日本人の起源

遺伝子・言語・考古・歴史・民族学などの既存研究成果を統合し、学際的に日本人と日本語の成り立ちを解き明かす

10.まとめ(世界的視点)

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点

・Y染色体・ミトコンドリアDNAハプログループは非出アフリカ+出アフリカ後3ルートの4グループに区分され、各々が「人種」を形成する。

Y染色体・ミトコンドリアDNAハプログループにより人種が判別できる

・人種間の系統樹は混血を前提に描く必要がある。(そうでなければ誤った結論に至ってしまう。)

Y染色体ハプログループ言語はある程度の相関性があり、語族を担うY染色体ハプルグループが存在する。ただし語族より上では相関性を必ずしも見出せない。

・語族より上位の系統樹を構築することは原理的に不可能である。

・環境変動は民族移動を考える上で重要なFactorである。


以上、世界的の視点から見てきた。次章ではいよいよ日本人の起源を解明しようと思う。

→次頁「Ⅱ-1.日本人と日本語のルーツを探る(人類学から) 1.明らかになった日本人のルーツ」へ

9.環境変動

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 最後に、人類史において重要なFactorとなる環境変動についてごく簡単に触れておく。最終氷期の最寒期は2万年前といわれる。以降徐々に気温が上昇し、1万年前に現在とほぼ同程度の気温になったと言われる。ちょうどこのころに農耕が開始したことと無関係ではないだろう。
 気温が上昇すれば氷河・氷床が解けて海水面が上昇するから、もと平野であった所の多くが水没することになる。世界中に似たような洪水神話が存在するのもここに起源するものと思われる。特に「ノアの洪水伝説」は海水面上昇により持ちこたえられなくなったボスポラス海峡が約7500年前に決壊し、黒海に大量の海水が流れ込んだ事件が後世に伝わったものであるという(文献1)。古代ムー大陸やアトランティス大陸も、それを科学的に考えれば海面上昇により水没した大陸棚を指しているものと思われる。
 1万年前以降も寒暖の小変化は繰り返された。6000年前頃に最も温暖であったと言われ、日本では「縄文海進」が起きた。以降は徐々に寒冷化傾向にある。特に2500年前頃にやや強い寒冷期があり、中国大陸においては華北黄河流域に住んでいた漢民族の南下により長江文明が崩壊したとされる。歴史的には春秋戦国時代の呉、越の滅亡に当たる。呉の末裔が日本に東流した倭人であることは後で詳しく述べるが、このような民族大移動の原因は気候変動によるものが大きい。
 民族移動を考える際、古気候、古環境を考慮に入れねばならない。サハラ砂漠は8000年ほど前は湿潤であったという。現在砂漠であったところも過去は肥沃な草原だったかもしれない。現在のシベリア針葉樹林(タイガ)が広がる地帯は1万年前まではマンモスステップであった。過去の環境を現在と同視するととんでもない結論に至ることがあり注意を要する。人類史を紐解く場合はその時々の環境を背景に考察しなければならない。

図1-30(文献2より)

図1-31(文献3より)
「ノアの洪水」は温暖化による海水準上昇により、ボスポラス海峡を通って地中海から黒海へ大量の海水が一気に流れ込んだ出来事をさすとされる。その流量はナイアガラの滝の200倍であったという。最新研究では数々の科学的証拠が発見されている。

→次頁「まとめ(世界的視点)」へ

<文献>
1.ウィリアム・ライアン  ウォルター・ピットマン(2003)『ノアの洪水』集英社
2.『日本人のルーツがわかる本』「逆転の日本史」編集部 編宝島社 1999 P129
3.http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/022/325/48/N000/000/003/138393926342062406226_blackseamap.jpg

8.語族より上位の系統とY染色体Hg

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 世界の言語は語族に括ることができ、Y染色体Hgとの関連性もわかった。では語族より上位の系統はどうであろうか。
 一部の言語学者は、語族より上のカテゴリーに「大語族」を提唱している。アメリカの比較言語学者グリーンバーグは、インド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、アルタイ語族、日本語、エスキモー・アレウト語などユーラシア大陸の殆どの言語を「ユーラシア大語族」として括った。これは画期的な試みとして注目される一方で、言語学的証明はとうてい不可能であるために、言語学の世界で賛同を得られているとは言い難い。地球上の全人類は元をたどれば同一の祖先にたどりつく。よって世界の言語は「人類共通祖語」から派生していったはずである。しかしながら、語族間の系統を探るだけでもお手上げ状態なのである。
 現生言語から同系性を確かめることが可能な可遡年代は5000年とされる。印欧語族は祖語が6000年前とされるが文献、石碑などの発見により過去の言語について研究可能であるからである。語族同士の系統はおそらく10000年以上遡るものであるから、言語学的には証明できないということになる。ではなぜ語族より上の系統は言語学的に証明できないのであろうか。それには語族形成のメカニズムを考える必要がある。
 同一語族に属する言語は比較的最近拡散したものである。言語学的に証明可能であるかあるいは同系性が想定される5000~10000年前に分岐したものである。分布を広げた祖語は次第に分化していく。初めは方言といわれる小さな差異だが次第に別言語となっていく。下位分化した各言語は、次第に隣接する他系の言語や基層言語と接触、混合することになる。文法は保存するが語彙が大幅に入れかわったり、発音を保ちながら基礎語彙が交換してしまうなど、大幅な変化を起こす場合もある。時間がたてばたつほどこの効果は増えていく。言語学的に同系性が証明できる上限が5000~10000年前である理由も多くはここにあると思われる。他言語と混合して大きく変容してしまった言語は、系統を決定できなくなる。
 このようにして成立した混合言語が、何かのきっかけで文化的優位性をもって再び広範に拡散したらどうであろう、新たな語族の誕生である。しかしその語族自体の系統は、混合を経ているために決定不可能なのである。世界の語族同士の系統が決定できない原因の多くがここにある。祖語自体が混合言語なのである。混合言語はハイリッドであるから系統的位置が定まらないのだ。

図1-28 語族の形成モデル

 言語要素ごとの系統(文法、発音、人称代名詞、語彙など)に限ってみれば、世界の言語の系統樹を書くことは可能である。実際に人称代名詞を用いた世界の言語系統樹を描く試みがなされている(松本2010)。しかしそれをもってイコール言語の系統とすることはできないであろう。発音や文法も重要な言語要素であるからである。世界の言語は過去に何度も混合を経ているため、生物種のような純粋な系統樹を描くことは不可能であろう。

図1-29

 では、遺伝子から見た場合どうであろう。先に語族を担うY染色体Hgが存在すると述べた。ある集団についてY染色体Hgをみればその集団の使用言語の系統がわかるのであろうか。言い換えればY染色体Hgの系統によって語族同士の系統も決定できるのであろうか。
 残念ながらこちらも諦めざるを得ない。先に見たように同一語族内でも拡散するにつれ言語を担うハプログループが交換する「話者交換」が起きてくる。例えばインド・ヨーロッパ語族を担うY染色体HgはR1aであるが、西欧地域の多くでR1bに話者交換した。このR1bはもともとバスク語やイベリア語などを担うハプログループと考えられる。ローマ帝国支配時にイベリア語など非印欧語族分布地域であった西欧にラテン語が広まった。住民は殆ど交換せずにDominental Minorityが生じた。そのためフランス、スペインなどではR1bが60%近くを占めている。スペインは大航海時代直後に新大陸に進出したが民族移動の観点からみるとスペイン語を担うY染色体HgはR1bとすることができよう。しかしながらスペイン語の祖先であるインド・ヨーロッパ祖語を担うY染色体HgはR1aであり、一度言語交換が起きている。さらに言えば、インド・ヨーロッパ語族を担うHgが最初からR1aであったかも不確かである。拡散させたのはR1aであるが、拡散以前の祖語の段階でR1aが言語交換した可能性もある。このように考えていくと、言語は少なからず話者交換を経ており、Y染色体Hgの系統をもって語族間系統を決定することはほとんど不可能であると言わざるを得ない。
 結論としては、言語はさまざまな混合、話者交換を経ているために、言語学的にも遺伝子の側面からも語族より上位の系統構築は、原理的に不可能といわざるを得ない、ということになろう。

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7.人種・民族・言語・遺伝子 -言語と遺伝子の相関-

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 人種、民族、言語などはしばしば混同される。同一民族であっても人種が異なる場合もありうるし、遺伝的にも明らかに同人種とされる民族でも使用言語が全く異なる場合もある。これらはどのように定義されるのであろう。
 人種というのは先にも述べたように、遺伝子が決定する。すなわち人類拡散時の移動ルートによるものであり、Y染色体・ミトコンドリアDNAハプログループによって判別可能である。一方の民族は母語とする言語によって決まるとしてよいであろう。(民族の定義は様々あるが、本論では言語で規定されるもの定義とする。)どのような遺伝子を持とうが、日本語が母語であれば日本民族である。このように考えると、人種は遺伝子によってきまり、民族は言語によって決まるということができる。
 では両者は全く無関係であろうかというと、そうではない。言語を担うのが人間である以上、言語と遺伝子もまたある程度相関が認められるのである。
 人類は父系氏族性が多い。大規模な民族移動は同一言語の拡散をもたらすが、男性主導の場合が多いといえる。一般的には移住男系集団が現地先住女性と配偶することが多い。これはミトコンドリアDNAの多様性がY染色体よりも高くなる要因でもある。すなわち言語の拡散は男系集団が担うことが多い。よってY染色体のハプログループと言語は相互に関係している場合が多いと想定される。これを確かめるため、2つほど事例をみてみる。
 1つ目にインド・ヨーロッパ語族をみてみよう。この語族は英語、フランス語、イタリア語、ロシア語、サンスクリット語などヨーロッパの有名言語を包有しているが、下図に示したように、祖語は黒海北岸の南ロシア平原から拡散していったと考えられる(クルガン仮説)。隣はY染色体HgのR1aの分布図であるが、両者は似たような分布を示していることがわかる。よってインド・ヨーロッパ語族とY染色体R1aの相関が考えられる。

図1-23、24(Wikipedia)
 次に西シベリア~北欧に分布するウラル語族である。図1-25、26はウラル語族とY染色体ハプログループNの分布図である。両者は似たような分布をしているのがお分かりいただけるであろう。Wikipediaの世界中の民族集団のY染色体ハプログループ割合一欄表
(http://en.wikipedia.org/wiki/Y-chromosome_haplogroups_by_populations)をみてみると、ウラル語族はハプログループNが過半数を占める集団がほとんどである(表1-2)。これはウラル語族とハプログループNの明らかな関連を示している。

図1-25 Y染色体Hg:Nの分布       図1-26 ウラル語族の分布 
表1-2


 このようにして世界の言語を調べていくとおおよそ表1-3のような対応関係が見えてくるのである。印欧語族はR1a、ウラル語族はN、日本周辺ではモンゴル語などアルタイ語族はC2、シナ・チベット語族はO3、ポリネシア語などオーストロネシア語族はO1と相関する。

 一方のミトコンドリアDNAハプログループは、Y染色体ほど明瞭な関係性は見られない。ただしアメリカ先住民のようにY染色体Hgの多様性が著しく低い場合、集団同士の近親性および言語系統を解明する手掛かりとなる。またミトコンドリアDNAハプログループは一度定着すると移動、拡散しにくく、地域特異性が高いためハプログループの多様性から人類未踏地への最初期定着ルートが判別できるという側面がある。例えば東アジアでは北部にD*,D4*,C*など未分化パラグループが多いのに対し、南部ではR4a1a,R9c,B4a2,F1a3,F1a4,F3,M7b3,N9a6,Y2,E など特定の下位グループのみが展開する傾向がみられる。これから東アジア集団の初期定着ルートが北から南の流れであったことが読み取れる。後からの移動・淘汰が激しいY染色体ハプログループでは単純に推定することができないから、ミトコンドリアDNAハプログループの有用性が高いということになる。
 さて、Y染色体Hgと語族には相関関係があるが、同一語族の全ての言語に当てはまるわけではない。これは「話者交換」がしばしば引き起こされるからである。次頁の図1-33はアルタイ語族の拡散と相関するY染色体Hgの分布図である。アルタイ祖語の話者はY染色体Hg:C2であり、最初は担い手自体が拡散していく「話者移動」であったが西方に拡大していくうちに次第にR1a,Jなどに担い手が交換していく「話者交換」がおこる。語族の拡散は周辺部に行くにつれ後者が増えていく傾向にある。話者交換は言語を基準とする概念であるが、場所を基準とすれば先にあげた「言語交換(dominental minority)」が生じたことになる。インド・ヨーロッパ語族についても元来の担い手、Y染色体Hg:R1aは西欧にはほとんど及んでおらず、ローマ帝国の支配などで複雑な過程を経て「話者交換」「言語交換」が生じたと考えられる。

図1-27

→次頁「8.語族より上位の系統とY染色体Hg」へ

6.言語の分布と盛衰

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 次に、言語の分布をみてみよう。世界の言語は様々な分布様相を示す。インド・ヨーロッパ語族やアルタイ語族のようにユーラシア大陸を広く覆う言語群が存在する一方、北海道のアイヌ語やスペイン・フランス国境のバスク語というような系統不明な言語が孤立して残存していたり、ニューギニア島やアメリカ先住民の言語のように互いの系統が不詳な言語が多く共存している地帯も存在する。世界の言語の分布様式は一般に1)モザイク分布 2)均質分布 3)残存分布 の概ね3型に区別できると思われる。
1)モザイク分布-は互いに系統不詳あるいは証明が困難な言語が狭い分布で多数共存する状態である。南米のアメリカ先住民の言語やニューギニア島の言語がそうである。これらの地域について一般に言えることは狩猟採集生活を行い、人類入植以来ある程度の期間がたっていながら、一度も言語的に単一化された歴史がない、広範囲の支配>被支配の関係が生じなかった地域ということができる。もちろん「国」というものが存在せず、言語的にも互いに独自性を強めてきたのである。
2)均質分布-はモザイク分布と対極的で、ごく最近の単一語族の急速拡散の結果である。ある集団が文化的優越性を生じる要素(農耕、騎馬など)を身につけた場合、周辺の狩猟採集民などを駆逐、同化して言語を置き換え、分布を広げることで急速拡散をする場合である。1万年ほど前に農耕が開始して以降農耕民の急速拡散が生じた。古メソポタミア語族、古西欧語族(共に畑作)、オーストロアジア語族(稲作)などが分布を広げたと考えられる。6000年前頃になると騎馬戦士文化を伴ったインド・ヨーロッパ語族が拡散し、5000~4000前頃からはアルタイ語族(騎馬文化)やウラル語族(トナカイ遊牧)などが分布を広げたようである。また優れた航海術を身につけ台湾からインドネシア、太平洋地域に広く拡散したオーストロネシア語族もこれに含まれる。
3)残存分布-はかつては均質分布であった言語が、新たに拡大してきた均質分布の言語に置き換えられ、駆逐、分断されるかたちの言語である。かつてパキスタン~インドに広く分布し、インド・ヨーロッパ語族の進入で分断したドラヴィダ語族や、かつて東南アジアに広く分布し現在ではタイ系言語やビルマ系言語に分断される形となっているオーストロアジア語族などがあげられる。この分布は時間軸による語族の栄枯盛衰を反映していると言える。

図19、20、21(Wipikedia)

 世界の語族は歴史学的、考古学的におよそ拡散経路、時期が推定されているが、一欄を表1-1に示した。語族拡散の必要なのは文化的優越であり、農耕、騎馬戦闘、航海術などが考えられる。約1万年前に開始された農耕を携えて拡散していった語族がいくつか見られ、次段階では騎馬遊牧などより進んだ文化的優越性を持つ語族が拡散していったと考えられる。

表1-1


 ところで、高橋ほか(1995)によると文化地理学では伝播を大きくa1)接触拡大伝播 a2)階層性拡大伝播 b)移転伝播の3種に大別できるという。a1)接触拡大伝播は紙に水が浸み込んでいくように接触によってじわじわと拡大するものである。方言語彙の「方言周圏論」が例としてあげられる。a2)階層性拡大伝播は重要人物が他の重要人物へ、大都市から大都市へというように、他の人々を飛び越えて伝播する過程である。これは世界各地における近代の西欧文化の伝播などが当てはまるであろう。b)移転伝播は文化特性を持つ個人や集団が新しい居住地へ移動することで発生する。ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住することによる完全な西欧化はまさに好例であろう。

図1-22

 さて、これらを言語と住民という視点に応用してみよう。言語の伝播、拡散形式にはさまざまなものが考えられる。外部から強力な支配者の支配を受ければ、住民がほとんど変わらず言語だけが支配者のものに置き換わることもありうるが、一方で言語を使用するのは人間である以上、人間の混合が起こらない場合、語彙の借用などを除き言語は本質的には変化しないようにも思える。言語と住民の関係には場所を基準にした場合、大きく以下の5型に分類できると思われる。

1.言語交換(住民そのまま)(Dominant minority)
 住民は殆ど変化せず外部からの少数の支配者層の母語に言語交換する場合。
例)トルコ共和国:トルコ語…アナトリア地方は古来より数回の言語交換を受けた
2.住民混合+言語交換
 外部からの支配者層と原住民が混合した状態であり、言語は支配者層のものに交換した場合。
例)インド:インド・アーリア語
3.住民混合+言語混合
 外部から進入した集団と原住民が混合し、言語も混合した場合。
例)ハザーラ語(モンゴル語+ペルシャ語)。日本語(族)もこのタイプであると思われる。
4.住民交換+言語交換
 外部から進入した集団が原住民をほとんど駆逐してしまう場合。
例)北海道:アイヌ⇒日本人…北海道はアイヌの土地であったが、現在は99%以上日本人が居住している。

 文化地理学の伝播拡散モデルに当てはめると、1が階層性拡大伝播 2~4が移転伝播に近いと言える。なおこれらは質的概念であり絶対的基準はない。

→次頁「人種・民族・言語・遺伝子」へ

<文献>
高橋伸夫ほか(1995)『文化地理学入門』東洋書林

5.言語について

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 世界には4000もの言語が存在すると言われる。その中でそれぞれ近縁関係がある言語は「語族」としてまとめられる。語族とは同一の祖語から枝分かれしていった下位の言語群の集合体ということができる。西欧に発祥した比較言語学の分野ではさまざまな言語を系統的に結び付ける研究が進められてきた。同一語族に属するには文法の一致、基礎語彙の一致が必要であり、さらに音韻対応の法則というものが重要になってくる。これはある同系語彙において、例えば言語Aで[a]であるものが言語Bでは[u]、子音についても言語Aで[k]であるものが言語Bでは[g]となるという対応関係があらゆる語彙に見られという法則である。
 身近な例では日本語のオ[o]が琉球語ではウ[u]、日本語のエ[e]が琉球語のイ[i]、日本語のハ行音[h]が琉球語ではパ行音[p]となる(米→クミ、花→パナ)。これらから日本語と琉球語は同系とみなされるわけである。このような比較言語学の手法によりヨーロッパの言語とインドのサンスクリット語が同系であることが発見されたことで「インド・ヨーロッパ語族」が確立されたことを契機に、世界のあらゆる言語を語族に括ろうという試みが行われてきた。
 世界に主要語族を下に挙げてみた。ここには必ずしも音韻対応の法則が証明されていなものも含まれている。アルタイ語族、シナ・チベット語族などは内包下位言語に明らかな類似性が認められるものの、比較言語学的に同系であることは証明できていない。しかし世界の言語学者に一般的に広く用いられることが多いため、今後はそれらのグループも「語族」と呼ぶことにする。世界の語族地図を図1-18に示した。
 言語学的手法では現存語において他言語との類縁性を検証する可遡年代は一般的に5000年前、どんなに遡っても1万年前までであるといわれているため、自ずと限界が出てくる。言語学的に単一祖語から分岐したことが完全に証明された語族としてはウラル語族、インド・ヨーロッパ語族、オーストロネシア語族である。ただし同系であることが分かってもこれら語族の語派(語族より一つ下位のカテゴリーを語派と呼ぶ)やそれより下位のグループ同士の系統関係はなかなか確立できていないのも現状である。




図1-16、17(Wikipedia)


図1-18 世界の語族(500年前)(諸文献より作成)

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4.ホームランドと人種系統樹

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 さて、各人種の拡散過程とホームランドについて簡単に見てみよう。ネグロイドは出アフリカを果たさなかったグループである。出アフリカを果たしたのは元来アフリカにいた人類集団のごく一部であるから、アフリカに残ったグループであるネグロイドは系統学でいう側系統に近い。これは常染色体、Y染色体、mtDNAのいずれからも確かめられている。
 出アフリカを果たした集団のうち南ルートをとった集団がオーストラロイドである。オーストラリアアボリジニ、パプア・ニューギニア島先住民、東南アジアのネグリト、インド先住民等が属する。オーストラロイドは移動ルートのみで定義した人種であるため拡散中心が存在しない。距離的に離れたインド先住民とオーストラリアアボリジニとの間では、到達時以来遺伝的交流がなく遺伝的差異が大きいと考えられる。オーストラリアアボリジニの祖先は50000年前にオーストラリアに至ったようである。
 北ルートをとった集団はモンゴロイドとなった。拡散中心は現在モンゴル北部辺りと考えられる。ユーラシア大陸東部、アメリカ大陸全土に拡散し、オーストラロイドと混血しながら太平洋ポリネシア地域にも広がり、地球上最も広範な分布を持つ人種となった。45000年前にアルタイ山脈付近に至り、15000前にアメリカ大陸や東南アジアへ広がっていったと考えられる。
 西ルートをとった集団はコーカソイドであり、中東、ヨーロッパに分布している。拡散中心はその名の通りコーカサス地域と考えられ、人類学で登場する「クロマニョン人」はコーカソイドに属すと考えられる。40000年前頃に最初の集団が中東からヨーロッパへ進出したようである。
 これら4人種は当然のことながら隣接部では混血している。中央アジアではモンゴロイドとコーカソイド、東南アジア、オセアニアではモンゴロイドとオーストラロイド、インドではコーカソイドとオーストラロイド、北アフリカではコーカソイドとネグロイドがそれぞれ混血している。特に北アフリカ地域は「ホワイトアフリカ」とよばれ、かねてよりコーカソイドが分布すると思われていたが、Y染色体ハプログループの過半数がアフリカ内起源(非出アフリカ=ネグロイド)のE1b1bであることが分かった。よってコーカソイドとネグロイドの混血である。肌の色は緯度によって可逆的に変化しやすい形質であり、とくに混血を経ている際は人種決定に注意を要する好例であろう。
図1-13(再掲)

 最後に、人種の系統樹について述べておきたい。さまざまな遺伝子を用いて人種同士の系統を探ろうという試みがなされている。しかしこの方法には盲点があり、混血が全く反映されないのである。例えばオーストラロイドとモンゴロイドの混血人種の場合、用いる遺伝子によってモンゴロイドと近縁と出る場合もあればオーストラロイドに近縁と出る場合もある。多数の遺伝子を用いて一致度が高いもの同士を姉妹群と見る方法の場合は、混血集団は両祖先どちらともに共通性が高いと出てしまう。東南アジア人は多かれ少なかれモンゴロイドとオーストラロイドの混血であるため、オーストラロイドにもモンゴロイドにも近縁と出てしまう。よって混血集団を媒介としてモンゴロイドとオーストラロイドが近縁であるかのような系統樹が描かれてしまうことになる(たとえば図1-14)。これは明らかに混血による誤りといえる。系統樹というもの自体が近縁なもの同士をつないで一元的に祖先を求める手法であるがゆえに、混血が全く反映されなくなっているのである。生物種間と違い人類集団内は混血を経ているために単純な系統樹は適用できない。このような注意点をふまえ、移動ルートを鑑みて簡単な人種系統を描くとすれば、図1-15のようになるであろう。

図1-14 このような系統樹には混血が反映されていない(Wikipedia)


図1-15 混血を考慮した系統樹

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3.移動ルートと人種形成

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 世界の人類集団を区分する際に長らく人種という概念が用いられてきた。欧州を中心としたコーカソイド(白色人種)、東アジアとアメリカ先住民のモンゴロイド(黄色人種)、アフリカのネグロイド(黒色人種)は3大人種とされている。オーストラリアのアボリジニなどオーストラロイドを加えて4大人種とする場合もあり、アメリカ先住民をアメリンドとして独立させる場合もある。各人種は肌の色、髪の色、顔立ちなどによって長年区分されてきた。例えばネグロイドは黒肌や広鼻、コーカソイドは目鼻立ちのはっきりした顔、モンゴロイドは平顔、蒙古班などが特徴的だ。最近では遺伝子からもその妥当性がある程度支持されている。一方で一部の遺伝学者からは従来の形質人類学的手法による人種区分は非科学的であるという声もあるが、果たして人種とはどのような歴史を経て形成されたのであろうか。
 先に、人類は出アフリカ後、南ルート、北ルート、西ルートの3方面に拡散したと述べた。これは遺伝子の面からもはっきり読み取ることができる。前に挙げたY染色体ハプログループについてそれぞれのハプログループが進んだ移動ルートは次のようになる。
 非出アフリカ…A,B,E 
 南ルート…C1b,C1c,F1~4,K*,M,S ,H, L 
 北ルート…D,C1a1,C2,N,O,Q 
 西ルート…I,J,G,R。
 ミトコンドリアDNAについても同様に、非出アフリカ+出アフリカ後3ルートにはっきり区分することができる(ここでは詳細は省かせていただく)。実はこれがそのまま人種形成につながったのである。すなわち、南ルートをとったグループがオーストラロイド、北ルートをとったグループがモンゴロイド、西ルートをとったグループがコーカソイドになり、出アフリカをせずアフリカに留まったグループがネグロイドなのである。よってこれらからすなわち人種を判別できることになる。Y染色体Hgについては 
 非出アフリカ:A,B,E ⇒ネグロイド 
 南ルート:C1b,C1c,F1~4,K*,M,S,H,L ⇒オーストラロイド 
 北ルート:D,C1a1,C2,N,O,Q ⇒モンゴロイド 
 西ルート:I,J,G,R ⇒コーカソイド

となる。

図1-11

図1-12

 ある地域の人類集団(民族など)の人種を知りたい場合、Y染色体、ミトコンドリアDNAのハプログループを調査して、どのルート由来かみれば、どの人種に区分されるか、混血の度合い、母系と父系の由来の違いなどがおおよそ判別できるのである。これは髪の色、肌の色、眼の色等に比べ科学的かつ確実な人種決定法であろう。このようにして判別される世界の人種地図が図1-13である。

図1-13
 なお各ルートへの移住の波は複数回あったと考えるのが自然だが、ルート途中で先住波集団と混血し均質化していった。また同一人種内の集団に多系統のハプログループが存在する、すなわちY染色体Hgの系統と人種系統が一致しないことにも注意が必要である。すなわち人種形成における母集団の段階で多系統のハプログループを保有していたと考えられる。

→次頁「4.ホームランドと人種系統樹」へ

2.Y染色体とミトコンドリアDNAハプログループ

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 人類の拡散史を最も明快に示すのは遺伝子であろう。特に、父系、母系に遺伝していくY染色体とmtDNAは系統をみるのに非常に有効である。Y染色体、ミトコンドリアDNAのハプログループは近年大幅に研究が進展している。ハプログループとはハプロタイプを系統に沿ってグループ化したものである。(ハプロタイプは、生物がもっている単一の染色体上のDNA配列のことである。ヒトなど二倍体生物の場合、ハプロタイプは各遺伝子座位にある対立遺伝子のいずれか一方の組合せをいう。)両者とも系統をみるのに適しており、常染色体が頻度をみるのに適すのとは好対照である(崎谷2009)。
 ハプログループの表記法は正式にはE-M96のように割り当てられたアルファベットにハイフンで変異箇所を示す。つまりハプログループEは変異箇所M96によって定義される。普段は略してアルファベットのみ、ハプログループEと表記することが多い。下位グループは系統に従って数字とアルファベットを交互に振る。 例)E>E1,E2・・・>E1a,E1b・・・>E1a1,E1a2・・・ 。また番号、数字を割り当てられるほどの規模をもたないグループをまとめて表記する場合、パラグループ:E*とする。特に断りがない限り、表記は下位グループ全てを含む(Eは下位グループE1やE2を含む)が、特定の下位グループのみ除く場合:E(xE1)と表記する。この例ではEの中からE1を除いたものを意味する。以下本論ではハプログループを略してHgと表記することとする。
 ここでY染色体とミトコンドリアDNAハプログループの特性について簡単に述べておく。人類は女性に比べ男性のほうが淘汰圧が高いと考えられるため、Y染色体はmtDNAに比べ多様性が低い。言い換えれば、ミトコンドリアDNAハプログループはY染色体のそれに比べ系統樹の根が深いといえる。大規模な民族移動は父系集団主導で起こりやすく、外部から進入した部族が先住部族の女性と配偶する場合が多い。従ってY染色体ハプログループは移動、拡散、言語との関係を反映しやすく、逆にミトコンドリアDNAは一度定着するとあまり移動、拡散しない、つまり地域特異性が高いということができる。

Y染色体Hgの系統と拡散
 Y染色体Hgの系統を示したのが図1-5である。概ね祖先的なグループから順にA~Tまでアルファベットが振り分けられている。このうちアフリカ外に起源をもつグループはC,D, F~Tであり、A,B,Eはアフリカ内起源である。現生人類は誕生以来長らくアフリカ内に留まり、そのごく一部が出アフリカを果たした。Y染色体Hgの系統からもそれが示されている。

図1-5 Y染色体Hgの系統(Wikioedia)

 図1-6に表したのが世界における最多頻度を占めるY染色体Hgである。
これより本論では人類集団の移動を考える際、とりわけY染色体Hgを指標として用いていくことにする。本論の系統および表記はISOGGY-DNA Haplogroup Treeに従うこととする。正式表記との対応はこちら参照されたい。なお略式表記(C2,O3など)は研究成果と共に日々更新されていくので、正式表記(C-M217 ,O-M122など)をもとに本論で用いる略式表記(2014年度版)との対応を適宜確認されたい。

図1-6 世界各地における最高頻度Y染色体Hg

 おおよそ分布をみると東アジアにはOが多く、ヨーロッパにはR1a,R1b,I が多い。西ロシアや北インドにR1a、中央アジア~北東アジアにはC3、極北にN、アフリカEが多い。アメリカ大陸はほとんどQがドミナントである。世界各民族のY染色体Hgの頻度はY-chromosome haplogroups by populationsに詳しい。
 各ハプログループは起源年代が推定されている。推定起源年代と現在分布などを勘案して、現在の分布がどのように形成されたのかの推定を、時系列で追っていったのが図1-7である。過去の出来事でありあくまで推定であることを承知いただきたい。東アジアに関してみれば、最初にDが広がっていき、その後OがDを駆逐する過程があったと思われる。世界各地のY染色体分布と民族移動史についての詳細は、巻末の「世界諸民族のY染色体Hg・言語分布史」をあわせてご覧いただきたい。

図1-7

ミトコンドリアDNAハプログループ
 次にミトコンドリアDNAをみてみよう。発見された順にアルファベットが割り当てられたため系統との対応がなされていないが、こちらも出アフリカを果たしたのはL3の下位グループN、Mのみであり、それより上位のグループはすべてアフリカ発祥でありアフリカ外では観察されない。各民族における割合を示したのが図1-9である。移動ルートの一例を図示したものが図1-10である。
 図1-8 Wikipedia 図1-9 文献1
 図1-10 Wikipedia

  


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〈文献〉
1.http://www.scs.illinois.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf
2.崎谷満(2009)『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』勉誠出版

1.人類拡散史

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 世界のヒトは生物学的にはただ1種(Homo Sapience)であり、哺乳綱霊長目ヒト科に属すとされる。ヒトの祖先は約700万年前にチンパンジーとの共通祖先と分岐し、サバンナに適応した体つきに進化したとされる。脳容積が大きくなり、言語の使用、火の使用等など、他の動物とは一線を画す要素を備えるに至った。Homo Sapience誕生以前はさまざまな人類種が興隆してきたが現在はHomo Sapienceを除き全て絶滅した。Homo Sapienceが誕生したのはおよそ20万年前である。そこに至る人類進化の過程は古人類学者などが解明に勤しんでいる。ヒト(Homo Sapience)と他の大型類人猿を隔てるものは大きい気がするが、この問題を快刀乱麻に解き明かす説としてエレイン・モーガン氏の「アクア説」が注目される(エレン・モーガン1998)。モーガン氏によれば人類は水辺で進化したとし、直立二足歩行、言語の使用、少毛の肌などは全てこれで説明がつくという。非常に興味深い説である。

 現生人類(Homo Sapience。以下「人類」は現生人類のみを指す)は誕生以来長い間アフリカ内にとどまり、外へ出ることはなかった。はじめてアフリカ外に出た現生人類は10万年ほど前にイスラエルで見つかっているが、その後は厳しい環境のため子孫は途絶えたようである。
 そして65000年前になり、人類が2度目にアフリカを出た。今度の集団は子孫を残すことになる。この集団は現在のアフリカ以外の全人類の直接の祖先である。少数であったと思われるが、人類は「出アフリカ」を果たしたのである。そのルートは遺伝子や考古学的観点からアラビア半島の南縁を海岸沿いに回り、イランに至るものであったと考えられる(図1-1)。

図1-1 出アフリカのルート

 アフリカを出て今のイラン付近に至った人類集団はその後、世界全土に拡散していくこととなる。そのルートは不確定な部分も多いが、最初にイランから海岸沿いにインドを経て、東南アジア、オーストラリア方面に移動したようである。オーストラリアアボリジニの祖先などが含まれる。これを「南ルート」とよぶ。さらにイランから北方面に現在のパミール高原→アルタイ山脈と移動した「北ルート」、イランから中東、ヨーロッパ方面に向かった「西ルート」が考えられる。
 東アジアへの人類到達ルートにはかねてより2種類の説があり、イランからパミール高原、アルタイ山脈を経て東アジアへ南下したとする「北回り説」、イランからインド・東南アジアを経て東アジアを北上したとする「南回り説」がある(図1-2)。両者の間で決着がついていないが、さまざまな理由から「北回り説」が妥当と考えられる(崎谷2009a,崎谷2009b,崎谷2011)。

図1-2

 1つ目は考古学的証拠である。ウズベキスタン・アルタイ山脈周辺で4万5000年前頃の遺跡が認められる(Goeble et al. 2001, Derenko et al. 2007)。さらに人類最古の石器である石刃技法が4万5000年前までに西南アジア→中央アジアというルートで出現している(木村2001)。一方の東アジア南部では有効な考古学的根拠に乏しいように思われる。
 2つ目に、後述するY染色体・ミトコンドリアDNAハプログループにおいて南アジアと東アジアの共通性がないことである。全てのハプログループは北ルート(東アジア)と南ルート(南アジア)にはっきり区分することができる。
 3つ目にY染色体の多様性による東アジアにおける人類拡散年代研究(Yali Xue et al 2006)が北部で古いことである(図1-3)。これは人類到達年代が北部で早いことを意味する。東アジア北部で拡散年代が3.5万年前であるのに対し、東アジア南部は1.5万年前とごく最近であり、北から南への流れを示している。
 さらに4つ目としてピロリ菌の系統(図1-4)についてもアジア・アメリカ型はサフル型と別れた後、中央アジア型と東アジア・アメリカ型に分岐し、東アジア型から台湾型・オセアニア型が派生しており、北から南への移動経路と一致している(Moodley et al. 2009)。
 最後に「南ルート」「北ルート」「西ルート」という拡散経路はそのまま人種(race)の形成につながったと考えられる。これについては後で詳しく書くが、この観点から見ても、北ルート(北回り)をとった人類集団がモンゴロイド人種を形成したと考えれば納得がいく。近年では形質人類学の立場からも北回り説を支持する結果が出ている(埴原2012、松村2012)。
 アフリカを出てイランから南、北、西に拡散した人類集団は50000年前にオーストラリア、40000年前に東アジア、40000年前にヨーロッパ、15000年前にアメリカ大陸へそれぞれに達したようである。



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<文献>
・エレイン・モーガン(1998)『人は海辺で進化した』DBB
・木村英明(2001)「極寒シベリア:人類の移住と拡散」『日本人のはるかな旅Ⅰ:マンモスハンター、シベリアからの旅立ち』日本放送出版協会,148-168頁
・崎谷満(2009a)『新日本人の起源』勉誠出版
・崎谷満(2009b)『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』勉誠出版
・崎谷満(2011)『ヒト癌ウイルスと日本人のDNA』勉誠出版
・埴原恒彦(2012)「現生人類集団の頭蓋形態の変異・多様性とその進化」季刊
考古学 (118), 48-53, 2012-02
・松村博文(2012)「歯の特徴による日本人の形成とアジア太平洋の人々」季刊
考古学 (118), 74-78
・Derenko et al.(2007) Phylogeographic analysis of mitochondrial DNA in northern Asian populations. Am.J.Hum.Genet.81:1025-1041.
・Goebel,Ted, Michael R.Waters, Margarita Dikova (2003) The archaeology of Ushki Lake, Kamchatka, and the Pleistocene peopling of the Americas. Science 301:501-505
・Moodley et al.(2009). The peopling of the Pacific from a bacterial perspective. Science 323:527-530
・Yali Xue et al. (2013). Male Demography in East Asia: A North–South Contrast in Human Population Expansion Times. Genetics.December 2013, 195 (4)505.