信者とアンチの議論を見ていると、すれ違いが多い。この原因は、どこにあるのか。
結局のところ、HSの抱えている矛盾にあるのではあるまいか。
たとえば、大川隆法さんは言うことはコロコロ変わり、矛盾した発言は少なくない。また言うことと、することが違っていることもある。HS全体を見ても、教義と実態がちがっていることは珍しくない。
これだから、信者とアンチの議論はすれ違いが多く、不毛で、空しいものとなるのではないか。
少し具体例を挙げれば、アンチが「選挙で勝利し、第一党になると言ってたのに完敗だった」と大川隆法さんの発言をひきつつ批判すれば、信者は「不利なのを承知で選挙に出たのだ」とこれまた大川隆法さんの発言を使って対抗してくる。
また、アンチが「HSは知性に欠けるし、無反省だ」とその実態を批判すれば、信者は「HSでは、知と反省は基本教義です。HSにそれらが欠けてるわけがありません」と教義を用いて抗弁してくる。
それから、アンチが「大川隆法の他者批判はすべてブーメランになってるんじゃないか。大川隆法自身に一番当てはまるんじゃないか」と批判すれば、信者さんは華麗にスルーしたりする。信者さんは、大川隆法さんが言ってることと、やってることが矛盾してても、テンデ気にする素振りも見えないのだから仕方ない。
うむ。やはり、信者とアンチのすれ違いは、HSの抱える矛盾に起因していそうではあるが、いかがであろうか。
(ちなみに、上でいう「信者」とは、信者全般ではなく、信仰心旺盛な熱血信者を念頭において書いてます)