住まい・あ・ら・か・る・と

建築士・インテリアコーディネーター・そして介護福祉士として、生きるための器としての住まいへの想い

日々是好日

2018-11-12 13:39:39 | 介護
今年は娘のイベントイヤーで始まって、娘は片付いたけれど、4月からは息子のイベントイヤーが始まりこのブログの更新もほったらかしで、あれこれしていたら今年も最終コーナーを回ってしまいました。

この「日々是好日」というタイトルは現在公開中の映画のものでもありますが、私がこのブログを最初に投稿した時のものでもあるので、新規一転と思って今回このタイトルにしました。

この言葉は茶道の掛物に使われることが多く、若いころ茶道のお稽古にいそしんでいた頃にはよく目にしました。禅語のひとつで、唐の禅僧の言葉だそうです。毎日が素晴らしいという意味ですが、毎日が良い日になるよう努めるとする解釈や、良し悪しを考えず今この時が大切なのだとする説などあるようです。

とりあえず無事に大過なく過ごせていることが「日々是好日」かなと私自身は思っております。

私の生活は相変わらずで、家庭とパート仕事の介護と、住宅設計の依頼があればご提案を、という毎日です。

そんな中で介護予防のボランティアも依頼があればお受けしています。明日は脳卒中患者さんの会の介護予防体操ということでお話しをいただいています。脳卒中の患者さんというと片麻痺の方もいらっしゃるようですが、在宅でいらしゃる方々なので、私の方が元気をいただくようになるかもと思っています。

私自身が若い頃右下肢麻痺を経験しているので麻痺という感覚は少しは解るのでお力になればと思っています。

昨日、介護施設で仕事をしていて利用者の方から素敵な言葉をいただいたので紹介します。「苦は楽の種」

「苦楽」を表した諺はいくつか知っていましたが、この言葉はなぜだか、心がホッとするような響きがあるなと思って、私のお気に入りのひとつになりました。


介護考11

2017-08-29 21:53:52 | 介護
秋虫と 夜更かし吾子と 季節(とき)は過ぐ       筆者

夏休みもやっと終わります。子ども2人が児童クラブに通う頃は毎日弁当4個と送迎で、とても長く感じたものですが、歳がゆけば其々に其々なので、楽になりました

行きがかり上施設介護の仕事を続けていますが、私が勤めている施設は特別養護老人ホームで、基本的には要介護3以上の方々が入れる施設となります。平均年齢は92歳と相談員が話していました。そういうところなので、必然的に入所者の看取りを希望されるご家族が圧倒的に多いです。

中には意思の疎通が難しい方もいらっしゃいます。業務は多忙です。そんな中での仕事はともすれば目の前の業務を片づけることに注力するだけに陥ったりします。エンドレスな業務にとても虚しさを覚えたこともあります。でもこの夏、「介護」に対して私に気持ちの転換をもたらした一冊の本があります。「神様のカルテ」(夏川草介著 小学館刊)という本です。

医師栗原一止と余命数ヶ月の癌患者安曇さんとのやりとりを通して、「死を前にしてそれでも生きる」「人生の最期を看取る」ということはどういうことかということを考えさせられました。そして生きている一瞬一瞬、その時々に少しでも「穏やかな気持ち」「心地よい気持ち」を感じることができるようになればいいのかもしれないなぁと思いました。

それから、利用者の方に少しでも「笑ってもらおう」と思うようになりました。表情の乏しい方に微笑んでいただけると自然と私自身も微笑んでいます。そうするとなんだか、「介護」という仕事に対してちょっとだけ肩の力が抜けたような気がします。

ちなみにこの本は息子が読書感想文を書くために図書館から借りてきていたものでした。

姑の朝笑い

2015-12-19 12:10:10 | 介護
朝、窓の外の青空に誘われて起きだして、クリスマスイブ生まれの娘が帰って来るというので、布団を干しておかねばと思ってベランダに広げて、一時間ほど出かけたら一面雪雲に覆われて、雨がパラパラと…あわてて取り込んで、朝の片付けなどしてたら、さっきから雲が切れて青空にヤレヤレと思いながら、また干してみた

冬の天気は変わりやすいですが、よく私の母が「姑の朝笑い」と言っていたのを思い出します。幼いころなんで?とその意味を問うと、姑は朝は機嫌がよくてもすぐ悪くなるから。という答え。そういう母は婿養子だったので、姑とは暮らしてないんですが

介護の仕事の部署が替わったことは以前触れましたが、個別介護で一人一人に対応するので、利用者の性格とか嗜好とかも当然職員はよく知らねばならないし、実際よく知っています。私のポジションは今は曖昧で、職員のシフトに入っていないので、お手伝い的なカンジ。そんな中で観えてくるのが、プライドが高いのも自分が生き難いことのひとつかもなぁということです。

プライドを持って生きているのはいいことだと思うし、そのために時としては強く生きられることもあると思うけど、自分で何かできなくなる度に、許せる気持ちがどんどん小さくなっていくような気がします。自分でできなくなることが増えれば、自分と違う考え方ややり方を受け容れていかなければ、そこに摩擦がおこります。摩擦はストレスで、できない自分をどんどん追い込んでいく思考に陥らせてしまいます。自分を追い込んでいくと、その先には拒絶とか、暴言とか、暴力とか起こってしまいがちです。そのあたりの思考は私自身も病気を経験した時にそうだったので、とてもよくわかります。介護施設ではそうならないように環境を整えることが肝要ですが、職員も本人ではないので、難しいところもあったりします。


そういう難しい場面もありますが、利用者によっては、職員の顔を見るたびに「あなたはかわいいねぇ」「きれいじゃねぇ」と声をかける人もいらっしゃいます。そう声をかけられて、嫌な気持ちになる人も少ないですから、そこから、会話が始まったり、笑顔で挨拶したり、自然にコミュニケーションがとれますよね。

私も老化を感じる今日このごろ、何かをひとつできなくなる代わりに、「ありがとう」の言葉と「笑顔」と「許す」気持ちだけは最期まで持っていけたらいいな、と思います

介護考10

2015-12-12 10:59:41 | 介護
昨日はオフだったので、新年会の打ち合わせをするのに出かけて、どこか紅葉狩りにでも行ってみるかと思って、ドライブしてたら、時雨れてしまって、風も強く、放浪の果てに、阿知須の県立野鳥観察自然公園というところに行ってみた。実は、この公園の名前は新聞で知っていましたが、どこにあるのか、何があるのか全然知らず、ただの野っぱらしかないのだろう、くらいにしか思っていなかったら、ビジターセンターにいったら、居ながらにして野鳥たちの日常を覗き見ることができるようになっており、カモの求愛ダンスを観ては「雄は大変だねぇ」と、こい鷺の一本立ちの休憩姿勢に、「足が冷えるのねぇ」と、共感し、止まり木を目指して降りてくる小鳥たちの椅子取りゲームに「ガンバレ」と応援してみたり、かなり面白い施設で、一日居ても飽きないぞと楽しいひと時を過ごすことができました。


さて、今月から、急な異動命令で介護の現場が変わりました。同じ特養ですが、今までは「従来型」と呼んでいる、大人数を集団で介護するという形態の部署だったんですが、「ユニット型」という10人がワンフロアの個別介護の部署に変わったんです。このユニット型は、一番最初に就職した時4か月ほど居たんですが、当時はずぶの素人でしたから、なかなか大変でした。

少人数の利用者をケアするので、職員の配置も少人数になります。食事時以外はほとんどが一人勤務になります。でも、従来型とは違って、個々の要望を可能な限り受け入れるので、食事の準備にしても個々に違ったりします。主食のご飯も厨房からでるのではなく、フロアで職員が炊きますし、味噌汁も作っています。

集団ケアでは満足なケアが受けれないと10年くらい前から、個別ケアへの移行が始まって、今のカタチがありますが、当然、入所料は従来型と比べれば、倍は違います。でも、従来型よりはゆったり過ごせるのは間違いないですね。

とはいえ、施設ですから、安全、安心な反面、自由は制限されてしまいます。私の周りには、70代で元気に活動されている諸兄諸氏がたくさんいらっしゃって、それまでの知識や経験が豊富で、そのような方たちと交わって行動するのは、とても勉強になりますし、楽しいです。

自分が生き方を選択できるという、環境はとても大切なような気がします。長く生きれば、病気もケガもしますが、それでも、自分で生きているということを実感できる生活が少しでも長く送れたらいいな、と、思っています。





生き居れば 逢うもかなうや カモの渡り

トラベルヘルパー

2015-11-04 20:10:12 | 介護
箱根里 山粧ふて 母笑ふ        筆者
富士山の 冠雪に 母笑ふ        同






昨日、一昨日と一泊二日で箱根に行ってきました

川崎の施設にお世話になっている実母を箱根に連れて行きたいと兄が言い出して、義姉と姉と4人で要介護4の母をレンタカーに乗せて片道約2時間の旅に出かけました。

母は6年前に交通事故で高次脳機能障害となりました。それまで、独居でしたが、独りで生活することは不可能となりアレコレあって施設にお世話になることになりました。その後の経過は穏やかに推移し、老化は確実に訪れていますが、オムツはしているものの、食事は箸で普通食を上手に食べるので下の心配だけすれば出かけられるかなと思っていました。

とは言え、介護に関しての知識の無い兄・義姉・姉は不安なので介護福祉士として私に同道するよう話があり、ビジネスライクで行ってきました。

箱根にはかんぽの宿にバリアフリーの部屋があり、だたのバリアフリーではなくて、リフトが天井に設置してありベッドからトイレ、浴室に寝たきりの人でも移動できるように室らえてあります。ベッドは介護用ベッドでリクライニングもでき、移動も可能で柵もあります。部屋の定員は二人なのですが、母と姉と私で一部屋にしてもらうようにエキストラベッドを入れてもらいました、ベッド3台入れても、車椅子での移動ができるほどのスペースは十分にありました。
部屋の出入り口も引き戸でバリアフリーです。

あいにくリフトは母が怖がるので使いませんでしたが、こういう部屋が室らえてあることに安心感がありました。普通のホテルでもバリアフリーの部屋はあるところもありますが、手すりが設置してある程度でなかなか車椅子OK、介護ベッドにリフト設置となると、私は今までお目にかかったことがありません。

母は障碍者となってからの方が、健常者だった時に比べて穏やかになり、当時の病院やその後のリハビリ病院でも、穏やかな人ですねと言われ続けてきました。脳の障碍によっては、攻撃的になる人も少なくありません。そんな中で、すっかりいい人になった母は、今回の旅行でも始終ニコニコしており、接待してくださったお店の人に「ありがとう」が言えて、トラブルもなく一泊二日を過ごすことができました。帰る頃になると、私の名前を呼んで探すくらいに覚醒していました。

今回の旅行に同道して、要介護でも少しでも社会性があって介護の知識のある者が同道すれば出かけることができるのだなと思いました