日本人の起源

遺伝子・言語・考古・歴史・民族学などの既存研究成果を統合し、学際的に日本人と日本語の成り立ちを解き明かす

7.ATLのレトロウイルス(HTLV)

2015年03月17日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
 最後に、日本人集団の成り立ちについて有名な指標がある。ATLのレトロウイルス(HTLV‐1)というものである。このウイルスは成人T細胞白血病(ATL)を引き起こす原因として発見されたものである。ちなみにこのウイルスに感染しても80歳まで生きて発症割合は数%であるのでご安心いただきたい。このHTLVは京都大学ウイルス研究所教授の日沼頼夫氏によって研究がすすめられた。
 日本人にはこのウイスルキャリアが多数存在することは知られていた。しかし東アジアの周辺諸国ではまったく見出されていない。いっぽうアメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などでキャリアが多いという特徴をもつ。
 日本国内の分布に目を転じてみると、九州に多いのが目立つ。そして沖縄やアイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多いことが判明した。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されているという結果だった。東京、大阪など大都市で観察される患者の90%以上は九州などに分布するATL好発地帯からの移動者で占められている。
このウイルスの感染機構は生きた感染リンパ球と非感染リンパ球の接触で起こる。つまり、空気や通常接触では感染せず、体液(血液、母乳、精液など)が主な感染源になる。自然感染の経路としては母児間の垂直感染と男女間の水平感染に限られることになる。特に夫から妻への感染が多く逆はほとんど観察されないという。図で示すと右のようになる。
 以上より、日沼教授はこのウイルスのキャリア好発地域は、縄文系の人々が高密度で残存していることを示していると結論付けた。HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅したようである。弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられるためである。
図2-33、34

図2-35

図2-36

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5.Gm遺伝子、形質人類学

2015年03月16日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
 日本人の起源を探るのによく用いられる遺伝子にGm遺伝子の頻度分布がある。これは大阪医大の松本秀雄博士が開発した免疫グロブリンGに含まれるGm遺伝子のタイプによる方法であり、親子関係が99%の確率で当てることができるという。この手法でアジアの各民族を調べてみた結果が図2-23である。一目見ただけで南北で割合が大きく異なるのが見て取れるであろう。ここからモンゴロイドは大きく北方モンゴロイド(東アジア中北部、アメリカ)と南方モンゴロイド(東南アジア)に大分できるとされる。アイヌも日本人も琉球人もみな北方モンゴロイドということになる。(ただしGm遺伝子組成の南北差はマラリアへの耐性の有無とする見方もある。)松本氏によると日本人に最も近いものはシベリアのバイカル湖の周辺に住むブリアート人であるという結果が出ている。確かにこの民族の顔は日本人そっくりであり、その歌は節分節に似ている。

図2-23
 ユーラシア先史学者の加藤晋平教授も「旧石器のルーツを調べていくとブリアートにたどりつく」と言っている。このことは旧石器時代人が日本列島に移住してきた後に若干の混血があって現在に至ったことを意味しており、これも真実の一端を物語っているのであろう。また、人間と共に行動する犬についても同じことが言えるという。
 形質人類学の立場からまた別の区分がなされている。モンゴロイドは大きく古モンゴロイドと新モンゴロイドに大別されるとされる。中国人やモンゴル人などアジア大陸中央部の人々が寒冷適応した平顔の新モンゴロイドであるのに対し、アイヌや東南アジア人、アメリカ先住民などは彫りが深く立体顔で、寒冷適応前の古い形質を残す古モンゴロイドであるという。日本人は両者の中間といったところであろうか。
 遺伝子と整合させてみると、古モンゴロイドは北方及び南方にもみられ、新モンゴロイドは北方にのみ認められる形質である。つまり、南北に分かれた後に北方モンゴロイドの一部から新モンゴロイド的形質が生じて広がったことになる。年代的にはここ1万年くらいの出来事ではないだろうか。日本人の場合、縄文系が古モンゴロイド、弥生系が新モンゴロイドとされる。

図2-24、図2-25、図2-26

 縄文系、弥生系の人々の形質については、形質人類学の分野で長らく研究がなされてきた。まとめたのが表2-9である。耳垢の乾湿、指紋の模様、蒙古襞の有無など縄文系と弥生系で明らかな差異が存在することをおさえておきたい。図2-27に示したのはアルコール分解能(酒に強いか弱いか)を表すものである。弥生系が多い近畿や中国で下戸が多く、縄文系の東北や九州、沖縄で酒に強い人が多い。確かに九州の人は酒が好きだとよく聞く。図2-28は日本人の頭型分布であるが、近畿地方に短頭の人が多いことはっきりと示されている。これは近畿を中心に定着した弥生系渡来人の流れを示すものと思われる。

図2-27、図2-28、図2-29
表2-9


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4.日本人のミトコンドリアDNAHg、日本人は北ルート系モンゴロイド

2015年03月16日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
ミトコンドリアDNA
 ミトコンドリアDNAは多様性が高く一つずつ紹介できないので、下図で示す。日本人のミトコンドリアDNAは周辺の諸民族と連続性を示す傾向が強い。図2-20、図2-21をみてわかることは、周辺諸族とのトコンドリアDNAの頻度差が少ないことである。 Y染色体Hgの頻度が日本、韓国、中国北部で全く異なるのに対し、ミトコンドリアDNAはほとんど差がない。これは男性の方が淘汰圧が高く、子孫を残せる個体に大きな偏りがあるからであろう。例えば、チンギスハーンのY染色体Hgは中央アジアの1600万人に受け継がれているというし、清朝を打ち立てた太祖ヌルハチの祖父の子孫は160万人に及び、中国東北部の少数民族に多いHgは太祖一族に由来するとされる(篠田2007)。大陸部では、一握りの優位な男性が膨大な子孫を残すという歴史が繰り返されてきたと推定される。
 なおハプログループN7aやN9bは沖縄やアイヌなど日本列島両端部で比較的高く、「縄文系」要素と認められる。

図2-18(篠田2009)


図2-19(http://www.scs.illinois.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf)


図2-20、図2-21(篠田2009)

日本人は北ルート系モンゴロイド
 以上、日本人のY染色体、ミトコンドリアDNAハプログループはともに出アフリカ後北ルートをとったモンゴロイド系が100%であることを確認しておきたい。少なくともハプログループの面からは南ルートをとったオーストラロイド系の北上は確認できない(崎谷2009a,崎谷2009b)。また明治以降の混血を除き、西ルート系コーカソイド要素も数字には表れていない。ただし有史以降の渡来人の中には西ルート系の血を引く集団がごく少数混在していた可能性は否定できないことは後述する。

図2-22

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<文献>
・崎谷満(2009a)『新日本人の起源』勉誠出版
・崎谷満(2009b)『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』勉誠出版
・篠田謙一(2007)『日本人になった祖先たち』NHK出版,PP199-200

3.日本人のY染色体Hg-2(タイプ各論)

2015年03月15日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
HaplogroupD1b(D-M55)
 ハプログループDは日本列島、チベット、アンダマン諸島などで高頻度に観察されている。非出アフリカ系統のハプログループEと姉妹関係を成し、起源は55000年前程と非常に古い。起源年代とその分布様相から、かつては東アジアを広く覆っていたが、駆逐され島国日本と高山チベットに取り残されたようである。ハプログループDはモンゴロイドを形成する集団の最古層に位置し、イラン→アルタイ山脈→東アジアという北ルートで東アジアに達したと考えられる(崎谷2009)。
 日本列島に分布するのはHg:D1b(D-M55)で、他に朝鮮で0~2%程確認されるのみでほとんど日本列島固有である。D1bは日本人に25~45%,琉球人に55%,アイヌに85%の頻度で確認されている。D1bの起源年代は33700±2200年前(She et al. 2003)で、日本列島に人類が居住し始めた年代とほぼ一致する。

図2-6、図2-7、表2-5 


図2-8

HaplogroupO1(O-MSY2.2)
 このハプログループはオーストロネシア語族と関係し台湾先住民で66%を占める。東南アジアのタイ・カダイ語族にも比較的高頻度で確認される。ただし両語族ともハプログループO3も共担する。日本にはO1が0%~4.2%(Nonaka 2007)ほど確認されている。

HaplogroupO2a(O-PK4),O2b(O-M176)
 Hg:O2aは東南アジアで高頻度にみられ、オーストロアジア語族と関連している。日本では2.4%観察されたという報告がある(Hammer2006)。
 Hg:O2bは日本、朝鮮、満州に高頻度で観察され、ベトナムやタイでも確認される。O2bの起源は7800年前と推定される(Katoh 2004)。O2bは日本で平均30%程観察され、D1bと共に日本人の2大Hgとなっている。
共に長江文明の担い手である。

図2-9、図2-10、図2-11、表2-5

HaplogroupO3(O-M122)
 東アジアに広く分布し、下位グループも多い。北部漢民族では60%以上の高頻度で観察される。O3a2c1がシナ・チベット語族を担い、特にO3a2c1aがチベット・ビルマ語派を担っている。O3a2*などいくつかのブランチはオーストロネシア語族と関連しているようである。O3a2c1と関連するシナ・チベット語族は雑穀・麦作農耕の黄河文明の担い手である。日本にはO3全体で20%程が確認されるが、下位グループの分析が追い付いていないようである。

図2-12、図2-13

HaplogroupC1a1(C-M8)
 このハプログループの最大の特徴は日本固有であることである。日本全国で平均5%ほど確認されるが、国外では一切観察されていない。つまり日本列島内で祖形C1a*から発祥した可能性が高いと思われる。遺伝学者の計算で発祥年代が12000年前後(Hammer et al.2006)とされており、縄文文化の開化とリンクしていることが考えられる。
表2-6


HaplogroupC2(C-M217)
 このハプログループはユーラシア中部~北米に多い。アルタイ語族、古アジア諸語、ナデネ語族と関連している。日本には平均4%ほど観察され、日本固有のC2aも存在する。福岡で7%以上と高い(Hammer et al.2006)。アイヌでも12%観察されている。起源地はアルタイ・サヤン地域と推定される(Zegura et al.2004)。

図2-14、表2-7

図2-15

HaplogroupN (N-M231)
 このハプログループはユーラシア北部(極北地域)に多い。分布域は北東シベリアから北欧にまで及ぶ。日本では平均4%ほど観察され、特に青森で7%以上と高い(Hammer et al.2006)。N1cはウラル語族と関連している。起源地は中国北東部と考えられる。遼河文明の担い手である(Yuli et al.2013)。

図2-16、表2-8

HaplogroupQ(Q-M242)
 このハプログループはアメリカ先住民の大半を占める。ユーラシアにおいてはケット族に90%以上、セルクプ族に60%以上認められるが総じて低頻度である。イラン付近で発祥し急速にシベリアを移動しアメリカへ入ったようである。日本人には約0.5%観察される。

図2-17

日本人の Y 染色体の起源年代と言語の関係
 以上紹介した日本人の Y 染色体の頻度、起源年代、関係言語をまとめたものが下表である。最も多い Hg:D1b は起源 34000 年前と最も古く、しかもほとんど日本列島固有であるから、列島内発祥の可能性も高く、日本人の最古層と考えられる。これが主に縄文時代人の中核を占めていたようである。彼らの言語を「原日本語」と呼びたい。大陸部でほとんど駆逐されてしまった Hg:D の系統が高頻度で残存していることは、日本における縄文から弥生への移行には武力征服はほとんどなく、平和のうちに推移したと推定できる。ハプロルグープ O の下位群とはおもに弥生時代以降に流入したようであるが、以下、考古学的、歴史的側面からもこの考えを検証していく。
表2-9


→次頁「日本人のミトコンドリアDNAハプログループ

〈文献〉
・Hammer et al. 2006. Dual origins of the Japanese: common ground for
hunter-gatherer and farmer Y chromosomes.
J Hum Genet. 2006;51(1):47-58.
Epub 2005 Nov 18.
・Shi,Hong , Hua Zhong, Yi Peng, Yong-Li Dong, Xue-Bin Qi, Feng Zhang, Lu-Fang Liu, Si-Jie Tan, Runlin Z Ma, Chun-Jie Xiao, R Spencer Wells, Li Jin, and Bing Su. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biol. 2008; 6: 45. Published online 2008 October 29. doi: 10.1186/1741-7007-6-45
・Nonaka,I et al 2007, Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms
・Katoh,Toru 2004, Genetic features of Mongolian ethnic groups revealed by Y-chromosomal analysis
・Yali Xue et al. 2013. Male Demography in East Asia: A North–South Contrast in Human Population Expansion Times. Genetics.December 2013, 195 (4)
・Zegura SL1, Karafet TM, Zhivotovsky LA, Hammer MF.High-resolution SNPs and microsatellite haplotypes point to a single, recent entry of Native American Y chromosomes into the Americas.Mol Biol Evol. 2004 Jan;21(1):164-75. Epub 2003 Oct 31.

2.日本人のY染色体Hg-1

2015年02月10日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
 HLAハプロタイプの流れから示唆される日本人の祖先集団を解明していくにあたり、まずは人類学的視点、遺伝子と形質の面から探ってみたい。

日本人のY染色体Hg
 日本列島および東アジアの周辺諸集団におけるY染色体Hgの割合を下表と次頁図に載せてみた。特筆すべきは日本固有のD1bが30%以上を占めることである。O2bも韓国以外では殆ど観察されない。Y染色体における日本人の特異性が読み取れる。国内の地域差については、西日本ほどO3、O2bが多く、東日本や沖縄でD1bが多い傾向があるが、調査地が少なく断定的なことはまだ言えない段階にある。周辺諸族の最多Y染色体を示したのが次々頁図である。では日本に分布するハプロフループについて簡単に紹介する。


図2-6(表2-3より作成)

表2-3


表2-4




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1.明らかになった!日本人のルーツ -HLAハプロタイプの流れ-

2015年02月06日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
 1990年代、日本人の起源を解き明かす画期的な研究成果が発表された。東京大学医学研究科の徳永勝士先生の研究グループが、HLAの多型により日本人の起源のかなりの部分を解き明かしたと発表したのである。
 日本人の成り立ちについて述べる前に、まず最大のキーワードであるHLAについて、ある程度紹介しておこう。人類をはじめ高等動物が自分の体を守る仕組みである免疫系の働きは自己と非自己を区別することにある。即ち外から入ってきた病原微生物やウイルスなどの感染を受けて「変化した自己」の細胞を「正常な自己」の細胞と区別して攻撃し排除せねばならない。その識別のための「目印」として使われる分子グループを、人間の場合HLA(ヒト白血球抗原Human Leucocyte Antigen)と呼んでいる。
 このような役割を果たすために、HLAの遺伝子群は複雑で多様性に富んでいる。HLAは第六染色体の短腕の上に密集して存在する一群の遺伝子から構成され、しかもそれぞれの遺伝子が著しい個人差を示す。よって人類集団のより詳細な研究に役立つのである。下図のようにHLAの遺伝子群は染色体上で近接しておりそれぞれのHLA遺伝子座の特定の対立遺伝子がセットを組んで親から子へと伝えられていく。このHLA遺伝子セットを「ハプロタイプ」とよびぶ。ハプロタイプは個人差だけでなく、著しい集団差があることでも知られる。これは他の遺伝子標識と比べ明らかな特徴である。

図2-1、図2-2(徳永1995)

 このハプログループは非常に複雑なので全く同じものが異なる集団で別々に形成され、頻度を増すことは殆ど考えられない。よって同じハプロタイプが異なる集団で観察されれば、彼らは祖先集団を少なくとも一部は共有していると断定できる。またHLAハプロタイプは「保存性がいい」標識でもある。HLA遺伝子群は染色体上に密接に連鎖しており、いったん集団中で頻度を増したハプロタイプは数千年から数万年は存続することが期待されるからである。HLA遺伝子のセットの分布には明瞭な地域差・集団差が認められる。よって、容易に先祖集団の共通性(故郷)などを判断できるのである。
さて日本人におけるハプロタイプの上位8種類を示したのが下表である。徳永氏ほか多くの調査で各地に住む600人以上の日本人家族および東アジアの集団からハプロタイプデータを集めた。その結果、日本国内でも明らかな地域差が存在することがわかった。ここでは上位5型についてみてみよう。(以下徳永(1995)を引用)

表2-1 (徳永1995)


 日本人全体で、最も多いハプロタイプB52-DR2(A24 -B 52-DR2-DQ1。以下B52-DR2)は北九州、山陽から近畿地方にかけて、そして山形や福島でも12~13%以上と高かった。対照的に南九州と東北地方の青森、岩手では6%前後、沖縄では2%程度と低かった。従ってこのハプログループは北九州から本州の西部や中央部にかけて多いタイプといえよう。日本の周辺部をみると、中国南部や東南アジアの諸民族には観察されず、対照的に中国北部の漢民族や韓国人で2%前後あることがわかった。さらに興味深いことに、これはモンゴル人においても最も多いハプロタイプである可能性が高いのに対し、中国東北地方の満族やオロチョン族などではまれで、シベリアのヤクートやバイカル湖のほとりのブリアートにおいてもほとんどみいだされていない。
 2番目のハプログループ(B44-DR13)は、特に北陸地方から秋田にかけて多いことが知られており、また近畿や東海地方でも6%以上と多かった。対照的に東北地方の太平洋側や南九州、四国、沖縄では少ない傾向にあった。先に述べた一番多いハプロタイプ(B52-DR2)の分布状況と似ているが、日本海沿岸、とくに北陸地方に分布の中心がある点でいくらか異なっている。日本の周辺における分布をみても、先のハプロタイプ同様、中国南部よりは北部に多いハプログループであるが、詳しく見てみると違いが認められる。じつはこのハプログループは韓国人では7%以上と最も高頻度で見出されるタイプであり、また中国東北地方の満族にもかなりの頻度で見られた。にもかかわらず中国北部の漢民族やモンゴル人では殆ど見られなかった。表に示される3番目のハプログループ(B7-DR1)も同様な分布パターンを示していた。
 4番目のハプログループ(B54-DR4)は、先の三つのハプロタイプとは対照的に、南方に分布が偏っているようにみえる。日本列島においては、特に沖縄で最も多いハプロタイプであり、南九州、南四国や東海地方、神奈川でも比較的多く観察された。一方、本州中央部や東北地方では頻度は低い傾向にあった。つまり、このハプロタイプは日本の南部から太平洋側にかけて多いハプロタイプといえよう。日本の周辺地域について見てみると、北方では韓国のみに多く観察された。興味深いことに、中国南部にすむいろいろな民族ではほとんど見られず、南方のタイ人やベトナム人でもまれであった。
 さて、5番目のハプロタイプ(B46-DR8)であるが、その日本列島における分布は再び前二者に類似したパタンをとっていた。このハプログループは北九州から山陽、近畿地方にかけて4~6%と多い傾向にあり、沖縄、南九州や太平洋沿岸地域では2%前後と少ない。日本周辺部では韓国人と中国東北部の満族のみで多く、中国内でもその他の民族やシベリアあるいは東南アジアの集団には見られなかった。ところが、図12に示したように、このハプロタイプに非常に類似した別のハプロタイプ(B46-DR9)があって、中国南部、四川省やタイ、ベトナムの集団で最も多いことが知られている。この2つのハプロタイプは共通の祖先ハプロタイプに由来すると考えられるので、この両者が南方型と北方型という対照的な分布パタンをとっていることは非常に興味深い。
以上の例をみても、東アジアのHLAハプロタイプの分布状況から、はっきりとした地域差あるいは民族差が浮かび上がってくる。比較的均質と考えられてきた日本人の中にも明瞭な地域差が認められるわけである。(以上引用)
徳永氏の研究結果をまとめてみたのが下の表2-2である。

表2-2 

(以下再び引用・多少改変)
 HLA遺伝子及びハプロタイプの分布から、東アジアの諸集団、特に日本人の成立過程について考察したい。今まで述べてきたようにHLAハプロタイプの分布は明らかに異なっている。しかも、それぞれのハプロタイプがばらばらに分布しているのではなく線上のつながりを示し、少なくとも3つから4つの異なるパタンがみられる。この現象を説明する最も単純なシナリオは、日本人祖先が少なくとも3つから4つあり、それぞれ異なったルートから日本列島にやってきたというものであろう。
 第1に、B52-DR2を高頻度にもつ集団が、中国北方より朝鮮半島を経て北九州や近畿地方に移住してきた可能性が考えられる。この祖先集団と現在のモンゴル高原周辺に住む人々との関係に多いに興味をそそられる。
 第2に、B44-D13とB7-DR1で特徴づけられる集団が朝鮮半島あるいはその近隣を起点として、北陸地方などの日本海側に至った可能性が考えられる。先に述べたように、このハプロタイプをもっとも濃密にもつ集団は韓国人や中国の満族であったと考えられる。他のハプロタイプにも同様の分布パタンをとるものがあるので、以上2つの流れが現代日本人の遺伝的特徴に与えた大きな影響が想定される。
 第3には、B54-DR4を多くもつ集団が、中国南部を起点として西南諸島や、九州、四国を経て、本州の太平洋岸に達するルートが考えられる。(ただしこのハプログループはおそらく海を渡って朝鮮半島にも伝わったのであろう。)
 最後に、B46-DR8をもつ集団が考えられる。先に述べたように、おそらく祖先を共通する類似したハプロタイプ(B46-DR9)はあきらかに中国南部に由来するが、これらをもつグループは朝鮮半島を経由するかあるいは直接に、南九州ではなく北九州に到達したのかもしれない。
 現時点でははっきりと断定できないが、以上のHLAハプロタイプとは別に、頻度は低いながら南九州と東北地方北部に共通して存在し、その間の本州中央部には極めて稀なHLAハプロタイプが観察されている。形質人類学の多くの成果も考え合わせると、これらが縄文時代人の特徴の一部を反映し、先に述べたハプログループはむしろ弥生時代に渡来してきた人々を特徴づけているのかもしれない。(以上引用)
 なおアイヌ人のHLAハプロタイプは詳細研究が進んでいないが、日本人と異なったタイプが多いという。


図2-5、表2-3

以上まとめてみると、大きく以下の4つの流れが認められる。

1. 中国大陸北部から朝鮮半島を経て北九州・近畿へ(赤)
2. 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ (青)
3. 中国南部から琉球諸島を経て太平洋側へ(オレンジ)
4. 中国大陸南部から直接、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ(緑)


さらにこれとは別に縄文系と想定される別の複数のハプロタイプが南九州や北東北に存在する。
(詳細は徳永(1995,1998,2003,2006)を参照)

このように、日本人は少なくとも5種類以上の集団から成り立っていることが分かったのである。ではそれぞれの集団がどの民族に近く、どのような言語を話し、いつ日本にやってきたのであろうか?

→次頁「日本人のY染色体Hg」


<文献>

徳永勝士 (1995)「HLA 遺伝子群からみた日本人のなりたち」『モンゴロイドの地球(3)日本人のなりたち』東京大学出版会,第 4 章,遺伝子からみた日本人,p193-210
徳永勝士 (1996) 「HLA の人類遺伝学」『日本臨床免疫学会会誌』=『Japanese journal of clinical immunology』19(6), 541-543
徳永勝士 (2003)「HLA と人類の移動」『Science of humanity Bensei 』(42), 4- 9, 東京:勉誠出版
徳永勝士 (2008)「HLA 遺伝子:弥生人には別ルートをたどってやってきた四つのグループがあった!」『日本人のルーツがわかる本』逆転の日本史編集部,東京:宝島社,p264-p280