「幸福の科学」観察日記

「幸福の科学」を観察しつつ、心に浮かんだ感想などを綴っています。

週刊新潮に掲載された「幸福の科学」の記事を読みました

2012-07-10 | 感想 1

週刊新潮に掲載された「幸福の科学」の記事を読みました。

感じたことといえば……、

・全体的に、皮肉がきいた文章になっている。
・守護霊との対話の状況は、文章のプロが書いても、やっぱり、ややこしい文章になっている。
・きょう子氏は、もはや、総裁の霊言を信じなくなっているらしい。

……ですね。

あとは、記事中にある、霊言と総裁の考えとは別物だというHS側の主張は、特に印象に残りました。
総裁は、下に引用したように、それとは正反対の発言を過去にしていたので。


私の場合、いろいろな高級霊からの霊言というのを受けて、発表しています。これはある意味では、私の思想とは違うかもしれない。しかし別な意味においては、私の思想であるのです。高級霊たちは、いろいろな考え方を持っているでしょうが、そのなかで私のなかに感応するものだけが現れてきているのです。だから、実は、いろいろな霊人の霊言、思想と言いつつ、やはり私の思想であるのです。出ているものは私の思想なのです。感応するということは、私のなかにそれを受け入れる素地があるのです。だから実際、出てきたものは全部私の思想となっているのです。
(大川隆法『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』土屋書店、1990年8月20日初版、pp.103-104)

 

[追記] 週刊新潮の記事というのは、『週刊新潮 2012年7月12日号』の「お手軽『霊媒』で本を量産! 幸福の科学『大川隆法』総裁の不幸なるエセ科学」です。改めてみると、かなり過激なタイトルですね。



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