Japanese folk(Minyo) singer "Akiko kiyono" support blog
民謡歌手「清野明子」応援ブログ
当ブログは横浜市出身の日本民謡歌手、「清野明子」さんの応援を目的に活動致します。
「秋田船方節」
この歌は毎年行なわれる「民謡フェスティバル」でも必ず唄われる人気の高い民謡です。「船方節」と言う名前が示すとおり歌詞は男性的ですが、近年は女性の歌い手により唄われる事が多くなりました。また、清野明子さんはこの唄で優勝された事もあります。
(ハァーヤッショ ヤッショ)ハァーハァー(ヤッショ ヤッショ)
三十五反の (ハァーヤッショ ヤッショ)
帆を巻き上げて(ハァーヤッショ ヤッショ)
鳥も通わぬ 沖はしる
その時時化に 遇うたなら(ハァーヤッショ ヤッショ)
綱も錨も 手につかぬ
今度船乗り やめよかと(ハァーヤッショ ヤッショ)
とは云うものの 港入り
上がりてあの娘の顔見れば(ハァーヤッショ ヤッショ)
辛い 船乗り 一生末代
孫子の代まで やめられぬ(ハァーヤッショ ヤッショ)
秋田民謡協会の[解説] を次に示します。
今唄われている「秋田船方節」の元唄は「船川節」だと言われている。山陰島根の「出雲節」が北に運ばれ各地に船唄、船方節となって定着したと伝えられているが、これ等の唄に共通な「三十五反の帆を巻き上げて」という歌詞などでも其の間の消息を知る事が出来そうだ。
この唄を今の形に纏(まと)めあげたのは、この地域出身の森八千代で独特の節廻しで公演したのが、大正の末期から昭和年代へかけての事である。そして更に広く知られる機会を作ったのは、秋田の歌い手佐々木常雄が、昭和33年のNHKのど自慢で唄って優勝した事による。このときの伴奏陣は三味線浅野梅若、尺八は畠山治蔵というオールメンバーだった。これに追い打ちをかけるように昭和38年には田中アエ子、続いて日本民謡大賞で小野花子の両氏がこの唄で日本一になった事で秋田民謡の王座を占めるようになった。
*以上「フジオ ロクボン出版の「民謡学校」より抜粋」