマを取り上げました。


昨年のある日、予告編でこの映画を知りました。よし!公開されたら見に行こう、と心に決めていました。
南テキサス生まれのキャサリン・ハードウイックと言う女性監督。建築学の博士号を持つ身で映画の世界へ。「女性ならではの繊細さ」と「男性顔負けの骨太で重厚な作風」と評されているが、的を得ていると思った。
マリア役のケイシャ・キャッスル = ヒューズは、マオリ族とヨーロッパ人の混血で、そのエキゾチックな美しさが役にピッタリだった。



私は、自分の本「バンカー、そして神父」(亜紀書房)
http://t.co/pALhrPLの中の「私の接した聖人たち」と言う章で、前教皇ヨハネ・パウロ2世が、1987年を「マリアの年」と定めたことを書いた。それは、イエスの母マリアの生誕2000年を記念して、のことだった。もしそうだとすれば、マリアは13歳でイエスをベトレヘムの馬小屋で産んだことになる。

私が20代前半、上智大学の哲学科でラテン語を習っていたころ、スペイン人の教授は、ラテン語の難しい慣用句を覚えさせるのに、短い諺をいっぱい暗記させたものだった。その中に、訳すると「人は誰も理由無しに嘘をつかない」と言うのがあった。言い換えれば、特に理由がなければ、普通、人は自然に本当のことを話す、というものだ。そこには深い知恵と真実が隠れていると思った。
自分が身ごもっていることを許婚のヨゼフや両親に気付かれたマリアは、「天使のお告げがあって、聖霊によって身ごもった」と言い張った。ローマの兵士に手篭めにされた」とか何とか言えば、同情や憐れみをかって、命だけは助かったかも知れなかったのに、あえて「天使のお告げが・・・」などと言い張れば、誰にも信じてもらえず、かえって不義、密通を言い逃れる嘘と疑われ、遥かに不利なことになるのは火を見るよりも明らかではなかったろうか。当時の女性たちを縛っていた厳しい律法によれば、そのような女は、石打かなにか、どの道、死刑は免れ得なかったはずだった。事実、この映画でも、マリアの石殺しの場面があって、危うく刑が執行されるところまでいった。マリアは、自分の死を逃れるために、あのような嘘をつく理由が全くなかったばかりか、あのような嘘は、直接に死を意味した。だからこそ、彼女が語った「処女懐胎」は命がけの真実だったと納得できるのである。



10代半ばの少年と少女の結婚は親が決めた。誰の子かわからぬ胎児を宿すマリアと結婚した若いヨゼフが、逆境に鍛えられて、彼女を次第に愛するようになる描写が美しい。



映画では、紀元1世紀のパレスチナの政治・社会情勢が史実に忠実に再現されている。当時のユダヤの王、殺人鬼ヘロデ大王は、死の病に倒れる5日前に自分の息子を処刑した。また、自分の死が国中で祝われるのを恐れて、イスラエルの全貴族を収監し、自分の死後直ちに処刑するよう命じたりもした。生まれたばかりのイエスを亡き者にするために、ベトレヘムの町の2歳以下の幼児を全部殺すことぐらい、なんとも思わなかったに違いない。
この映画は、ヨゼフがマリアとイエスをつれて、ヘロデが死ぬまでエジプトに逃れるところで終わっている。



原作者アンジェラ・ハントはプロテスタントの牧師夫人。クリスティー賞受賞作家で、既に300万冊以上の本が読まれている。
ダヴィンチ・コードの類の史実や真実を悪意を込めて捻じ曲げた興味本位のいかさま本、ハリーポッターなどのようにキリスト教的正気さに挑みかかるような魔法の世界が横行する中で、久々に、聖書と歴史にあくまで忠実な、ずっしりとした手ごたえのある映画だった。
あらためて、西暦と世界史の原点、「2010年前に生まれた『ナザレのイエス』という人物は一体何者だったのか」と言う重い問いが、この映画を見たあとに残る。

(このブログの写真は映画館で求めた600円のプログラムから。)

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