自燈明・法燈明の考察

限りある人生

 昨日は家に帰り、寝る前にYouTubeを見ていました。便利な時代になりましたね、昔の様々な音楽や映像なんかも手軽に見れるのですから。

 そんな中でチェッカーズの動画も見てました。「涙のリクエスト」「あの娘とスキャンダル」等など。丁度私が高校生時代にプレイクしたバンドで、気が付けば周りの友人なんかも髪型をまねたりして。まあ人気のバンドでした。
 私は姿形を真似る事は無かった(出来なかった)のですが、友人とバンド組んでベースギターをやってましたが、よくチェッカーズの音楽はコピーしてました。

 だから妙に懐かしくもあったのですが、この中でドラム担当だったクロベエ(徳永氏)は既に鬼籍に入り久しいんですよね。

 あと米米クラブの「浪漫飛行」のPVなんかも見てました。当時はJALのCMで「夏離宮・沖縄」なんて言ってテレビで流れてましたが、これなんかも当時の日本社会の浮かれた様子を良く表していて、やはり懐かしさを感じたり。

 思い返せば人生、十代後半から三十代前半の頃、一番元気で面白い時代であり、当時の日本はバブル景気なんかもあって、とても明るい時代だったように感じます。

 ふと思うと私も五十代の半ばに入り、今では嫁に子供を背負って、日々苦闘しながら生きていますが、人生の時間というのは本当に短いもんですね。幸いにして親しい友人や知人では、まだ重病になったとか訃報は聞いていませんが、これから増えていく事なんでしょう。

「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

 これは豊臣秀吉の辞世の句ですが、かの人も自身を日輪の子と言いながら、農民から太閤まで人生を駆け抜けて行きました。この世に産まれ、どの様な人生を駆け抜けるのかは、人それぞれの選択であり、そこに何ら差別と言うものはない。私は常にその様に思いながら生きてきました。

 なぜその様に考えていたかと言えば、自分の人生とは自分だけが経験できる事であり、他人には絶対に同じ様な経験は出来ないからです。どんな人生であってもそうなのです。

 昔のインドでは、五十代と言えば「出家遊行期」と呼び、男性ならば家長を子供に譲り、山林に交わりながら人生を見返す年代でした、しかし「一億総活躍社会」を提唱している今の日本では、五十代というのはまだまだ現役のど真ん中です。

 政治の世界でどの様に言おうが、人生の時間は確実に流れており、私自身もいずれは「必ず」鬼籍に入っていくのです。であれば自分の人生とはどんな意義があったのか。そういう事にも思いを馳せる時間を作り、考えていく必要があると思うのです。

 若く勢いある時代は、今の時に永遠性を感じる事もあるでしょう。いや、若い時代だけではなく、人世を生きていれば、この「生きる実感」を永遠に感じていけると人間は錯覚してしまう生き物なのかもしれません。

 私が日蓮宗入り口として、仏教から様々な事を考えているのは、そこに対するアンチテーゼからなのかもしれませんね。



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