らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

暑いから寒い

2008年11月18日 20時09分45秒 | 親父の普段の生活
粕汁を食いました。美味かったです。



数日前まで半そでTシャツ1枚の日がありました。
今年の夏に買った窓用クーラーを外し、ヒーターを出しました。
この灯油ファンヒーターは14年選手です。
ベテランの201(ニオワン)ですが、ちょっと匂いますし
気まぐれで急に止まります。
二酸化炭素中毒になったら困るのでそろそろ、買い替えの時でしょう。




恩師のコメントで鹿児島の疲れが飛んでいきました。
今週末は大分での再会です。
修学旅行以来の温泉が親父は楽しみです。

桜 真っ赤っ赤

2008年11月18日 18時00分53秒 | 風景&花
帰り道、いつもの橋の上から桜の木を見た。
大分は本日、冬です。
二日前の鹿児島は暑かった。
昨日の大分もシャツ1枚でした。
今から窓のクーラーを外してヒーターを出します。
その後、酒粕を買ってきたので、粕汁を作ります。
粕汁は大分の食堂には無いです。美味いのになぁ。
豚汁も無いです。
今日の晩めしは粕汁とにぎりめしです。

旅行の疲れはまだ取れません。

2・3日のうちに、桜の葉っぱも散るでしょう。

鹿児島市は日本一

2008年11月18日 10時36分43秒 | 県外への旅
知覧から鹿児島市へ戻り
照国神社・城山等を巡った。



市電の軌道の横を走りながら鹿児島中央駅へ。
親父の子供の頃の同級生が国から出向し市の№2です。
3年6ヶ月前に鹿児島へ単身赴任です。
その彼がこの鹿児島市電を軌道緑化し、ユートラムを導入しました。
本当に美しく。すばらしいです。





鹿児島に素晴らしい足跡を残し、春には国へ帰るみたいです。
彼みたいな立派な役人に滋賀の大津駅前も何とかしてもらいたいものです。

町自体もとても美しく、路肩等にゴミも見当たらないです。
灰の町のイメージですが10年以上灰も降っていないらしいです。
ただ、過去に灰が振っていたための逆効果で
掃除の習慣等があるのではないでしょうか。

親父は鹿児島市が日本一美しいと思います。
大分市もゴミゼロで、多くの市民が掃除に参加しギネスに載りました。
けど、路肩にはゴミはあります。
記録作りが目的であってはならないと思います。



商売柄、交通安全施設に目が行きます。
中央駅前の横断防止のポストコーンはおもしろいです。
施工も早いし、目立ちます。撤去も簡単なので
歩行者天国などにも使えそうです。



歴史と近代の調和の町、鹿児島へはまた来たいと思います。



特急きりしまで宮崎までそして、にちりんで大分へ
6時間の帰途です。
親父が生きているうちには高速も鹿児島とつながる事は無いやろし
新幹線も通らんやろうから。ただ、将来宮崎へは1時間
鹿児島へは2時間ぐらいで行ける様になってもらいたい。

たった、1泊2日でしたが実のある良い旅でした。

いざ 知覧へ

2008年11月18日 09時46分35秒 | 県外への旅



2日目、桜島から知覧へ
親父が今回の旅行で一番行きたかった所です。



まず、武家屋敷群へ。
商売柄、標識とか案内板を見るのが習性であり
武家屋敷はサムライハウスだと今回知った。



テレビでよく見る藁葺き屋根の二つ家へ行ったのだが
家よりも室内に天皇陛下の写真が飾ってあるのが懐かしかった。
親父も子供の頃家に飾ってあったというか、祭ってあった。
天皇が神様だった名残であるし、今でも扱いは変わっていないような気がする。




町並みは非常に美しい。庭がとても美しいらしいがあまり興味は無い。

いよいよ、特攻会館へ。
途中に「富屋旅館」「富屋食堂」があった。
特攻の母『鳥濱トメさん』の店である。

行く道沿いは数知れぬ灯篭があり、葉も散った桜並木が寂しさを誘った。
特攻隊の事は色々勉強したが知識を披露する必要も無いので
写真だけを並べる事とする。ただ、会館内は写真撮影が禁止されていた。



特攻兵の指差す先は薩摩富士 開聞岳だ。
開聞岳の南を沖縄に向かって行った。





特攻兵のおかあさんの像である。
館内の遺書・手紙は母・女兄弟へが圧倒的に多い。
父親も戦地へ行っていたためだと思う。





館内にある海から上がったゼロ戦の尾翼等である。
日本が引き上げた特攻隊機はあまり存在しない。

館内の遺書・遺品を見て周り、
ただ、止めどなく涙がこぼれた。
詳しくは一度は行って見て下さい。

親父が一番印象に残ったのは
90歳ぐらいの車椅子のおばあちゃんが
ずっと、一つの遺書の前で涙を流しておられた事です。

そして、他の観光地と違い皆、静かに観覧していた事。
日本人も捨てたものやないなぁと思った。

武家屋敷群・特攻会館、親父たちと同じ時に
中国か台湾の観光客が多数来ていた。
どんな気持ちで視ているか知りたかった。

特攻兵でアリランを歌いながら戦地に散った兵隊がいる。
戦前の日本国は如何なものだったか。

戦地に散った特攻兵は東京都が一番多く。
大分県は25人滋賀県は10人であった。
戦没者に合掌し、鹿児島市内へ。