自燈明・法燈明の考察

池田大作の実像②

 前の記事でも少し書いた事かもしれませんが、私の母の長い友人で近所の婦人部のおばさんがいました。
 この方は草創期から女子部で活動し、一時期は故・森田元理事長と同じ組織で、彼の人は男子部、そのおばさんは女子部で活動していた時期もあったと言います。

 そのおばさんが地元の婦人部と些細な事で対立してしまい、脱会してしまったのですが、当時は今の様にインターネット等というものがなく、結果として法華講へと移りました。脱会しても私の母親との付き合いは続いていて、私が創価班に入った時には大層喜んでもくれました。

 このおばさんが亡くなり久しいのですが、もしこのおばさんが生きていたら、法華講には行かなかったかもしれません。何故ならインターネットには様々な情報が溢れていますからね。

 私も活動を辞めた当時、インターネットを検索し、同じ様に活動から離れた人のブログを幾つか見ていて、偶にコメントなどをしていました。そしてそこから少しずつですが人間関係もでき始めていました。

 ある時、そのブログでコメントをしていた常連の元婦人部が、関東近郊に所用があって来るので、一度会う事になったのです。

 場所は東京近郊の某所のファミリーレストラン。会ってみると確かに婦人部の香りの残る人でした。話をしてみると、どうやら創価学会の活動家幹部で様々な事から活動を辞めた人達が、定期的にオフ会をしているとい事を聞き、そこでは様々な創価学会の歴史的な話題とか情報が交換されていると言うのです。

 この時に私は幾つかの質問をこの元婦人部にぶつけましたが、私が幹部をやっていた時に感じた全ての質問に対して明確な回答が貰えました。私も男子部では分県青年部長をしていた時期もありましたが、それを凌駕する様な生々しい情報を幾つも聞く事が出来て、この時にはかなり衝撃を受けました。

 あと教学的に考えている事も話をしましたが、特に「師弟論」については完膚無きまで叩き壊されました。

 またこの元婦人部の紹介で、近々その仲間のオフ会があるというので、そこにも参加をさせて貰える事となり、そこで今は亡き、友岡雅也氏とも会って話を聞く事も出来ました。またそれを切っ掛けとして身内が人間革命のとある章で書かれているという、草創期の幹部の身内の方とも会う事が出来ました。

 それ以外にも、同じくインターネットを通じて元東西哲学書院に勤務して、今は活動家ら離れて別の仕事をしている人(脱会はしてないが活動は辞めている)、創価大学卒業生の人で、父親は某市市議会議員(公明党)をしていて、学生時代の友人に信濃町に勤務している人が多くいるという人、その外にもインターネットを通じて様々な人と直接会って話を聞ける事にもなりました。

 この流れで某有名全国幹部(今は故人)のご家族にも直接話を聞く事も出来たりして、インターネットというのは実に有用なメディアである事を、この時には実感したものです。

 よく創価学会では「ネットはデマばかりなので見てはいけない」という指導がありましたが、私はネットを媒介として、実際に様々なリアルな人と会い、池田大作という人物や、その周辺の事を聞く事が出来ました。

 これだけ様々な人達に会う中、そこで聞いた「池田大作」という人物像は、組織の中で聞く人間像とは異なり、ある意味で生々しく、とてもリアルな実像でした。しかしこの経験により、私は池田大作という人物の呪縛から離れる事が出来た事はとても幸いな事だったと思います。

 次回から掻い摘んで、見聞きした内容について備忘録も兼ねて紹介していきたいと思います。


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