あたくしはアマチュア無線家ですの。おほほほほ(^o^)

 アマチュア無線家本流(?)のブログを立ち上げることにしました。特に東京都豊島区巣鴨1-14-2の爺様方は見るように。

江田五月参議院議長の年頭のあいさつ。

2010-01-05 03:26:16 | Weblog
 参議院のWebより転載します。

 素晴らしい挨拶なのでわが日記にもUPしてしまいます。

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年頭所感

 明けましておめでとうございます。皆さんには、すばらしい新年をお迎えのことと思います。本年が皆さんにとって幸多く、実り豊かな一年となることを心よりお祈りいたします。

 昨年夏の衆議院選挙により、政権が交代し、わが国の政治は大きく転換しました。有権者が投票により政権を実質的に選択したのは、歴史上初めてのことで、まさに画期的です。国会も、衆参のいわゆる「ねじれ」が解消し、新たな局面に入っています。「ねじれ」国会の運営にはさまざまな困難がありましたが、この経験は必ず将来に生かされると確信しています。しかし現在のところ、国会も政府もまだ手探りの状態にあるようです。先の臨時国会では、党首討論が行われず、また最後の本会議にも全会派揃っての出席が得られなかったなど、国会の生命というべき充実した審議とは遠い結果に終わりました。残念なことです。

 議院内閣制の下では、与党は政府とともに、自らの施策について説明を尽くし理解を得る努力をしなければなりません。他方、野党は政権運営を厳しく監視するという民主主義に欠かせない重い役割を果たす必要があります。それぞれの主張を一方的に言い放つだけで、噛み合った討論がないのでは、議会政治の本義は生かされません。何はともあれ各会派がテーブルに着いて現実に政策論争を行い、協調して合意点を探って初めて、国会が仕事をしていることになるのだと思います。昨年は「事業仕分け」が注目を集めましたが、すべての国会議員は国会の場で活気ある議論を交わし、ここに国民の注目を集めたいと思っていますし、国民の皆さんもそれを望んでいるはずです。

 私はこれまで、「政権交代構造の構築」とともに「市民政治の前進」を目指して政治に携わってきました。国会での活発な議論は、必ず市民の政治参加に結びつきます。これを促す議長の責務はますます重く、身の引き締まる思いでさらに力を尽くします。

 幸いにして参議院には、先の臨時国会の厳しい与野党対立の中でも、参議院が重視する決算審査の本会議質疑が全会派出席の下で行われたように、与野党の枠を超えて課題に取り組もうとする伝統があります。この夏、参議院議員選挙が行われますが、引き続きこの伝統を大切に守っていくべきだと思います。国民の皆さんには、今後も参議院の活動に対し、ご理解とご支援をいただくようお願いして、年頭のご挨拶といたします。

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 民主党本部で事がきまるのではなく、夏から洗浄工事して綺麗になった国会議事堂で時間がかかっていいから、活発&熱心な討議が展開されることを期待します。国会で民主主義が貫かれないと、自治体議会はもちろん町内会から学級会まで民主主義がいきわたらりませんものね。

 基本の法律だけを国会で制定して、あとは省令にまかせるという、官僚主導の法体系も見直してほしいものですね。CQ出版社刊電波法令には、しっかり利権を認める文章が載っていますものね(これは電波法令と闘ってこられた先輩から聞きました)。なんでも官僚任せなのか、現場での裁量権の維持なのか、バランスはきわどいものがありますけどね。

【訃報】LA3KY Mr.K.M.Haugland

2010-01-02 17:45:21 | Weblog
 QTC-Japan.Comによりますと、LA3KY Mr.K.M.Hauglandがサイレントキーされたとのことです。享年92歳。
 1947年に行われたトール・ヘイエルダールによるコンティキ号 (Kon-Tiki)の大航海の無線担当クルーでした。

 南太平洋の諸島に住むポリネシアの起源について南米のインカ文明とポリネシア文明との相似点が多いことから、 南米からポリネシアに移住したのではという仮説を実証するために、インカを征服したスペイン人たちが描いた図面を元にして、バルザや松、竹、マングローブ、麻など、古代でも入手が容易な材料のみを用いて一隻のいかだを建造しました。唯一違うのが無線機を載せたわけで、無線担当がLA3KYだったわけです。といっても鉄の船でも一枚板の下は地獄なのに、古代の材料での航海ってもっと凄い冒険だったようですね。

 船名はインカ帝国の太陽神ビラコチャの別名から命名されました。

 1947年4月28日にペルーのカヤオ港をより漂流を開始した。コンティキ号はフンボルト海流にのって、ヘイエルダールらの予想通りに西進し、102日後の1947年8月7日にツアモツ諸島のラロイア環礁で座礁して大航海は終了。航海した距離は4,300マイル (8,000km弱) に及びました。

 この航海の出来事をヘイエルダールが本にまとめたのが、1948年出版されたに『コンティキ号探検記』なんです。筑摩書房のちくま文庫で文庫本になっているようですが、偕成社文庫では「コンチキ号漂流記」が出版されています。どちらもヘイエルダールの著作なんですが、ちくま文庫の方は水口志計夫さんの翻訳で、偕成社文庫の方は神宮輝夫さんの翻訳です。本によってコンティキ号になったりコンチキ号になったり、QTC-Japan.Comではコンーチキ号と表記されていました。

 その後の研究やDNA調査等によりますと、ポリネシア人はアジアを起源として移民した人々の子孫であることが定説ということがわかりました。アジアを起源として移住するにしても、当時は命がけの大冒険の移住だったのは間違いありませんが。

 ご冥福をお祈りします。