暴走するサウジ皇太子の強権発動
2017年12月28日 WEDGE Infinity
中東レバノンのハリリ首相の突然の辞任劇はサウジアラビアを牛耳るムハンマド皇太子の暗躍によるものだったことが明らかになった。
米ニューヨーク・タイムズ(12月24日付)が伝えた内幕は皇太子が国内だけではなく、国外の政治をも自分の思い通りに操ろうとして
いる驚くべき実態を浮き彫りにしている。
用意されていた辞任演説
このストーリーに入る前にレバノンの現状を説明しておく必要があるだろう。モザイク国家レバノンは、かつては中東のスイスと
呼ばれ、夜の街でも繁栄を誇ったが、イスラム・キリスト教徒の内戦、パレスチナ・ゲリラの支配を経て、今はシーア派武装組織
ヒズボラが政治、軍事両面を牛耳っている。
2016年10月、空白が続いていた大統領にキリスト教マロン派のアウン元司令官が選出され、スンニ派のサード・ハリリ氏が首相に、
ヒズボラに近いシーア派のベリ氏が国会議長に就く挙国一致内閣が2年ぶりに発足した。その内実はヒズボラがシーア派の盟主イランの
支持を、ハリリ氏がスンニ派の守護者サウジアラビアの後押しを受けるという、それぞれ後援者が付いたものだった。
しかし、サウジアラビアはこのところ、ヒズボラがシリア内戦に出兵し、さらには敵対する隣国のイエメンに軍事顧問団を派遣する
など影響力を強めていることに苛立ちと怒りを強めていた。こうした中で、ハリリ首相は10月下旬にサウジを訪問、ヒズボラの台頭に
不満をぶつけるサウジ側をなだめていた。
同紙がレバノンや西側当局者らの話として伝えたところによると、11月3日、ハリリ首相がイランの高官と会談した直後、サウジの
サルマン国王名でリヤドをすぐに訪問するよう招請された。首相はサウジから経済的な支援を受け、レバノン人でありながらサウジの
国籍も保有している。だが、サウジの首相への扱いは一国の指導者に対するものではなく、まるでサウジの従業員に対するようなもの
だった。
ハリリ首相はリヤドに到着すると、ムハンマド皇太子からの連絡を自宅で待つように言われ、午後6時から翌午前1時まで待ったが、
連絡はなかった。11月4日の朝、皇太子に会いに来るよう伝えられ、宮殿に向かった。ハリリ氏は皇太子と砂漠にピクニックに出かける
ものと思い込み、ジーンズ姿だった。
しかし、首相は宮殿で、サウジの警護員らによって携帯を没収されるなど乱暴な扱いを受けた。しかも、用意されていたのは
レバノン首相の“辞任演説”だった。ハリリ氏はその場から動くことを禁じられ、ボディーガードが自宅にスーツを取りに戻った。
同氏はその日の午後2時半、ムハンマド皇太子のオフィスからホールを隔てた一室に連れていかれ、サウジのテレビ局のカメラの前で
辞任の原稿を読んだ。同首相はこの中で、シナリオ通り、ヒズボラを非難し、生命の危険にさらされていると語った。
このハリリ首相の辞任表明から数時間後、ムハンマド皇太子は王族11人を含む有力者約200人を汚職で逮捕、高級ホテル
「リッツカールトン」などに拘束した。そして同夜には、イエメンからリヤドに向けて弾道ミサイルが発射された。サウジ国内では
立て続けに重大な出来事が起こったのである。
窮地を救ったマクロン仏大統領
レバノンではこの辞任演説に驚愕が広がった。しかし、アウン大統領らはハリリ首相がサウジアラビアに軟禁され、辞任表明は
強いられたものとの認識を深めた。レバノン当局者は西側外交官らに「首相がサウジに拘束されていることを信じる理由がある」と
いうメッセージを送り始めた。
この時、ハリリ氏はサウジ国内にいた妻や子供たちとの面会も禁じられていた。同氏の自宅居室にはサウジ側の2人の警護員が常時
監視に付き、自由な行動は制限されていた。首相宅を訪れた西側大使によってハリリ氏の軟禁が確認され、フランス、米国、エジプト
などが同氏の解放と出国に動いた。
特にフランスはマクロン大統領が11月9日、ルドリアン外相が同15、16日にサウジを訪問、サウジ首脳からハリリ氏の出国を
取り付けた。ハリリ首相は18日、サウジを出国してフランスを訪問。22日にレバノンに帰国し、辞任を撤回した。
今回のハリリ氏の辞任軟禁劇について同紙は、ムハンマド皇太子が「イランの同盟者ヒズボラがこれ以上強大にならないよう阻止
する時だ」というメッセージを送ろうとしたものだ、としている。皇太子は王族のライバルたちを汚職摘発という名目で排除し、
国内の権力基盤の確立を図っているが、同時に国外でもなりふり構わずに反イラン、反ヒズボラの動きを強めていることを象徴する
事件でもある。
反ヒズボラ軍団の設置をパレスチナに要求か
しかし、ムハンマド皇太子の触手はハリリ首相に対してだけではなかったようだ。サウジアラビア政府はパレスチナ自治政府の
アッバス議長をリヤドに招請、議長は12月20日、サルマン国王と会談した。エルサレム問題が話し合われたとされるが、
レバノン政府は会談の内容の報告を受けるため、情報機関の長官をアッバス氏のもとに急派した。
というのも、サウジのレバノンの同盟者の1人がパレスチナ難民キャンプ内にスンニ派過激派による「反ヒズボラ軍団」を組織化
させようと動いていたからだ。レバノン当局者らはこうしたサウジ絡みの動きを難民キャンプを不安定化させかねないと懸念、
新たな紛争の火種を食い止めようと必死だったのだ。
ムハンマド皇太子は2017年、イランとの対立を強め、隣国イエメンとの戦争を激化させ、カタールとも断交するなど台風の目に
なった。ハリリ首相の辞任騒動で見せた皇太子の剛腕は2018年の中東をさらなる対立と混乱に巻き込みそうである。
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暗殺恐れて首相が電撃辞任。レバノンでいま何が起きてるのか?
2017.11.20 MAG2NEWS
先日11月4日、レバノンのハリリ首相は訪問中のサウジアラビアで突然の辞任を発表。ハリリ首相は、辞任の理由をイランが支援する
イスラム教シーア派組織「ヒズボラ」による暗殺計画にあるとし、イランを非難する声明を出しています。
一国の首相が訪問中の国で辞任を表明するという異例の事態について、サウジとイランの対立激化を懸念する声が高まっていますが、
元朝日新聞記者で中東ジャーナリストの川上泰徳さんによると、こうした報道は「レバノンの現実を知らない人間が図式的に考えて
いるだけ」と断言。今回の首相辞任の「真相」とその背景、各国の思惑について詳しく解説しています。
サウジ・イランの対立とレバノン危機の背景
内戦が続くシリアの隣国レバノンのハリリ首相が11月4日、訪問中のサウジアラビアから突然の辞任を発表した。背景にイスラム教スンニ派王国の
サウジと、シーア派体制のイランとの対立があるとの見方が広がり、中東情勢に緊張をもたらしている。
ハリリ首相はサウジのテレビ局を通して演説し、レバノンで自らを狙う暗殺計画があることを辞任の理由として挙げた。
さらに「イランが地域に悪を広めている」と語り、レバノンのシーア派組織ヒズボラについても「レバノンだけでなく、アラブ世界でイランのために
動いている」と非難した。
レバノンではキリスト教徒、イスラム教スンニ派、同シーア派が政治の主導権を争う。スンニ派勢力を率いるハリリ氏はサウジの後ろ盾を得て、
シーア派のヒズボラはイランの支援を受けている。
レバノンではヒズボラとハリリ氏の対立で、2年以上、キリスト教の大統領が決まらない政治的空白が続いていたが、昨年10月末、ヒズボラが支持する
アウン氏が大統領に就任し、ハリリ氏が首相となって内閣が発足した。ハリリ氏はアウン氏の大統領就任を支持し、ヒズボラと協調して挙国一致内閣を
実現させた。
それから1年も経たずに、ハリリ氏の突然の首相辞任表明である。一国の首相が、訪問した国から辞任を表明するというのも前代未聞。
欧米メディアでは、ハリリ辞任はサウジの意向だという見方が出た。背景については、サウジがハリリ氏にヒズボラとの対決を求めた
が、ハリリ氏が受け入れなかったために辞任を求められたという見方もあれば、サウジからヒズボラとの対決を求められたために
ハリリ氏自ら辞任を選んだという見方もある。
イランが支援するシーア派のヒズボラと、サウジが支援するスンニ派ハリリ首相の勢力の対立は、レバノンを舞台にイランとサウジの
代理戦争になるなどという見方が出ている。しかし、それはレバノンの現実を知らない人間が図式的に考えているだけであろう。
ハリリ首相辞任の黒幕は誰か?
私は2008年にヒズボラとハリリ氏の勢力が武力衝突した時にたまたまレバノンの首都ベイルートにいた。ハリリ氏が後ろ盾となって
いた政府がヒズボラを抑えようとしたことにヒズボラが反発して、2、3日のうちに市街戦になった。結末はあっけなかった。
翌日にはハリリ氏が所有するテレビ局は焼き討ちされ、ハリリ氏の自宅も包囲され、完敗を喫した。
それまで度々、イスラエルによる軍事侵攻に対抗してきたヒズボラの強さを見せつける形となった。さらにシリア内戦が始まって、
ヒズボラは内戦に介入し、イランの指揮下でアサド政権支援のために地上部隊を送っている。シリアで実戦経験を積んだヒズボラは
さらに強力になっているはずだ。
ハリリ氏にとってヒズボラと戦うことは政治的にも軍事的にも自殺行為である。氏の政治生命が終わるだけでなく、レバノンは
ヒズボラ支配になりかねない。ハリリ氏としては、ヒズボラと協調しつつレバノンの安定を図るしかない。
ハリリ氏の突然の辞任表明に対して、ヒズボラ指導者のナスララ師は「サウジはレバノンとヒズボラに宣戦布告している」
「イスラエルにヒズボラへの攻撃を要請している」と反発した。ナスララ師がイスラエルを持ち出すのは、サウジで実権を握る
ムハンマド皇太子がイスラエルと関係改善を進めているという情報がアラブ世界で広がっていることを前提としている。
ハリリ氏が首相辞任を発表した4日は、サウジでは、ムハンマド皇太子が主導する腐敗追放委員会が11人の王族を含む約50人を逮捕
した日である。サウジでは、すべてがムハンマド皇太子の意向で動いているとされ、ハリリ氏の辞任発言にも皇太子の意思が動いて
いると考えるしかない。
ムハンマド皇太子は父親であるサルマン国王が2015年1月に即位し、国防相兼王宮府長官に抜擢された。同4月には副皇太子に任命
された。さらに今年6月にムハンマド・ナイフ皇太子が解任され、代わって皇太子に任命された。32歳の若さである。
今回、王族や現職閣僚・旧閣僚、ビジネスマンらを含む有力者を「腐敗追放」の名目で一斉拘束に出たことは、来年初めともいわれる
国王就任を前に、反対派を排除して、権力を固める意図があると見られる。今回、逮捕された中には、アブドラ前国王の息子で、
一時は有力な国王候補とされたミテブ前国家警備隊相も含まれている。
ムハンマド皇太子にとっては勝負をかけた有力王族排除が始まる日に、ハリリ氏に首相辞任発言をさせて、レバノン危機を演出した
ことになる。しかし、サウジが動いても、ハリリ氏が率いるスンニ派勢力とヒズボラが戦う可能性は低いと考えれば、サウジが
ハリリ首相をリヤドに呼んで、首相辞任を発表させたのは、ムハンマド皇太子が有力王族を排除する動きから世界の目をそらそうと
する狙いと考えるしかない。
ムハンマド皇太子が、レバノンのハリリ首相を使ってリヤドから反イラン・反ヒズボラのメッセージを発信することに意味があると
すれば、反イランを強く掲げるトランプ大統領の支持とりつけのための措置ということになる。ハリリ氏に言わせることで、自らが
イランへの対抗措置をとるというリスクを冒す必要もなくなる。
首相辞任は反イラン強調の演出か?
サウジとイランの対立は、サウジが2年前からイエメンの内戦に介入したことで激化した。イエメンでは「アラブの春」で
サレハ元大統領が辞任し、その後をハディ暫定大統領が受け継いだ。サレハ元大統領はシーア派武装組織のフーシ派と手を結んで
巻き返し、サヌアを支配するまでになった。サウジはハディ暫定大統領を支援し、フーシ派への空爆を続け、フーシ派を支援する
イランを非難している。
サウジは2016年1月にイランと国交を断絶した。サウジはこの時、国内少数派のシーア派指導者を処刑し、イランで反サウジデモが
起こって、在テヘランのサウジ大使館が焼き討ちされた。サウジはこれに抗議して断交を決めた。
サウジのイエメン内戦への介入は、2015年に国防相になったムハンマド皇太子の決断だった。しかし、介入してもイエメン情勢は
思うようにならず、泥沼状態になっている。アラブ世界の主要国といわれるサウジが、国境を接するイエメンを軍事的にコントロール
できないことは、サウジの軍事力の弱さを示している。
一方のイランはイラク戦争でサダム・フセイン政権が倒れた後は、シーア派政権の後ろ盾となった。さらにシリア内戦では、自分の
影響下にあるヒズボラの地上部隊をシリアに介入させ、イラクのシーア派民兵も動員して、アサド政権を支えている。
サウジとイランの対立と言ってもあくまで政治、外交的なもので、イランと直接対峙する軍事的な対立にはなりえない。
湾岸諸国もイランの脅威は感じていても、軍事的な対立を求める国はない。
「イラン敵視」を掲げたトランプ大統領が就任した後、サウジの主要紙シャルクルアウサト紙に2月中旬、政治コラムニストの
アブドル・ラシード氏は「アラブ諸国が反イランでトランプ政権と協力していると批判する者たちはイランとの戦争を恐れているが、
そのような紛争は選択肢でもないと保証しよう。もし、トランプ大統領がイランに対して大規模な軍事行動をとることを決めても、
我々はその後をついて行くことを拒否するだろう」と書いた。
このコラムは、サウジ政府や湾岸諸国がトランプ政権と友好関係を維持しようとすることを擁護する内容だが、イランとの戦争は
望まないアラブ世界の本音が表れている。
サウジのムハンマド皇太子は国内で権力固めをするためにもトランプ大統領の歓心を買うため、対イラン強硬策を打ち出す必要がある。
しかし、湾岸地域でイランに対して緊張を激化させる力はないし、周辺の諸国も望んでいない。そこで使われたのが、レバノンの
ハリリ首相ということになるだろう。
それに対して、4日夜、イエメンからリヤドに弾道ミサイルが発射され、サウジ軍が迎撃する事態となった。フーシ派による攻撃と
見られる。ムハンマド皇太子はミサイルがイランから密輸されてフーシ派に渡ったと非難した。これも4日に起こったことは偶然とも
思えないが、ハリリ首相に反イランを言わせても、自分には火の粉は降りかからないだろうと高をくくっていたサウジの思惑を
砕くためのミサイル発射とみるのは、うがちすぎだろうか。
イスラエルも反イランに同調か?
気になるのは、ムハンマド皇太子のサウド家の中の権力固めがすんなりと進むかどうかであり、ハリリ氏が辞任してもレバノンでは
また政治が空転するだけとしか思えない。ただし、懸念がないわけではない。
16日、サウジのアラビア語のインターネット・ニュースサイト「イラフ」がイスラエルのエイゼンコット参謀総長にインタビューした。
サウジのメディアがイスラエルの参謀総長と記者会見したのは初めてだ。
記事の見出しは「イスラエルの参謀総長:レバノンでヒズボラと対抗する意図はない」というものだが、記事の中で「イスラエルの
参謀総長は『サウジとイスラエルはイランに対抗することにおいて共通の利益がある』と語った」と書く。
一問一答の中では「ワシントンで参謀総長たちの会合があった時に、サウジの代表団の話も聞き、彼らが語ったイランに対抗しなければ
ならないと語ったのは同感だった」というエイゼンコット参謀総長が語っている。
サウジ系メディアがイスラエルとサウジの関係構築を肯定的に書くことは異例のこと。「アラブの春」以来、言論統制が強まっている
サウジで、サウジ系メディアとイスラエルの参謀総長の会見は、ムハンマド皇太子の意に反するものではないはずだ。
イスラエルが、シリアで影響力を強めるイランやヒズボラを自国への脅威ととらえているのは明らかである。
このような米国-イスラエル―サウジの「反イラン同盟」が、今後、どのような動きにつながるかは予断を許さない。
川上泰徳(かわかみ・やすのり)
中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。最新刊は『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。ツイッターは @kawakami_yasu