こんにちは、昨日は憲法記念日でした。戦後67年の歳月が経過し米軍占領下にあって反強制的に制定された現憲法も内外情勢の変化の中で色あせてきた事は疑いようもありません。「憲法を権力者が都合の良いように変えるので反対」と言う意見を聞きますが、それは護憲主義者の理論であって、そんな事を言ったらいつまで経っても憲法改正など出来ません。憲法が実情に合致していないと言うのは衆目の認めるところです。日本も早く敗戦の呪縛から逃れ、「自分の国は自分で守る」事を真剣に考えるべきです。
今日は甲州高尾山(1106m)報国のPART2です。流し読みで結構です。何か心に残る個所があれば嬉しいです。
黄色の線が登山経路、紫は昼食後の下山ルートです。地図下方の道路は中央高速、右が東京方面で天井崩落の笹子トンネルに入ります。その上の道路が国道20号線、甲州街道です。左奥は塩山市と合併して生まれた山梨市になります。甲斐御岳山は「甲斐御嶽山」に訂正します。
12:00 甲斐御嶽山(大滝不動尊展望台)出発、12:05大滝不動尊分岐を左に折れて大滝不動尊に下ります。
12:05 落差140mの男滝です。この下に大滝不動尊があります。今の時期は水量が少ないようです。
小さなお堂を二つ(文殊堂、天狗堂)を右に見ながら下ると紅い橋が見えてきます。橋の上から右方を見上げると女滝があります。
12:15 大滝不動尊本堂着、お参りして下山を急ぎます。屋根の上に見えるのが男滝です。
本堂からの長い階段を下ってきました。道端にムラサキケマンが咲いていました。
大滝不動尊の本尊不動明王は、養老3年(719年)三光寺が天正天皇の勅願所となった際、下賜された尊像と伝えられ、三光寺に安置されていたものを、元慶4年(880年)金界坊阿闍梨に夢のお告げがあり、現在の山中に不動尊を移転され三光寺奥の院として創建されたものです。因みに三光寺はここから2km下にあります。
12:20 大滝不動尊の山門前広場には水洗トイレがあり登山者にとっては嬉しい施設です。朱塗りの門はH18年に修復されました。
ヒバと思われる林の舗装路を抜けて葡萄畑に下ります。1.5時間ほど歩いて「勝沼ぶどう郷駅」に向かいます。
13:50 勝沼ぶどう郷駅着、写真右方向の駐車場脇を通って大日陰トンネルに向かいます。
EF64機関車が展示してある公園の端から階段を上り、大日陰トンネル遊歩道に向かいます。
14:00 正面が今は遊歩道となった一番古い大日陰トンネルです。次に掘られたのが左の新大日陰トンネル(上り線)、真中が一番新しい新大日陰第2トンネル(下り線)です。
14:00 大日陰トンネル入り口から深沢方面出口を望む。
14:20 1367.80mのトンネルを抜けるのに20分かかりました。正面の旧深沢トンネルは周辺のワインメーカーが共同で使用するワインカーヴ(貯蔵庫)です。気温、湿度が一定なトンネルはワインの熟成に最適なようです。
トンネルを出て深沢川沿いの葡萄畑の道を15分ほど下ると国道20号線に突き当たります。国道20号線、柏尾橋のたもとに新撰組、近藤勇の像がありました。戊辰戦争ではこの辺りも戦場(勝沼柏尾の戦い)になったようです。深沢川はこの先で日川と合流します。大善寺まで5分です。
14:45 大善寺到着、休憩後車で「ぶどうの丘」に移動します。およそ8分かかります。
「ぶどうの丘」から甲州高尾山を望みます。葡萄が芽吹き葉っぱが生い茂る5月中旬までの眺望です。葉っぱが邪魔をしない高い場所もありますが、電柱、電線、建物などが入ってしまうのです。中心部の白い横長の建物が「勝沼ぶどう郷駅」で、その右側こんもりとした黒い森が大日陰トンネルです。
15:15 「天空の湯」到着、右は洋室13、和室8部屋を持つホテルとその駐車場になっています。
露天風呂から石和方面を望めます。山の向こうが甲府市、霞んでいなければ南アルプスが見られます。富士山は左手になります。入浴料金は600円、泉質は水素イオン濃度9.5%(P/H)の高アルカリ温泉で日焼けした肌を癒してくれました。
週末のNHK民謡放送予定です。興味のある方はNHKラジオ放送(FM)をお聴き下さい。次のURLでも聴けます。今日4日はテレビでも放送されます。
※http://www3.nhk.or.jp/netradio/
週末のNHK民謡放送 5月4日(土)12:30~12:55「民謡を訪ねて」NHK AM/FM放送 最上川舟唄(山形県)・・・・・・・・・・・・・・・大塚文雄 出演者:原田直之、横川裕子、松本理恵、剣持雄介、ゆかり、會澤あゆみ、堀ひろみ、(民謡ファミリー)中村優利、中村優美、中村滉己
<リクエスト集> |
山野に自生するケシ科の「ムラサキケマン」(紫華蔓)です。学名をcorydalisと言い、日本原産です。華蔓とは仏壇の飾りです(2010.5.18投稿参照)。花鳥や天女像が多い。本来は「ムラサキケマン」では無く、ケマンソウ即ちタイツリソウを言います。鯛の様にぶら下がっている花が華蔓に似ているからです。ムラサキケマンがタイツリソウと同属である事からケマンが使用されています。
大滝不動尊の階段の途中に咲いていました。右の寄せ植えの様な花は「ハナダイコン」です。