新古今和歌集の部屋

長明発心集 第一 千観内供遁世籠居の事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

千觀内供遁世籠居事

千觀内供と云人は、智證大師の流並なき智者也。

もとより道心深かりけれど、いかに身をおもてなしていかやう

に行べしとも思定めず。自ら月日を送ける間に、或時

公請を勤て返けるに、四条河原にて空也上人に偶たり

ければ、車より下て對面し、さてもいかにしてか後世たすかる

事は仕べきと聞へければ、聖人是を聞て何さかさま事は

のたまふぞ左樣事は御房なんとにこそ問奉るべけれ。

かゝるあやしの身は唯云かゐなく迷ありく計也。更にをもひ

得たる事侍らずとて去なんとし給けるを、袖をひかへて

猶懇に問ければ、何にも身を捨てこそと計云て引放

て足ばやに行過給にけり。其時内供河原にて装束

ぬぎかへて車に入て、ともの人はとく坊へ帰りね。我は是

よりほかへいなむするぞと云て皆返遣して、唯獨り簑

尾と云に籠りにけり。されど猶かしこも心に叶はずや

有けん。居所思わづらわれける程に、東の方に金色の

雲の立たりければ其所を尋てそこに如形菴を結び

てなん跡をかくせりける。即今の金龍寺と云は是也。彼

に年來行て終に往生をとげたりける由くわしく傳に

しるせり。此内供は人の夢に千手觀音の化身と見た

りけるとかや千觀と云名は彼菩薩の御名を畧し

たるになむありける。

 

千觀内供 平安中期の天台宗の僧。橘俊貞の子。園城寺で修学して、内供奉に任じられたが、空也に会って遁世。摂津の箕面に籠もって修行。金龍寺を建立。永観元年(983年)没。
 
※智證大師の流 園城寺の再興開祖円珍の流れ、寺門派。
 
空也上人 、平安時代中期の僧。阿弥陀聖、市聖、市上人とも称される。観想を伴わず、ひたすら「南無阿弥陀仏」と口で称える称名念仏(口称念仏)を日本において記録上初めて実践したとされ、日本における浄土教・念仏信仰の先駆者と評価される。
 
※簑尾 大阪府箕面市。千観の籠もった場所は不明。
 
金龍寺 大阪府高槻市にあった天台宗の寺院。山号は邂逅山(たまさかやま)。院号は華雲院。本尊は普賢菩薩。廃寺となり、現在は金龍寺跡となっている。延暦九年(790年)に安部是雄により建てられた安満寺に始まるとされ、盛時には19の坊舎があり、天皇の行幸があるなど巨刹であった。その後衰退したが、康保九年(964年)に園城寺で修行した千観が「日想観」のある土地を求めて当地に到来し、「金色の雲が湧く山がある」として、安満寺を再興した。ある時、境内の池に竜女が現れて法水を甘んじ成仏したのを見て、金龍寺と改称した。それ以来、雨乞いの霊験があり、安和二年(969年)に旱魃が続いた時に、冷泉天皇の勅命で千観が祈雨したところたちまち雨が降ったという。
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