音の祝祭

- オンノシュクサイ -

陽は沈み陽は昇る/布施明

2010年09月30日 | 布施明
陽は沈み陽は昇る/布施明(1973)
作詞:安井かずみ 作曲:ニノ・ロータ 編曲:森岡賢一郎

日活創立60周年記念作品の主題歌

TVでもかなり宣伝していた記憶がある。
ほとんど海外ロケだが目立った有名俳優はいなかったのが敗因なのか、莫大な金額を投じたらしい映画はコケた。

それにしてもこれ、なんとニーノ・ロータ作曲だ。「太陽がいっぱい」を作った人じゃないか、凄すぎる。「ゴッド・ファーザー」のテーマもこの人だ。

そして後々奥さんとなる人がヒロインを演じた"あの"ロミオとジュリエットを作曲した人でもある。縁があったのかなかったのか。

このころ布施明はいろいろと変わったプロモーションを仕掛けていた時期で、少し前には丸ごとバカラックのLPを作ったりしている。帰国後、大失敗だったとうなだれた彼がいた。(実際なんでわざわざアメリカまで行たのかわからないペラッとしたコピーのようだったが。)

これも話題作だった。
ニーノ・ロータ作曲というのもそうだが、、普段は楽譜を渡されたら数時間で取りあえずは歌えると言っていた布施明が、何とか歌えるという程度になるまで1週間かかったと言っていた。半分以上が半音で出来ている超難曲だったのだ。

これは聴かねば!と
発売されるのを待って即買ってみた。


こんなジャケットだったか??

聴いた瞬間めまいがした。

聴いているだけなのにも関わらずメロディーを把握するまでどれほどかかったろう。頭の中で再現できるまで、やっぱり1週間くらいかかったんじゃないだろうか。

そういう訳で、ものすごく好きというわけではないけど、一番多く聴いたのがこの作品なんじゃないかと思う。

その後少し経ってから、これをカバーしたという新人歌手が、やはり一部で話題になっていた。私もラジオで一度だけ聴いた事がある。良く頑張っていたと思う。まあ…皆さんご想像の通り、という事で。

B面は「鐘は鳴る」
作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一 編曲:都倉俊一

東京音楽祭出場曲らしい。
特に良いという作品でもない。前年の出場曲だという「海をみつめて」の方がフェスティバル用としては数段上だ。もっともいつも似たような出場者ばっかりでおもしろくない大会だったからどうでもいいんだけど。


これはサントラ

布施明が宮川泰に会った時

2010年09月29日 | 布施明
再開の後に/布施明(1972)
作詞:安井かずみ 作曲:宮川泰 編曲:宮川泰

布施明 - 平尾昌晃 とくればあともう一人、この人を出さないわけにはいかないだろう。平尾昌晃がメロディックな天才なら、宮川泰はメロディアスな雄大さを誇るサウンドを紡ぎだす達人だ。

「再開の後に」は1972年の2枚組LP「マイ・ウェイ」に収録された宮川作品のうちの一曲だが、これがラストに来ないのは普通ならば不可解に感じる。愁いを帯びた流れる様なメロディーで始まり、流麗に転調。さらに間奏を生かした構成はいかにも宮川泰だ。が、繰り返しの部分はちと余計だ。中途半端に短く終わってしまうのも気になる。もう一つラストに別メロが欲しかった。

そんなところが最後に持ってきたこれまた広大な広がりと全てを包み込むような懐の広さを感じさせる「海をみつめて」に一歩及ばす、その位置を明け渡してしまった理由だろう。

海をみつめて/布施明(1972)
作詞:安井かずみ 作曲:宮川泰 編曲:宮川泰

これは珍しく録音のバージョンが素晴らしい。

という事で今回は普通に布施さんらしい曲を。
こういうのも嫌いなわけじゃないのよ。

もう一つ、ちょっと変わってるやつを。

太陽の恋人達/布施明(1972)
作詞:安井かずみ 作曲:宮川泰 編曲:宮川泰

出だしの「カモン」
タイミングといい雰囲気といい(個人的に)絶妙だ。
Bメロも最高に楽しい。何だかツボがいっぱいあってとても嬉しい。

いや~ 良いメロディーってのはやっぱりイイ。
こんなとこに埋もれているのは惜しいのでぜひ聴いて欲しい。誰でも歌える曲じゃないので彼が歌って正解だと思う。

更にもう一つ
他人の歌のカバーは嫌ってほど歌っているがどうしてもオリジナルには1歩 2歩 3歩と敵わない。が、趣向を変えたらばこれが化けた。

愛のフィナーレ TELL ME/布施明(1971)
作詞:なかにし礼 Richard Oliver 作曲:宮川泰 編曲:クニ河内

まったく素晴らしい。何十年も経って聴いてもやはりオリジナルとは別物に聴こえる。誰が考えたんだか知らないがブラボーな構成だ。最後に繰り返される "さよなら" が忘れられなかった。初出は1つ前(前年)のLP。

銀の涙/布施明

2010年09月28日 | 布施明
銀の涙/布施明(1966)
作詞:水島哲 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎

90年代になって初めて聴いた瞬間虜になった。こんなにいい曲があったなんて。シンプルだけど耳につく、メロディーの原点のような作品だ。作曲者の名まえを見て納得。

平尾昌晃はこの他にも初期の布施作品で良い曲を書いてくれている。その他の歌手にも山ほど。

私が知っている平尾昌晃って「カナダからの手紙」で可愛い女の子の横で歌ってるヘンなおじさんだったから、後々彼の天才的なメロディーセンスを見せつけられるにつけ、キツネにつままれた気分になるのだ。

ただ残念ながらこのボーカルはなあ。何でこんな気持ち悪い歌い方なんだ~
あと3年位後だったらちょうど良かったかも。布施さんはだいたい3年くらいで歌いかたが変わってる気がする。そしてちょうどこの3年後の1969年ころのレコードが一番好みのボーカルなのだ。

これなんかそうだ
この壊れっぷり たまらん。


ときめき/布施明(1969)
作詞:山上路夫 作曲:村井邦彦 編曲:川口真

川口真がこんなとこで編曲なんかしてるのは、まだ駆け出しで仕事がなかったからだろうか。手っ取り早くお金になるのがアレンジの仕事なのだとか。

これは平尾昌晃が歌っているものらしいが…
う~ん、悪いけど燃えない

余談だがカナダからの手紙の畑中葉子を昔ナマで見た事がある。とても人間とは思えない美しさにボーゼンとした。まるでフランス人形にしか見えなかった。

愛は不死鳥/布施明 @ 紅白

2010年09月27日 | 布施明
図らずも前回前々回の記事の布施明の映像は紅白に出場した時のものだった。ということで、それならばやはりこれを

愛は不死鳥/布施明(1970)
作詞:川内康範 作曲:平尾昌晃 編曲:小谷 充

特別この曲が好きという訳ではない。
それは歌詞がひじょーに こっぱずかしい、だとか、中身が ない、だとかが問題なわけじゃない。あくまでもメロディーに惹かれないだけだ。(嫌いなわけじゃない、普通だ)

だいたい彼のバラードの90%は歌詞に意味がない。「そっとおやすみ」のような名作もたまにあるがほんと稀だ。でもラブソングなんだからそれで構わない。変に自己主張するよりもずっといい。「積木の部屋」なんて安っぽいフォークソングみたいになっちゃって最悪だった。

自分の場合はまずメロディーありき。次がボーカル、そしてアレンジ。歌詞はメロディーを壊さないように自然に寄り添ってくれればいい。

じゃあなぜここに持ってきたのかというと
やっぱりびっくりしたのだ、これ
まさかもう一度見れるとは思わなかった。

リアルで見ていた。その頃は一家に何台もTVがある時代じゃなかったから当然家族も一緒だ。登場シーンは問題なかった。が、彼がその手を広げた瞬間、一緒に見ていた父と母が固まった。特に父の何とも嫌そうな顔が居心地悪かったなあ。

今見るとすごくショボイんだが当時は画期的だったんだと思う。多分日本全国のお茶の間も似たような感じになってたんではないだろうか。

このどう見てもプレスリーのパクリ衣装は手作りだ。しかも前夜に突然思い立ち、姉と母に手伝ってもらってあの房を取り付けた。ああでもないこうでもないとやっと作り上げたらしい。そう言えばもう一人某大学の学長になったお兄さんがいたなあ。似てるんだろうか、とちょっと気になる。

今この映像を見てビックリするのは、タクトを振ってるのが宮川泰だということだ。なぜここに? 何か他にそんな企画があったんだろうか。だってこの曲の作曲は彼じゃない、編曲者でもないじゃないか。もしもこの為だけに宮川泰を紅白に呼んだんだとすると布施明ってすごい!

しかしさすが宮川泰、ロボットアニメのオープニングみたいだあ。主役よりも目立ってるし。

クライマックスのあの手を広げるシーンで、布施明がなぜにまん中じゃなくて端っこの方にいるのかというと、彼があそこにいるからだ。

甘い十字架/布施明 + 愛よ飛べ

2010年09月26日 | 布施明
甘い十字架/布施明(1973)
作詞:安井かずみ 作曲:加瀬邦彦 編曲:馬飼野康二

チラッと胸をはだけるとこが彼らしい
2番からなのが残念、とずっと思ってたが、出だしだけは1番で、すぐに2番の歌詞に移行する「紅白仕様」だったようだ。そのために「グラス」と間違えてしまったが、これはNHK側のごり押しの結果で仕方ないだろう。

昨日に続いて布施明を

どうも自分が好きになる彼の曲はヒットしなかったと思う、唯一の例外がこれかもしれない。いわゆる布施明ファン以外にも売れた(と思う)

どうだ この棒読みのボーカル。素晴らしい!

いや褒めてます
そこがツボなんだから。

しかし当時はこの曲が好きだと認めたくなかった。
なぜならいかにも売れ線を狙った流行歌だったからだ。あまり時代に関係のない歌を歌っているという印象のお方だったので違和感ありまくりだったのだ。

しかし確かにその頃もう彼の曲はマンネリだった。曲が似てれば歌い方もそれに付随して当然似てしまう。特に布施ボーカルは濃い。そういう同じ様なのを続けて聴くのはつらいのだ。

そこへこのスカーッと明るい歌がやってきた。

しかもだ
布施さんこの曲はいつでもニッコニコ笑いながらさも楽しそーに歌うのだ。それがたまらなく良かった。たまにサラッと流して歌うと、そうじゃないだろ!と怒りがこみ上げた。



録音もいい


ところで
youtubeでこれの横にあった見慣れないタイトルの曲



これ → 愛よ飛べ(1973)
作詞:安井かずみ 作曲:加瀬邦彦 編曲:馬飼野康二

気になって聴いてみた

もっ お~っ だあ~~~いっ じょっおっぶだっとォ~ 

イイ !!!

きのぉ~ ♪ よりも また今日ぉ~♪ よりも 

う~~~~ 色っぽい!

ほんといいなぁ これ

しかし何となく聴きおぼえがある様な気もする。
B面だという「明日に架ける愛」は完ぺきに覚えてるし。(タイトルのせいではない)

「甘い十字架」と同じ年に発売された次のシングルだったらしい。(こっちは多分売れてない)


* 明日に架ける愛
安井かずみ作詞・加瀬邦彦作曲・馬飼野康二編曲

バラ色の月/布施明

2010年09月25日 | 布施明
メロディーに合った歌い方だとこうも素晴らしくなるのか!

バラ色の月/布施明(1969)
作詞:なかにし礼 作曲:平尾昌晃 編曲:小谷充


『2番手の男』

昔誰かが彼のことを評してそう言った
なるほど と思った。

メジャーといえる歌手だ
歌番組の常連で良くTVで見かける
ヒット曲もたくさんある

若いし、顔だって文句ないくらい整ってる
それなのに、いつでも一歩後ろにいるイメージがあるのだ。

これは比喩じゃなくて、実際にTVをじっと見てるとわかったのだが、自分の出番以外、彼はいつも他の出演者よりもちょっとだけ後ろに引っ込んでいた。大体みんなさりげなく前へ出ているというのに。

生き馬の目を抜くと言われる芸能界でこれはソンだ。それなのについついそんな事態になってしまうのは、無意識の彼の美学なんだろう。

「シクラメンのかほり」が大ヒットしてその年彼は賞を総なめにした。が、それで何が変わったという風でもなく、やはり彼は2番手だったのだ。今になってみると、1番にならなかった男は、それなりの自分の位置をキープし続けている。

もしも1番になっていたらどうだったろう。たぶん、今よりも良くなっていた確率は低いのではないかと思う。それよりもむしろ逆のケースを想像してしまう。


もうひとつ、よく言われる彼に関する評価。それは歌の上手さだろう。音程、声の音量、音域、そして、テクニックを指しているのだと思う。

ところで私が好きになる彼の歌というと、どうもこれがその逆を行ってるような気がしてならない。たとえばこの「バラ色の月」なんかもそう。

初めて布施明の曲と認識したのは「冬の停車場」という曲で、とてもがむしゃらなボーカルの曲だ。だからその後に「そっとおやすみ」なんていうジャジーな大人の歌い方を聴いてちょっと意外だった。この曲も好きだったけど。そういう意味では「おもいで」なんていうのはメロディーはともかくとして、歌い方は非常に好みに近いかもしれない。

そればかりか遡ってみると「これが青春だ」なんていう生まれて初めて見た青春ドラマの主題歌なんか歌っていた。ドラマの内容は幼すぎてわからなかったものの、これと、もう一つの戦歌みたいなのはだーいすきだったのだ。

「バラ色の月」に話をもどして
この曲も後になってから彼の曲だと知って、へ~ と思ったうちの一つだ。そんなのがたくさんあるのだ彼の場合。でも録音版はかなり残念で、良いメロディーで好みの歌詞っぽいのになあと思ってた。

だからこれを見て、聴いて、うわーいと喜んだこと喜んだこと。UP主様どうもありがとう!(この方には他にも大変お世話になってます)



これは録音版

* 冬の停車場(1970)
作詞:山上路夫 作曲:三月はじめ 編曲:テディ池谷
* そっとやすみ(1970)
作詞:クニ河内 作曲:クニ河内 編曲:テディ池谷
* おもいで(1966)
作詞:水島哲 作曲:平尾昌晃 編曲:森岡賢一郎

五月のバラ/塚田三喜夫

2010年09月22日 | 五月のバラ
五月のバラ/塚田三喜夫(1977)   
作詞:なかにし礼 作曲:川口真 編曲:萩田光雄

誰が歌っているのかも、いつの曲なのかも知らず

でもフッと聴こえてくると ほ~っ と耳を止めてしまう

いくつか他の人が歌ったのも聴いたことがある気がするけれども、でも私の中でこの歌はこのバージョンだった。
塚田三喜夫という名前、この動画で初めて知った。

尾崎紀世彦版
作詞:なかにし礼 作曲:川口真 編曲:川口真



これは聴いた記憶がある。同じように上手いんだけど、違和感があった。

しかし尾崎紀世彦版の方が発売は早く、1973年ごろにカバー曲として収録されたようだ。

ということはオリジナルは誰?ということになるが、Wikipediaには現在ブレンダ・リーと書いてある。1972年の発売だ。



タイトルが少し違っている

しかしよく調べたら1969年にフランツ・フリーデルという人(ドイツ/日本のハーフ?)が津川晃という名前でシングルを出している。ロカビリーの人らしい。



なるほど~ 
なかにし礼、川口真などの作詞作曲の面子はこの人がオリジナルと考えると違和感がない。

たぶん編曲も尾崎版と同じ作曲者の川口真だろう。時々、いい曲だなあと思って見るとこの人の名前があったりする。塚田三喜夫の方は萩田光雄アレンジだ。このころからハデだったんだなあ。

その後1991年になって布施明がカバーしたらしい。



正直普段の彼の歌い方と大差ないので埋もれてしまっている。この曲が今も鮮烈な印象を残しているのは、やはり塚田三喜夫ボーカルがあってこそだったのだとつくづく感じる。

教えてください、神様/天馬ルミ子

2010年09月19日 | 山瀬まみ 天馬ルミ子
教えてください、神様/天馬ルミ子(1978)

作詞:杉山政美 作曲:都倉俊一 編曲:都倉俊一

時代を逆行したようなアイドルが現れた。

どうでもいいようなアイドルが大量に排出されて飽き飽きしていた頃、目立つ達者なボーカルが耳についた。思わずその声のするTVの画面を見ると、すくすくと良く伸びた手足を持つひまわりの様に明るい女の子が映っていた。彼女のスラッと伸びた日本人離れした健康的な足はもうほんと羨ましいほどに長く、きれいだったのだ。(その後この子が14歳だと知ってぶったまげた)

ところが次の瞬間、なんとその彼女が膝まづいたのだ。え~、今時それをやるか、という古色蒼然としたパフォーマンスであった。でも彼女にはそんな事も許せちゃう何かがあった。

そのデビュー曲「教えてください、神様」だが
売り上げというのが2.6万枚なんだとか

す、少ない

かなりパーっと売り出してたように見えたのでこの数字を最初に見た時は意外だった。しかし自分なりにやや思い当たることがあった。

当時TVでは何度か見てちょっといいな、と思っていたのだが、ある日録音のバージョンが流れてきた。

ところがそれを聴いたら、これがどうも良くないのだ。




シングル版 教えてください、神様


何だか固い感じで、あのTVで聴くイキイキとしたボーカルと比べると数段落ちる。ハッキリ言ってこれじゃ魅力を感じないなあと思った。

この曲の売上が意外に少なかった要因の一端にはこの事があるんじゃないかなと、かなり残念だ。(ホントに)


エイトマン(8マン) & 狼少年ケン

2010年09月17日 | エイトマン 狼少年ケン
エイトマン(8マン)- 1963~

作詞:前田武彦 作曲:萩原哲晶 編曲:萩原哲晶
歌唱:克美しげる

とにかく好きだ
アニメの主題歌ではぶっちぎり。

克美しげるという名前には覚えがあるなあ~と思ったが色々あったようで。ナマで歌ってるのもあるけどこれは全然ダメだ。エイトマンであってもエイトマンではない。自分にとっては元気の良さとクールさとが絶妙な具合に入り混じっているオリジナルの録音版のみが『エイトマン』なのだ。

ここまで行くとまるで別物↓ ソソられませんなぁ~

作詞:前田武彦 作曲:萩原哲晶 編曲:ヒトヨシノビタ
歌:たいらいさお
(1980)

しかしこれ 原作が「平井和正」なのだと!

そしてく脚本に「豊田有恒」「半村良」!!!

すごーいー~ 豪華メンバー揃い踏みだ~!

中身は全然覚えてないなあ。このオープニングで足が動いてないじゃん…と思ったくらい。

こっちは同時期の放送だったらしいが良ーく覚えてる。同じ時代のアニメとは思えない位レベルが高い。 ↓



この象を呼び寄せるのが羨ましかった

狼少年ケン(1963)

作詞:大野寛夫 作曲:小林亜星 編曲:小林亜星
歌唱:西六郷少年少女合唱団

そういえば小林亜星らしい曲だ。いろいろとターザンをパクってるなあ~ と思ったのを覚えている。アニメの動きがディズニーぽい。で、この後ジャングル大帝へと移行するとよりそれっぽくなるのだ。

黛ジュン/真赤な太陽

2010年09月10日 | 黛ジュン

黛ジュン/真赤な太陽(1967)~発売2002
作詞:吉岡治 作曲:原信夫

黛ジュンでつづけて3曲目

80年代になって美空ひばりがこの曲を歌っているのを初めて聴いて驚いた。

エ~~~ 黛ジュンじゃなかったの???

自分の中にこびりついているのは紛れもなくこの黛ジュンのスカーっとしたボーカルだ。この曲にヘンなこぶしなんか似合わない。黛ジュンは歌上手かったんだ~ と悪いけど聴き比べるとそう思う。

最近になって何やら事情があって黛ジュン版のこの「真赤な太陽」はお蔵入りしたのだと知った。力関係が物を言ったとか何とか。どこかで聞いたような…
あちらは20年後に監督が死んで4年後初めて公に実は、と言えるようになったけれど、こちらもかの人が無くなってやはり数年後、何と35年経ってやっと日の目を見たんだそうだ。私たちが知らないだけで実はこんな事は良くある話なのかも。