「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

信仰にはお金がかかる?

2012-01-24 | 感想 1

ある信者が集まるHPを見ていたら、何人もの信者さんらが、霊言は聞きたいものの、ご奉納目安の問題からそれはできず、書籍化を待つとしていた。こういう信者さんは少なくないのかもしれない……。

HSは、熱心に信仰しようとすれば、とてつもなく、お金がかかる宗教であるようだ。本尊、祈願、法話、霊言……すべてに手を出そうとすれば、いくらお金があっても足りない。法話だけ、霊言だけにしようとしても、一回の法話、霊言を聴くだけで、万単位のお金が必要になったりする。

自分が信者だった頃、「信者が増えれば、信者一人一人の負担は軽くなります。伝道が進めば、楽になります」という話を聞かされたものだった。

けれども、いまだに、熱心な信者でいるためには、たくさんのお金が必要になるらしい。もしかすると、以前よりも、さらにお金がかかるようになっているのではないか。

熱心な信者さんは、大変だろうと想像する。また、すべての法を学びたいと願いつつ、手元不如意により、法話、霊言を思うように聴けない信者さんはかなしいだろうと同情する。

でも、自分は思うんだ。今も信者を続けてる人たちは、どうして、お金がかかりすぎることに疑問を持たないんだろうか。熱心な信者さんからしたら、いらぬお節介だろうが、この問題は、お財布が空っぽになる前に、よく考えた方がいいのではないかと思う。懐が冷える前に、頭を冷やしましょう。



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