自燈明・法燈明の考察

人生の正しい生き方について

 さて、人間五十年ほど生きてくれば、それなりに様々な経験を経るなかで、生き方というか自分の人生について、ある程度は見えてくるものです。これは何も傲り高ぶって言うことではなく、そういう事ではないかと最近になり思うようになってきたわけです。

 なぜこんな事を書くのかと言えば、先日、うちの嫁と何気ない話をしている中で、嫁から「正しい生き方って何だろう」という事を聞かれました。

 皆さんなら、この質問に対してどの様に答えますか?

 私は若いとき、四半世紀にわたり創価学会で活動をしてきて、そこでは常に「正法」「絶対正義」を教えられ、この創価学会と共に歩み広宣流布に邁進する生き方こそが、正しく満足の人生を送れる生き方だと言われてきました。だから私はその生き方をしようと、寝る間を惜しみ寸暇なく必死に活動をしてきました。

 しかし長年に渡り活動をしてきた結果、私の結論としては「それは無いな」という事で落ち着きました。まあ落ち着くまでの期間には、様々な事がありました。

 果たして「正しい生き方」というのは、あるのでしょうか。
 私は唯一正しい生き方があるとすれば、それは「人生産まれ出たら、死ぬまで生き抜く事」だと最近になり考えています。そら人生だから成功もあれば失敗もある。誇らしく感じる事もあれば、恥ずかしくて二度と思い出したくもない事もあります。ただそれらはすべて「大事な思い出」であり、私たちはそれらを経験する為に、実はこの世界に生まれて来たのではないか。

 その様に考えているのです。

 そもそも「正しい」という概念は、時代と共に変化するものです。今から百年前の日本では、天皇に忠誠を誓い、国に尽くす事が正しい生き方と言われた事もありました。また人が「正しい」と思い進めてきた生活によって、今の地球環境は大きく変化を余儀なくされてしまっています。

 「正しい」というのは、所詮は相対的な概念であって、絶対的な概念ではありません。だから私は「正しい生き方」という事は存在しなくて、唯一あるとすれば、とにかく人生を一人ひとりが「死ぬまで」生き抜く事だと考えているのです。

 若い時には、私にも様々な夢と希望がありました。

 しかしこの年齢になり感じる事は、若い時の夢や希望というのは、叶う事も中にはありますが、大半は叶わない事が多いのではないかと言う事です。でも「夢や希望」を若い時代に持つ事は、とても大事な事です。何故ならば、そういう事があるから、人は若い時に様々なチャレンジが出来るし、そこで様々な経験もすれば、人間関係を作り上げ、社会の中でも多くの経験をする事が出来るからです。

 人生は「正しい」「正しくない」という概念で捉えるのではなく、また目標を持ち完遂する事でもなく、兎にも角にも生まれてしまったこの人生を、しっかりと生き抜く事が実は人生最大の目的であり、それこそが「正しい生き方」なのではないでしょうあ。

 人によって寿命の長短はありますし、この人生で得られる富や財産が異なる事かもしれません。しかし人の一生なんてのは、この宇宙のタイムスケールからすれば一瞬のきらめきです。そんな人が死んでも持ち越し出来るものがあるとすれば、それは「人生経験」だけなのです。そうであれば生ききる中で、どれだけ喜怒哀楽の経験をしていけるのか、そこにしか正しいと言える生き方は無いように思えます。

 皆さんは如何考えますか?


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