しかみちのブログで思い出した
ん十年も前
何かで悩んでいた若い女の子にそう言ったら
「ずぇーーたい違いますよ!金持ちの家に生まれたり美人に生まれた子は,うーーんと得な人生ですよ!」
ま,
一般的にそう言う見方をする子は多い
特に若い時は。。
欲しいものは何でも手に入るしチヤホヤもされる
それはそれで嬉しい事ではあるし楽しい事でもある
でも
麿が時折負け惜しみを言ってるように
ビンボーな麿が3万の靴を買う喜びと
金持ちの神田うのが100万の靴を買う喜びとでは
多分麿の方が大きい
カネや地位や美貌に群がる人間は
それが無くなると
当然の事ながら
クモの子を散らすように見事に去っていく
麿はそう言った人種を何人も見てる
だから
それらを持ってる人は意識するしないに関わらず
普通以上にそれに固執する
一見,華やなかな世界ほど裏はドロドロしている
それを維持するため,気の休まる暇もない
それも一つの生き方であり,良い悪いの問題ではないが
「山高ければ谷深し」でもある
人間,他人と比較するなと言いながら
どこかで比べて一喜一憂する生き物
それが向上心に繋がる場合は良いが
得てして自分を責めたり環境のせいにしたがる
不平不満悩みに持っていく
人間も自然界の一員の筈だから
寝て食えれば先ず充分ってのが根底にあれば
そんな物は些事って思えるんだが現実はなかなかそうもいかない
病気やケガの痛みの他に心の痛みや悩みを作って人生の退屈を紛らわそうとする
ノイローゼやうつを自ら作り出して苦しんでるのは人間だけではないのだろうか
動物園のゴリラがなったって話は聞くが
それは多分自然界から隔離したから。。
ん?
っちゅう事は
最早,人間界は自然界じゃないっちゅう事か!
いずれにしても
麿が知り合った範囲では
平平凡凡に過ごした多くの老人が
「ま~ま~の人生じゃったのう~」と言っておる(まだ終わってはいないが。。
自分のそれまでの生きかたを否定したくない否定されたくないって思いも入っているんだろうが,最終的にはプラマイ 0に近いと自ら納得する人が多いみたい
麿はどうじゃろう?
う~~む
マイナスがあまり思い浮かばない(バカー?
明日死ぬとしても
プラスの方が多いな~
言いたいこと言ってやりたい事やってるんだから当たり前!?
そうできないのは自分のせいでもあるだろう!
要は
人生を楽観的に生きるか悲観的に生きるかって事か