趣味と健康日記

清野明子(民謡歌手)の応援、登山、スポーツなど趣味と日々の健康を記す日記です。

JALで楽しい旅に出かけましょう。

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表銀座縦走報告 PART-3 (ヒュッテ西岳~槍沢ロッジ) CMT APVL、8/25 JGG 27'11"/5km

2015-08-28 00:01:00 | 登山&マラソン

 お早うございます。一気に夏から秋になってしまった感じの八月末ですが、本当に夏山シーズンが終わってしまうのでしょうか。今週末に山行をと考えていますが天候が気になり、夜も眠れません。(リーダーがです。) 高齢になって気になるのがスタミナです。スタミナアップに必要なものが「ミトコンドリア」、それを元気にするのがタウリン、ビタミンB群、鉄分だそうです。ミトコンドリアを増やす方法は適当な運動をして体にプレッシャーを与える事だそうです。要するに「適当に苦しいと感じる運動をして”タウリン、ビタミンB群、鉄分”を採る」ように努める事です。

スタミナアップ

 今日は今縦走のメインイヴェント、日本で第5位の標高(3180m)を持つ槍ヶ岳へのアタックです。ヒュッテ西岳を早立ちし、東鎌尾根に取り付き、午前中に頂上を目指したいと思います。高山は概ね午後から天気が崩れるのでヒュッテ西岳からの槍ヶ岳アタックはぎりぎりのタイミングです。登頂後は速やかに下山し、なるべく上高地に近いテン場まで下る予定です。

ヒュッテ西岳~槍沢ロッジ

16日
   05:15 ヒュッテ西岳発
   07:21 水俣乗越通過
   10:30 ヒュッテ大槍着(ザックをデポ)
   11:15 槍ヶ岳山荘着
   11:20 槍ヶ岳アタック開始
   11:45 槍ヶ岳登頂
   12:05 槍ヶ岳下山
   12:55 ヒュッテ大槍着(ザックをピックアップ、食事)
   13:16 ヒュッテ大槍発
   16:10 槍沢ロッジ着(泊)
RESULT: 標高差1360m(登りに限れば700m)、走破距離8.82km、所要時間11時間

夜明け

05:10 テント内(2680m)から東の稜線を撮影しました。横通岳(2767m) 左からの御来光です。右の山は常念岳(2857m)です。

朝日に輝く槍

05:46 テントを畳んで振り返ると東鎌尾根と槍ヶ岳が朝日に映えていた。左の大きな山体は大喰岳(おおばみだけ)3101mです。

さあ東鎌尾根へ

06:18 ヒュッテ西岳裏(2680m)から水俣乗越に向けて下ります。長い鉄梯子も有るので要注意です。

早速梯子場

06:33 岩場をトラバースすると15mほどの梯子場が有ります。

水俣乗越

07:21 西岳と東鎌尾根の鞍部は2480mの水俣乗越(みなまたのっこし)と言われています。左に折れると槍沢に下ります。
 
間の沢

07:22 槍ヶ岳に向かって右側の間の沢を俯瞰すると遠くに「鉢の木岳(2821m)」が見えます。その下には高瀬ダムも見えます。

槍沢

07:22 水俣乗越から左側の槍沢を望むと中央わずかに左に「屏風の耳」(屏風岩上部)が見えます。右上部の突起は北穂高岳です。右の高瀬川、左の梓川も結局は信濃川と合流し、新潟市で日本海に流れ込んでいます。

木製階段

08:05 ハイマツ保護の木製階段を尾根筋に向かって登りますがこの先には・・・

せっかく登ったのに

08:09 せっかく登ったのに、また下ります。この尾根には巻道が作れない厳しさが有ります。

振り返ると

09:55 岩場のアップダウンを繰り返し、後方を振り返るとヒュッテ西岳テント場と雄大な常念岳が重なって見えました。

見えたー

10:30 いくつかのピークを乗り越えると漸く「ヒュッテ大槍」(2884m)が見えてきました。重いザックをベンチにデポし、ペットボトルを入れたナップザックだけを背負って槍ヶ岳山荘に向かいます。

槍ヶ岳

10:41 延々と続く岩場を登ります。この辺りを左に折れると「殺生ヒュッテ」が有ります。

殺生小屋

10:41 赤い屋根の殺生ヒュッテ(2860m)、中房温泉系の山小屋です。下の沢は槍沢です。

槍直下の岩場

10:56 槍ヶ岳直下の岩場を超えます。

クライマー

11:15 ガレ場をトラバースして槍ヶ岳山荘前(3080m)に到着、広場ではガイド(右)についてククライミングをする登山者(左)がブリーフィングを受けていました。小槍を登るようです。

登攀開始

11:20 槍ヶ岳登攀開始です。岩場に取り付く登山者は土曜日の昨日よりは少ないようです。 頂上までの標高差は100mです。向うに見えている突起が「小槍」です。ここはロッククライミングでないと登れません。

梯子
 
11:32 思い出したようにデジカメを取り出して下方を撮影しました。殆ど垂直です。

上方

11:34 上方を仰ぐとリーダーに励まされながら赤シャツの女性が「3点確保」(or3点支持)の手掛かりを求めて悪戦苦闘していました。筆者の場合、この程度の岩場ならスイスイ登れそうです。

登頂

11:45 槍ヶ岳山頂(3180m)にて、この時の為に持参したヘルメット、重かったです。捨てようかと思いましたが、ゴミになるので持ち帰りました。W 周囲を一回りする余裕もなくさっさと降りてきましたが小槍の写真は撮りたかった。(

鉄梯子

11:46 頂上への鉄梯子は二つ有り、左側通行で登ります。従って左に見える梯子は下り用です。途中の岩場の梯子にはスタッフが配置され、無線機を使用して登りと下りの登山者が交互になるように管制しています。右の稜線の右(西側)は霧で視界無し。東側は穂高連峰が見えていました。

山荘俯瞰

11:47 降りる直前に槍ヶ岳山荘を撮影しました。稜線の先には大喰岳(おおばみだけ)が見えています。この先は中岳、南岳、北穂高岳と穂高連峰が続きます。ジャンダルムが見えなかったのが残念です。

下山道

12:07 登攀に要した時間は約45分、雨に遭わなくて良かった。此処からザックをデポしたヒュッテ大槍に引き返します。

昼食

12:55 遅い昼食、ヒュッテ大槍でのカレーは久しぶりのカレーで美味しかったがコーラは体が受け付けず、山小屋スタッフに捨てて頂きました。牛乳が欲しかったのですが・・・・

槍沢を下る
 
13:16 食事後槍沢を下ります。登山道はジグザグのザレ場で歩きにくいです。

水場

14:05 槍沢最上部の水場「水沢」です。ここが梓川の源流かもしれません。タオルを冷やして鉢巻きにしました。

天狗原分岐

14:27 天狗原分岐(2325m)、右に登れば槍ヶ岳山荘、沢を横切ようにまっすぐ進めば天狗池を経由して南岳方面に至ります。

雪渓

14:58 「槍沢大曲り」(2130m)付近の雪渓は踏み抜かないように左サイドを慎重に下ります。

水俣乗越分岐

15:10 水俣乗越分岐(2090m)、左側から流れ下る沢を登れば水俣乗越です。この沢を横切り上高地方面に下ります。

ババ平キャンプ場

15:36 ババ平キャンプ場(2001m)が見えてきました。河原にあるので豪雨時は怖いです。

槍沢ロッジ

16:10 漸くたどり着いた槍沢ロッジ(1820m)です。明日は雨が予想されるのでキャンプは止め、今夜はロッジに泊まります。

風呂

久しぶりの風呂ですが石鹸の使用は禁止、それでも気持ちよかった。コントローラで追い炊きも出来ます。

ロッジ内部

木造二階建てのロッジは山小屋にしては大変立派なつくりでした。ここにはスキー場のような乾燥室が有り、濡れた雨着、シャツ、テントなどを干してザックの軽量化を図りました。有りがたく感じた宿でした。それに比べ明日は雨が確実で気が重いです。

チングルマ

 HANA

 上の写真は東鎌尾根で撮ったバラ科の落葉小低木「チングルマ」の綿毛(種)です。下が綿毛になる前の花です。コマクサなどと共に高山に咲く代表的な植物です。草丈はおよそ10cm、雪解け後の湿地などには大群落になります。白い花が風車に見える事から和名で「稚児車」と呼ばれるようになりました。原産地は日本、カムチャッカ半島

表銀座縦走報告 PART-2 (合戦小屋~ヒュッテ西岳) CMT DISAPVL、8/22 JGG 28'34"/5km

2015-08-24 00:01:00 | 登山&マラソン

 お早うございます。大阪での「中一遺体遺棄事件」については被疑者、被害者双方の行動に病んだ日本の社会を感じます。経済活動を優先するあまり、24時間営業の店も多く、未成年者の深夜徘徊を容認する風潮は決して良い結果を招くとは思えません。45歳にもなって弱いものを死に至らしめる容疑者には厳罰を以て償いをして欲しいと願うばかりです。同時に中学生の男女を深夜徘徊させる大人達の常識を疑ってしまいます。

 表銀座縦走二日目は合戦小屋を早立ちし、燕岳、大天井岳をクリアしてヒュッテ西岳のテン場まで歩きます。

 15日
     05:30 合戦小屋発
     06:51 燕山荘着(ザックをデポ)
     07:13 燕山登頂
     07:42 燕山荘発
     11:41 大天井岳登頂
     16:10 ヒュッテ西岳着(テント泊)
RESULT: 標高差552m、走破距離11.34km、所要時間10時間40分

合戦小屋~ヒュッテ西岳

 二日目は合戦小屋からヒュッテ西岳までの11.34kmを縦走しました。長い急登は有りませんが距離が長いので疲れました。

合戦小屋テン場の朝

05:28 夜露に濡れたテントを畳んでザックに詰め込んで出発です。前日の疲れでご来光を拝するのを忘れました。W 朝食はパンとコーヒーでした。

大天井岳&槍ヶ岳

06:05 合戦小屋を出発後しばらく登ると大天井岳と槍ヶ岳が見えてきます。槍の左手には穂高連峰も見えています。

燕山荘1

06:26 平らな尾根に登ると燕山荘が見えてきます。あと30分、頑張ろう。

燕山荘2

06:51 燕山荘に到着、山荘前にザックをデポして燕岳を往復します。緩い坂で歩き易いので15分も有れば登れます。(標高2664m)

めがね岩

07:05 大きな岩を振り返ると穴が二つ、めがね岩だそうです。撮影をする人が多かった。私もその一人でした。W
 
燕岳山頂

07:13 標高2763m燕岳登頂、登山道は白い砂礫になっていますが山頂は丸い花崗岩がゴロゴロしています。

北アルプス南部の眺望

07:14 燕岳山頂からの眺望、左から大天井岳、遠くのトンガリが前穂高岳”釣り尾根”を挟んで奥穂高岳、深く切れ落ちたところが北穂高岳と南岳に挟まれた”大キレット”そして右端雪渓の上部が槍ヶ岳です。

イルカ岩

07:29 登りでは気が付かなかった”イルカ岩”です。うっかり見過ごしてしまいそう。

縦走開始

07:42 燕山荘を左に見てヒュッテ西岳に向け長い縦走開始です。この辺りから槍ヶ岳までの登山道は”喜作新道”と呼ばれていますが大正初期(大正9年ころ)に安曇野市穂高生まれの猟師、小林喜作氏が後に「表銀座」と呼ばれているこのルートを切り開いたとされています。細部について言えば喜作レリーフが有る「大下りから槍ヶ岳」間を喜作新道と呼ぶべきかもしれません。

快適な尾根道

07:54 素晴らしい尾根歩きが約束されます。この尾根を歩きたくて苦しい合戦尾根を上ってくる登山者も多いと思われます。槍ヶ岳の右、斜め下に伸びる尾根は「北鎌尾根」と言い冬山で遭難者が相次いだ尾根です。その向こうの右に続く雪渓が残る尾根は「裏銀座」です。

蛙岩

08:18 蛙岩標識を左に見て先を急ぎます。

ゲエロ岩

08:19 この辺りの人はカエルの事を”ゲエロ”と言うのでゲエロ岩とも呼ばれています。どこがカエルなのか良く判りません。W

大下り

1034 ”大下り”の底部はキレットになっていて鉄梯子が設置してあります。最低部の右側に有る平たい岩の真中に四角の黒い「喜作レリーフ」が見えます。国土地理院は此処を「切り通し」と言っていますが「切戸」(キレット)の方が正しいと思います。此処を切り通しと言うなら谷を登って左右の谷に人が通り抜ける場所でなければなりません。切り通しと言うのは人間が通りやすく切り開いた場所を言います。こんな危険な場所に「切り通し」を作って左右に通り抜ける人など皆無です。W 

喜作レリーフ

 喜作レリーフ(標高2660m):大正9年に小林喜作氏が新道を切り開いた功績を称えて彫刻家の小川大系氏が制作しています。製作年月日は見えませんでした。此処から大天井岳までは標高差262mを一気に登ります。

ヒュッテ大天井分岐

10:49 大天井ヒュッテへの分岐です。左に折れて大天荘に向かいます。この登山道は”ガレ場”になっていて大変歩きにくくなっています。

大天荘

11:31 大天荘到着、早速ザックをデポして大天井岳アタックです。標高2875m、あと47m登ります。W

大天井岳

11:41 大天井岳(2922m)登頂、次の日は左の尾根を登って槍ヶ岳に向かいます。槍ヶ岳の右にある小さなピークは「小槍」です。「アルプス一万尺、小槍の上でアルペン踊りをさあ踊りましょ」と歌われる”あの”小槍です。

冷やし中華

12:00 食欲がないのでさっぱりしたものをと考え、大天荘で「冷やし中華」を食べました。¥1,000
因みに大天荘は
合戦小屋、燕山荘、ヒュッテ大槍と同様に登山口下の有明荘をベースにしている山小屋です。

ヒュッテ西岳へ

12:26 今夜のキャンプ地、ヒュッテ西岳へ向けて長い稜線歩き開始、概ね樹林帯が多いものの、痩せ尾根有り悪場ありの喜作新道です。

悪場

12:45 早速の悪場、ここはどうにかしないと近い将来通れなくなりそうです。このトラバース道を回り込むと大天井ヒュッテが見えてきます。

ヒュッテ大天井岳

12:50 突然の様に眼下に大天井ヒュッテ(2650m)が現れます。ヒュッテを通過後、喜作新道は左に折れ、2766mの山を巻いて進みます。

びっくり平

13:44 巻道が終わると小さな広場に出ます。「びっくり平」です。

槍と間の沢

13:51 槍ヶ岳と雪渓が残る”間の沢”です。この景色を見て「びっくり」したのかもしれません。右に落ちる尾根が北鎌尾根、左が明日登る東鎌尾根です。

痩せ尾根歩き

14:48 しばらくは痩せ尾根歩きが続きます。稜線の風が心地よかったがふらつくと怖かった。

あと1.3k

14:56 あと1.3kの標識にホッとしました。向うに常念岳が見えています。

ホッとするひと時

15:55 ヒュッテ西岳の赤い屋根が見えてきました。明るいうちにテン場に到着できそうでホッとしました。

ヒュッテ西岳テン場

16:14 ヒュッテ西岳のテン場前景です。岬の突端のような場所です。

テント設営

17:05 なるべく水平に近い場所を選んだ結果、ここになりました。左が入り口で東になります。西風が吹いたら体ごと谷底に吹き飛ばされそうです。この後にペグを増やして補強しましたが土壌が柔らかく心配でした。反省としては持参したザイルを右奥(反対斜面)のハイマツに縛り付けておけば良かったと思います。
※この日は早めに休んで明日の東鎌尾根、槍ヶ岳岩場に備えました。谷底とは違ってラジオが聞けたことが良かったです。

オヤマリンドウ

 喜作新道に咲いていたリンドウ科の多年草「オヤマリンドウ」です。和名の「御山竜胆」、根茎が竜の肝の様に苦い事から命名されたようです。古くから健胃薬として用いられてきました。日本固有種であり、東北地方から中部、四国(石鎚山)に分布しています。
 

表銀座縦走報告 PART-1 (中房温泉~合戦小屋) CMT DISAPVL、 NO JGG

2015-08-22 00:45:37 | 登山&マラソン

 お早うございます。先日まで報道各社は日本航空123便の事故、戦争憎悪記事ばかりを特集していたようですが、山行ではラジオも携帯も受信できず、煩わしい事を考える事無く、ひたすら景色を楽しむ事が出来ました。当初13日の出発予定でしたが、5分ほど家を出るのが遅れて電車とバスに間に合わず、一日の順延となりました。しかし結果的にはこの事が天候に恵まれた最高の縦走になりました。とは言うものの晴れたのは縦走中の15日と16日のみ、初日及び最終日は雨に祟られ最悪でした。

14日 
05:45 自宅発
   07:30 新宿駅発(スーパー特急あずさ)
   10:44 穂高駅着
   10:55 穂高駅発(中迫温泉行定期バス)
   11:50 中迫温泉着※この頃から雨が降る。
   12:30 登山開始
   16:48 合戦小屋着(テント泊)
RESULT:標高差800m、走破距離2.52km、所要時間4時間18分

※一般的な所要時間は3時間なので、1時間は余計にかかりました。体調が良ければ燕山荘まで登れたのに残念! 次回の登山では余計なものは持たない事にします。W

表銀座縦走マップ  

北アルプス表銀座コースはピンクで示したルートを歩く事になります。地図右上の中迫温泉から合戦尾根を上り燕山荘下の合戦小屋テント場泊まりです。第一日目は中房温泉から合戦小屋(予定は燕山荘)です。

穂高駅前   

10:51 穂高駅前バス停、10時55分発の中房温泉行のバスです。右のワサビ店で生ワサビを買いたかったのですが、ザックが重くなるので諦めました。

中房温泉    

12:01 中迫温泉到着時はすでに雨模様、雨着を着て登ります。正面の売店で行動食を買い、左のトイレを使用後登山届を提出して出発です。売店前を左に入ると登山口です。

登山開始

12:30 先行する若者と一緒に出発したのですが直ぐに見えなくなりました。彼は燕山荘のテン場まで登るようです。

第一ベンチ

13:16 登山開始後45分、第一ベンチ通過、雨は小降りになりました。

第二ベンチ

14:04 第二ベンチ通過

第三ベンチ

15:06 第三ベンチ通過

階段

15:47 赤土系で滑りやすいので木製歓談が設置してあります。ザックが28kgと重いので階段がきつかった。

富士見ベンチ

15:58 富士見ベンチ通過、雨は止んだものの霧が発生していたので視程は約100m、何も見えません。

合戦小屋

16:48 合戦小屋に到着、雨着の中は汗で濡れ、熱中症ぎみでした。合戦小屋名物のスイカ、800円(1/6)ですが食欲がないのでそのまた半分を500円で頂きました。合戦尾根は烏帽子岳ブナ立て尾根笠ヶ岳笠新道とともに、北アルプスの三大急登と言われていますが聞きしに勝る「苦しさ」を味わいました。ザックが28kg、重過ぎました。

ケーブル

16:56 ザックをテン場に下ろしトイレを借りに行く時に撮影した合戦小屋専用ケーブルカーのヤグラです。写真の右に下るとトイレ、左に登れば燕山荘です。テン場は写真左上部、ケーブルの末端付近にあります。 

夕食

18:21 テントを設営し、お湯を沸かして味噌汁の素を加え、持参したご飯とトマトを入れて「おかゆ」にして食べました。ストーブが不完全燃焼でテント内が苦しかった。原因はポンピング不足だったようです。トホホホ

※Part 2 will be raised few days later.


トリカブト

 夏から秋にかけて山中で見かける事が多いキンポウゲ科の多年草「トリカブト」です。大きいもので丈が1mになります。花の形が舞楽で使用する鳳凰の頭を模した兜に似ているので「鳥兜」になったようです。根を乾燥させたものには毒性があります。反面昔から薬草としても使用されます。春先の二輪草などに良く似ています。全体的に毒性があり、山菜と間違って食べて事故になる事も多いので注意が必要です。クジラなど猟をするときの毒矢にも使用されてきました。原産地は中国です。写真では葉っぱの位置が左側になりますが茎が右側に倒れこんでいます。


3泊4日の縦走でした。

2015-08-17 21:08:04 | 登山&マラソン

 こんばんは、14日~17日の間、燕岳から槍ヶ岳の縦走をしてきました。第一日目と最終日に雨に祟られたものの槍ヶ岳登頂は叶いました。後日その模様を報告したいと思います。疲れました。W

槍ヶ岳

 「ヒュッテ大槍」にザックをデポし、槍ヶ岳山荘に向かい、そこから頂上アタックです。西側の双六岳方面は霧がかかって見えなかったのが残念でした。


四阿山登山報告PART-2(ヤナギラン) CMT DISAPVL、8/8 JGG 27'11"/5km

2015-08-09 01:06:01 | 登山&マラソン

 お早うございます。集団安全保障法制を進める安倍政権にとって大事な局面を迎えている国会ですが、自民党国会議員の一言が野党から大反発を受けているようです。礒崎陽輔首相補佐官の「安保法制と法的安定性は関係ない」発言は現憲法制定後長い間付き纏ってきた考え方で、この問題を解決するには憲法を改正するしか方法が無いと思います。もう一件は自民党衆議院議員武藤貴也氏(36歳)によるSEALS批判発言、「彼ら彼女らの主張は『戦争に行きたくない』という自己中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」と言うもので、これまた最もな話です。しかしそれ以前に安倍政権は戦争を肯定していない事も明白で民主党が戦争と言う言葉を巧みに利用し、若者や女性を安保法制反対に導こうとしています。戦争にならない、しないための安保法制、是非国会を通過させて欲しいと願っています。SEALs(Students Emergency Action for Liberal Democracy - s)とは安全保障関連法案の反対運動をする学生団体「自由と民主主義のための学生緊急行動」の事で「共産党≒SEALDs≒朝日」とも噂されていますが新聞、テレビなどでの説明はありません。反政府的な報道は好んで行うのものの、政府を応援するようなデモなどは一切報道しないのが日本のメディアです。「朝日新聞を読み、反戦、反政府的な事を発言するのが知識人」なのでしょうか・・・戦争を好む日本人なんて居ません。スイスには人口以上の人達を収容可能な核シェルターが有ると言います。日本も津波ばかりでなく本気で核シェルターの建設に取り組むべきだと思います。国連が何の役にも立っていない現状では何が起こるか判りません。

 今日は「四阿山登山報告PART-2」、四阿山から根子岳経由で菅平牧場駐車場までの下山ルートの紹介です。 

四阿山周回コース

 友人のSapphireさんが訪ねたことが有ると言う「米子大瀑布」はカルデラ北部の低い場所にありますが落差85mと言う大滝の存在は初めて知りました。Sapphireさんありがとうございました。

四阿山頂上にて

09:26 深田久弥の日本100名山に列せられる四阿山頂上(2350m)にて、先着登頂者に相互撮影を頼みました。時折霧が流れる頂上付近の視程はおよそ2km程で眺望はありません。

根子岳分岐

0945 18分ほどで根子岳分岐に戻りました。デポしたザックは無事で元の場所にありました。W 尾根を直進して大スキマに下ります。

分岐通過後の悪場

09:46 分岐通過後に下る悪場(わるば)、雨の後は濡れて滑りやすい。

クマザサ道

09:55 四阿山⇔根子岳間の登山道は登山者が少ないのかクマザサに覆われた道も有りました。雨の後はスパッツも要るかも。

木の根

10:06 
登山道では木の根っこがむき出しの道が珍しくないが、濡れている場合は滑るので注意を要します。木や石などにつかまって下るようにしたい。

爆裂火口

10:11 中央部の窪んだ所が根子岳の爆裂火口ですが、霧の為はっきりしません。下の草原は鞍部となっている大スキマです。

大スキマと四阿山

10:30 食事を決意したテラス付近から振り返ったクマザサ原の大スキマ(2039m)と四阿山(左寄り)の眺望です。このアングルを好む登山者も多いようです。

昼食

11:07 根子岳から下山してきた登山者の情報によると「頂上付近は学生の集団でいっぱい」と言う事なので此処のテラスで昼食を摂る事にしました。カップラーメンとパン、デザートはトマトとキウイ、空腹時は何でも美味しいです。

怖いテラス

畳一畳ほどのテラスで食べたカップラーメンの向うに見えるのは根子岳爆裂火口の下部、テラスの上に立つと結構怖い。

山頂直下

11:35 11:30ごろにテラスを出発、頂上直下から爆裂火口を望んでいます。煙も見えず安定しているので噴火の心配はなさそうです。

根子岳山頂

11:40 花の100名山「根子岳」(2207m)の頂上です。

方位板

11:44 頂上には方位板も有りましたが、視界不良ではどうしようも有りません。

米子大瀑布分岐

11:45 直進すれば米子大瀑布、ゴルフ場方面に下りますが我々は左に折れ、菅平牧場に下ります。

クガイソウ

登山道脇に咲いていたオオバコ科の多年草「クガイソウ」(九蓋草、九階草)です。オカトラノオと間違えそうですが、クガイソウは葉が輪生するので区別できます。オカトラノオは葉が互生です。

東屋からの展望

12:37 東屋付近からの菅平高原中心部の展望です。菅平牧場、根子岳登山口(赤い屋根付近)が見えています。

根子岳登山口

12:53 根子岳登山口に設けられた計測器、登山者の数をチェックしているようです。

菅平牧場トイレ

12:55 無事に菅平牧場に下山、トイレから牛が草をはむ牧場を望んでいます。この下30m程のところに菅平牧場直営のミルクスタンドがあり、牛乳、ソフトクリームなどが売られています。

プリンスホテル

13:14 避暑地とは言え、車内は暑いので急いで温泉に向かいます。菅平プリンスホテルです。入浴料金は500円とリーズナブルですが、施設は古い!

裏妙義

15:22 帰宅途中の横川付近から見た妙義山、裏妙義も登ってみたい岩山です。高速道の発達でマイカー登山が便利になりました。来週13日からの北アルプス山行は電車利用になるので困りました。1か月前に夜行特急を予約を試みましたが空きは無し、穂高駅付近の宿も予約でいっぱい、野宿するしかないようです。トホホホ

ヤナギラン

 根子岳登山道を少し上った所に群生していたアカバナ科の多年草「ヤナギラン」です。柳に似た葉を互生に付け、長い花穂にピンクの花を咲かせます。以前に沼山峠
から尾瀬沼に出かけた時にヤナギランの群生地(ヤナギランの丘)が有った事を思い出しました。そこは 水芭蕉、ニッコウキスゲ、ヤナギランが人気の様でした。草丈は1m以上にも育ち群生すれば見事なピンクの林になると思われます。


四阿山登山報告PART-1(ノリウツギ) CMT APVL、8/3 JGG 27'35"/5km

2015-08-05 00:01:00 | 登山&マラソン

 お早うございます。先月31日、苫小牧沖で発生した商船三井フェリーが運航する「さんふらわあだいせつ」(1万1401トン)の火災ですが保冷車が出火元と考えられますが、4時間に一度の見回りでは異常が発見されずアラームが鳴ってスプリンクラーが作動した時には既に火災が拡大してしまっていたようです。保冷車の電源はフェリー側のコンセントから給電されていますが人気のない車両デッキでの電気火災はスプリンクラー(水)では消化できません(電気火災にはCO2消火器が有効です。)。今後早急に対策を講じる必要が有りそうです。旅客機のエンジンの様に火が出たら自動的にCO2消火器(fire extinguisher)が作動するようにすべきかもしれません。余談ですが飛行機の場合それでもダメな場合エンジンを切り離して落下させる機能も有ります。今回の場合火災報知器が正常に作動したかどうかも問題になりそうですが冷凍機を自動消火タイプにするのがベストのようです。

 遅れましたが先月28,29日に菅平高原のバックボーンとなっている日本百名山、「四阿山」(2354m)に登ってきました。「あずまやさん」と読みますが、「東屋」の古い字のようです。28日の午前中に出発し菅平の民宿に進出、29日の早朝に民宿を出発、菅平牧場の駐車場から登山を開始しCCWで四阿山、根子岳を回り、駐車場に戻る周回コースを選択しました。標高差762m、所要時間6時間30分、走行距離9.5kmの山行でした。※歩数計は15700を数えました。

新勝寺

 移動日の28午後、長野県佐久市にある成田山薬師寺に立ち寄り、お詣りしてきました。山門の左手前にあるのがピンコロ地蔵尊です。

ピンコロ地蔵尊
 
 ピンコロ地蔵尊は高さ約1m、直径約60cmで、2003年(平成15年)9月の建立なので12年前に建立されたと言う事です。

ピンコロ地蔵尊

 近くの千曲市には姨捨山(うばすてやま)も有る長野県ですが、佐久地方が「長寿の里」と言われている事を初めて知りました。長生きをすると捨てられたのかも知れません。
 

ペンションRing

15:35 早めのペンション到着です。菅平中心部から5分ほど谷筋を上った所にあります。

夕食

 28日、ペンションでの夕食です。1泊夕食付で5950円、後からご飯と味噌汁、デザート(桃)が出ます。半月の皿は馬刺しですが目をつむって食べました。升酒は純米吟醸生酒「翠露」700円、果実酒のような不思議な味の日本酒でした。お酒は10年ぶりだったかも。W これだけで胸の皮膚が斑(マダラ)になってしまいました。

四阿山登山ルート

 全長9.5kmの四阿山、根子岳周回コースですが左回り(CCW)に歩きました。根子岳南側には爆裂火口が見えましたが連山北側にある直径3kmの窪みは34万年前の噴火により形成されたカルデラです。

菅平

05:40 菅平の国道406号線沿いでは早朝から学生たちによる急坂での高地トレーニングが行われていました。写真はスキー場を使用しての散歩の様です。

菅平牧場

05:46 菅平牧場内を登山口に向かって登ります。広いです。帰宅時にこの付近にあるゲートで一人200円の駐車料金を支払います。

ミルクスタンド

06:30 駐車場の反対側にある菅平牧場直営のミルクスタンドです。付近にはヤギなど動物とのふれあいコーナーも有りました。子供たちには人気の様でした。



登山口へ

06:32 トイレの前を右手の塀に沿って5分ほど歩くと左手に登山道入り口が見えてきます。

森林浴

06:40 暫くの間、左手の柵沿いそ登ります。朝もやに包まれた高原の素晴らしい森林浴を楽しみます。

ウスユキソウ

07:03 サウンド オブ ミュージックで大佐が歌った「エーデルワイス」と同属のウスユキソウです。

ハクサンフウロ

07:04 フウロ科の多年草「ハクサンフウロ」、高山の草原や湿地に生えます。5裂した葉と筋が特徴です。

ウツボグサ

07:14 シソ科の多年草、「ウツボグサ」です。花は穂状になっています。花は利尿剤になるそうです。

ホタルブクロ

07:18 キキョウ科の多年草、「ホタルブクロ」です。

ハギ

07:37 マメ科の落葉小低木「ヤマハギ」です。

ツリガネニンジン

07:39 キキョウ科の多年草「ツリガネニンジン」です。

クロマメノキ

07:40 ツツジ科の高山性落葉低木「ムロマメノキ」です。岩場に近づくとみられる。ジャムなどにして食用にもなる。

小四阿山

07:40 小四阿山、これまでピークらしいピークは無かったのでここが小四阿山だと思います。それにしても「タボス牧場(小四阿山)」の表示はおかしい。

視界不良

07:47 南斜面を望むが視界不良、わずかに牧場らしい原っぱが見える。

尾根歩き

07:49 ミヤマハンノキ、ダケカンバの幼木をかき分け尾根道を登ります。

クルマユリ

07:56 ユリ科の多年草「クルマユリ」です。高山に自生する。一般的なユリと比較し、葉が輪生するところが特徴です。花の直径は6cmと小さく、花弁が極端に反り返るのも特徴です。

マツムシソウ

08:06 マツムシソウ科の多年草「マツムシソウ」です産地の草原に自生し大きな頭状花を咲かせます。

ハクサンオミナエシ

08:08 オミナエシ科の多年草「ハクサンオミナエシ」です。高山に自生し、普通のオミナエシが1mと大きいのに対し、背丈が短い。流石に花の百名山根子岳への登山ルートでした。

中四阿山

08:35 中四阿山ピークには立ち入り禁止のロープが張られていて登れませんでした。

あと一息

08:37 切れ落ちた斜面を右に巻いて林の中を登ります。

菅平高原分岐

08:58 この分岐で細い道を右に折れると菅平高原に下ります。尾根道の根子岳分岐に向けて直進します。

根子岳分岐

09:08 四阿山と根子岳の分岐です。右に折れると四阿山、ザックをデポして四阿山を往復します。

社

09:22 頂上かと思いそうな高台の社、頂上はもう少し先でした。謂れは読まずに通過

四阿山頂上

09:24 標高2354m、四阿山山頂です。ガレ場になっていてここにも社が有ります。霧が立ち込め下界は見えませんでした。

ヒメシャジン

山頂付近の岩場にひっそりと咲いていたヒメシャジン、沙参(シャジン)とはツリガネニンジンの漢名であり、背丈が小さく変化したものをヒメシャジンと呼んでいます。

PART-2 は四阿山から根子岳経由で菅平牧場へ下山ルートの報告です。


ノリウツギ

 菅平のペンション「RING」前の雑木林に咲いていたユキノシタ科の落葉低木「ノリウツギ」(糊空木)です。ガクアジサイ、ヤマアジサイの様にも見えますが、花が皿状ではなく円錐花序になっています。この辺りの道路脇に沢山咲いていました。樹皮の内皮を剥いで水に漬け、浸みだした粘液を和紙を漉(す)く時に使用する「糊」(のり)として使用したことから別名「ノリの木」と言われるようになったようです。この糊は接着の為ではなく、漉いた和紙がくっつかないようにする為だそうです。原産国は日本、中国、台湾などです。