住まい・あ・ら・か・る・と

建築士・インテリアコーディネーター・そして介護福祉士として、生きるための器としての住まいへの想い

春となり

2017-01-30 15:48:45 | 日記
「冬の晴れは三日続かん」とは母がよく口にしていた言葉です。

それでも、小寒、大寒の寒さが少し緩んできたような気がします。今日はoffだったので、部屋のインテリアを替えて、植木鉢をベランダに出してみました。今週末は立春です

春の写真を撮りに行きたいと思っているのですが、行こうと思うとお天気が悪くて今年はまだ撮れていません。でも、実はこの一年でスゴク目が悪くなったのです。

以前にもこのブログでアナウンスしてますが、白内障になってしまって、最もこの病気は老人性というくらいで高齢者の方が多い病気なのですが、不幸にも私はこのトシでなってしまいましたとはいえ、40代くらいから発症し50代では半数程度が見えにくくなっているという数字もありますから、それを考えれば妥当なのかなと思っています。47歳くらいから老眼を意識し始めましたが、その見えにくさが実は白内障の初期症状だった可能性もあるとか。病気とは上手く付き合っていけばいいと思っていますが、目が不自由なのはちょっと困りました。

そういうわけで、来月片目だけ手術することに決めています。体験談や眼科医の書かれた本も読みましたが、自分がどうなるのかは判りません。不安はあります。ま、しょうがない…

それでも美しい自然が観られるようになることを信じて、弥生の空を待ち望んでいます



妹ブログもあるよ

冬晴れ良きかな

2017-01-26 21:38:31 | 日記
いやぁ、今日は一日すっきりと晴れて気持ちの良いお日和でした

洗濯して布団干して、植木鉢を部屋から出してたっぷり水をやって、なんだか細胞が一気に元気になったような気がします

夕方新聞屋さんが集金に来られて、毎日寒いのにありがとうございます、とお話したら、ココ2,3日はグッと寒くて、車のドアが開かなかったと話されていました。新聞屋さんはだいたい5時頃ウチに届けてくださいます。私も介護のパート仕事に行く時は朝6時に出ますけど、フロントガラスはカチカチですが、ドアはまだ大丈夫なので、それ以前の時間はきっともっと寒いのだろうなぁ、と思いました。

早く春が来て欲しいですねぇ、と話しました

でも、冬の間は野菜がたくさんあって、とても嬉しいです。私はよく楠こもれびの郷というところの野菜直売所で野菜を買うのですが、新鮮でとてもおいしくいただいています

直売所ですから、当然ですが季節の野菜しかありません。天候が悪ければ品物が並んでないこともあります。スーパーのように多様な野菜は並んでいませんが、私の実家は兼業農家だったので、母親はあるもので料理を作っていてそれをずっと食べてきましたし、子どもを出産して数年は同居していたので、母の作る野菜を毎日畑から取ってきては、献立を考えて食事を作っていました。

夏はトマトと茄とピーマンの料理ばかりだったりします。冬は葉物が充実しています。端境期にはちょっと悩みます。でも、旬の野菜を食べると身体にもいいような気がします




寒くなりました

2017-01-12 11:18:22 | 日記
お正月ウィークはことの他温かく、我が家では恒例の元旦温泉日帰りイベントで露天風呂に浸かって、真っ青な空を眺めながら、雪見風呂をした年のことを思い出していました

七草もとりあえず食べて、鏡開きも済んで、ここにきて寒い

こういう季節が動く時には暦の本を開いてみます。春夏秋冬の季節の巡りは頭では解っていても、エアコンなどの冷暖房機器等が発達し、そういう人工的な環境の中で過ごす時間の長い現代では、水の冷たさや風の匂いや空の囁きからは遠い存在になったような気がします。

昭和40年生まれで、便利な機械がどんどん増えていくことに幸せを感じてきた自分としては、敢えてそういう自然なものを遠ざけて生きてきたようにも感じます。

が、モノの溢れている昨今、ちょっとそういうモノと距離を置いてみると、季節の巡りを言葉で現した暦に関心を持つようになりました。

で、寒の入りを迎えました。立春になる寒の明けまでの約一ヵ月が寒の内。今日は小寒の次項で「水泉動く」にあたります。地中で凍っていた泉が動き始める時とありますが、今から凍るんではないのか?なぞと思ったりします。「小寒の氷、大寒に解く」という言葉もあります。

こういう言葉を目にすると、「今は寒いけどその先には温かい光がある」という気分になりますねそういう言葉の力に救われることも防寒対策かな

年の初めに

2017-01-02 17:35:13 | 日記
新年あけましておめでとうございます。

年末年始は無事に処々の行事を終えて新しい年を迎えることができました。

大きな悲しみも憂いもなく迎えられたことに感謝しています。丁度10年前には大学病院に入院していました。ほとんど絶望の状態でした。それから、いろんなことがありましたが、時間はその時々の想いを記憶の彼方へ押しやってくれて、思い出になったことも数多くあります。

本を読んでいて、「人は自分の人生を縦にみる人と横にみる人がいる」という一文に出会い、私的にはかなりビックリしたことがあります。縦にみる人は何歳までに何をして歳を重ねた自分がどうなっているかをイメージしながら毎日を過ごす人。振り向くと眼下に過去が広がっている。横にみる人は自分が大きな河の流れのなかでいろんな岸辺に寄るようなイメージ。振り向いても大きな河がたゆたっているだけで上も下もない。と。私はそれでいうと、「縦にみる人」に該当します。

何歳までに何をして、自分はどういう自分になっているか、と。そのために今は何をして…と算段する。
自分独りの人生だったら、それで生きていけたような気がします。でも、家族を持つとなかなか予定通りにならないことの方が多く、そのギャップを埋めるのに徒労し疲弊してしまう。という現実を味わいました。

今もやっぱり、10年後還暦を迎えるころにはどうなっているんだろう、どうしていたいんだろうと「そのための今」を思いますが、その一文に出遭ってからは、この岸辺は賑やかだな、とか、花が咲いてるぞ、とか、ちょっとアタシの世界ではないかもしれない、と思うようになりました。そんな風に流れていく自分を思うと、「生かされている」と感謝することができることに気がつきました。

遥か彼方の高い山を目指すのに一生懸命で足元の小さな花をみることができなかった自分に気がついたというのでしょうか。そうしてきた自分は今までなぎ倒した花や踏みつぶした虫もたくさんあったのだろうなぁと眼下に広がる過去の光景に憂いを感じます。

人生を上と下と横とちょっと周りを見回すことができるような歳になって、これから一年どんな景色に出会えるのか楽しみしています

2017年の初日の出です