六十段 昔の人
五十六
むかし男ふして思ひおきて思ひおもひあまりて
わが袖は草の庵にあらねども暮れば露のやどりなりけり
五十七
昔男人しれぬ物おもひけり。つれなき人のもとに
恋わびぬあまのかるもにやどるてふ我から身をもくだき鶴哉
五十八
むかし心つきて色ごのみなる男、長岡といふ所に家つくりて
をりけり。そこのとなりなりける宮ばらに、こともなき女ども
のゐ中なりければ、田からんとて、此男の有をみて、いみじの
すきものゝしわざやとて、あつまりて入きければ、此男にげ
ておくにかくれにければ女
あれにけりあはれいく代の宿なれや住けん人のおとづれもせぬ
といひて、此宮にあつまりきゐて有ければ此男
むぐら生てあれたる宿のうれたきはかりにも鬼のすだく成けり
とてなん出したりける。此女ども穂ひろはんといひければ
うちわびて落穂ひろふと聞ませば我も田づらにゆかまし物を
五十九
昔男京をいかゞ思ひけん、ひんがし山に住むと思ひ入て
住わびぬ今はかぎりと山里に身をかくすべき宿をもとめてん
かくて物いたくやみてしにいりたりければ、面に水そゝぎな
どして、いき出て
古今◯作者
わがうへに露ぞおくなる天の川と渡る舟のかゐのしづくか
となんいひていき出たりける
六十
むかし男有けり。宮づかへいそがはしく、心もまめならざりける
ほどの家どうじ、まめに思わんといふ人につきて、人の国へ
いにけり。此男うさの使にていきけるに、ある国のしぞうの
官人のめにてなん有と聞て、女あるじに、かはらけとらせ
よ。さらずはのまじといひければ、かはらけ取て出したりける
にさかななりけるたち花をとりて
古今◯作者
さ月まつ花たち花のかをかげば昔の人の袖の香ぞする
といひけるにぞ、思ひ出てあまになりて、山に入てぞ有ける
六十一
むかし男つくしまでいきたりけるにこれは色このむといふ
すきものとすだれの内なる人のいひけるを聞て
拾遺
染川をわた覧人のいかでかは色になるてふ事のなからん
女かへし
後撰
名にしおはゞあだにぞ有べきたはれ嶋浪のぬれ衣きるといふ也
六十二
むかし年ごろおとづれざりける女、心かしこくやあらざりけ
ん、はかなき人のことにつきて、人の国なりける人につかはれて、
もと見し人のまへに出きて、ものくはせなどしけり。よさり此
有つる人たまへと、あるじにいひければ、おこせたりけり。男
われをしらずやとて
いにしへの匂ひはいつら桜花こけるからともなりにける哉