エウアンゲリオン

新約聖書研究は四福音書と使徒言行録が完了しました。
新たに、ショート・メッセージで信仰を育み励ましを具えます。

異邦人へ及ぶ力ある働き

2013-05-26 | ルカによる福音書
 こうしてルカの福音書は、「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた」(ルカ24:52-53)と記されて幕を閉じます。ただし、ルカが万感の思いでこれを記したかというと、どうもそうではなく、心は次の使徒言行録に移っていたのではないか、とも思われます。イエスの前にひれ伏して礼拝した、というところも、有力な写本にはないとのことです。そしてまた、ヨハネの福音書にもありません。従って、相違がすべてヨハネに基づいている、というわけではないと分かります。では原文はどちらか、ということも興味が湧きますが、やはり分からないとしか言いようがないでしょう。このあたりは「そして」の流れでスムーズです。たいへんな喜びであったことが付け加えられています。それでもまだ、聖霊による深い理解はまだです。弟子たちの喜びを否定することはできませんが、この喜びには、まだ人間くささが残ります。弟子たちは、次にステップに進むために、エルサレムに滞在します。そしていつも神殿にいた、とありますが、もちろんそこに住んでいたわけではなくて、毎日そこに通ったということでしょう。弟子たちは、次に何をすればよいのか、まだ分からずにいたのです。そして通常の宗教的生活を続けるのです。イスラエルの神を讃えよ、とその神殿に詣でます。敬虔な祈りの生活を続けます。それしかできないのです。ルカの福音書の末尾は、不思議な言葉で終わります。「神を祝福しながら」というのです。ヨハネの影響を受けていない写本は、「神を讃美しながら」となっているといいます。ままある表現ですが、当時の人もどこか不自然に感じたので変更した可能性もあります。思えば、「讃美する」とか「讃える」とか「祝福する」とか、分かっているようで実は曖昧な表現です。日本語だけの問題ではないようですが、日本語だといっそう歴史的な背景に欠けるので、ぼんやりした理解になるかもしれません。私たちが思うほど、上下差はないのかもしれません。この幕切れは、次の展開を待っているように見えます。ルカの福音は、異邦人へ及ぶ力ある働きとなって、新しい世界をここから開拓していくことになるのです。
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