日本人の起源

遺伝子・言語・考古・歴史・民族学などの既存研究成果を統合し、学際的に日本人と日本語の成り立ちを解き明かす

ズーズー弁の起源はウラル語①

2022年04月19日 | 各論:ズーズー弁の起源
ズーズー弁とは、方言学的には音韻上「し」対「す」、「ち」対「つ」およびその濁音「じ」対「ず」(「ぢ」対「づ」)の区別がない方言である。また、「ズーズー弁」まではいかないものの、ズーズー弁的特徴を持つ方言の発音体系を「裏日本的発音」という。以下、裏日本的発音体系を持つ方言を「裏日本方言」と呼ぶ(金田一2005)。

裏日本方言の分布は、その名の通り、日本海側である。東北地方を中心に、北海道沿岸部や新潟県越後北部、関東北東部(茨城県・栃木県・千葉県・埼玉県東部など)と、越後中部、長野北東部、佐渡、富山県、石川県、とんで鳥取県西伯耆地方、島根県出雲地方を中心とした地域に分布する(図2)。


図1 裏日本方言の分布(赤色)金田一春彦 昭和28年『日本方言学』の音韻分布図による(安部(2014))

発音特徴

裏日本方言の最大の特徴は母音体系である。

イ段とウ段が平唇中舌母音[ɨ]に近づき (それぞれ[ï], [ɯ̈]と表記),サ行,タ行,ザ行ではイ段とウ段が[ɨ]に統合し,シとス,チとツ,ジとズが区別されない。東北西部,北陸、出雲では[ï]寄りに,東北南部では[ɯ̈]寄りに統合される傾向がある。(佐藤2002)例)寿司・煤[sɨsɨ](日本海側で「シシ」、東北南部で「スス」に近い)、知事・土[tsɨdzɨ]

これに関連して東北南部ではシュ、チュ,ジュが直音化し,シ・ス・シュ,チ・ツ・チュ、ジ・ズ・ジュがそれぞれ区別されない。(加藤1986、佐藤2002)例)習字[sɨːdzɨ]、注射[tsɨːʃa]

②また、母音単独拍で/i/→[e]の統合が起こるほか、多くの語例で/u/→[o]の統合が起こる。(加藤1986)例)糸[eto]、歌[ota]

出雲ではこの特徴が特に激しく、カ行、ガ行、ハ行を除くすべての行でイ段とウ段が統合することから、究極の「ズーズー弁」といえる。ウ段直音の長音化、ウ段音→オ段音の統合、イ→エの統合も起こる。(神部1983) 例)藪[jabɨ]、麦[mogɨ]、牛乳[gɨ:nɨ:]

これらの特徴から,たとえば犬,虫は青森方言では それぞれ[enɯ̈]、[mɯ̈ʃɨ]、出雲方言ではそれぞれ[eno]、[moʃɨ]と発音される。

共通日本語からの母音力学を図示すると図2のようになる。共通日本語のイは[ɨ]または[e]になろうとし、ウは[ɨ]または[o]になろうとする


図2 共通日本語から裏日本方言への母音力学

裏日本の方言はこのように共通日本語から明らかに逸脱した母音体系を有しており、これは、比較言語学における「音変化」の一種といえるだろう。

→次「ズーズー弁の起源はウラル語②」

目次

2016年03月30日 | はじめに・目次
0.はじめに

Ⅰ.世界的視点
 1.人類拡散史
 2.Y 染色体とミトコンドリア DNA ハプログループ
 3.移動ルートと人種形成
 4.ホームランドと人種系統樹
 5.言語について
 6.言語の分布と盛衰
 7.人種・民族・言語・遺伝子
 8.語族より上位の系統とY染色体 Hg
 9.環境変動
 10.まとめ

Ⅱ.日本人と日本語のルーツを探る(人類学から)
 1.明らかになった日本人のルーツ
 2.日本人のY染色体Hg-1
 3.日本人のY染色体Hg-2(タイプ各論)
 4.日本人のミトコンドリアDNAHg、日本人は北ルート系モンゴロイド
 5.Gm遺伝子、形質人類学
 6.JCウイスル
 7.ATL のレトロウイスル(HTLV)

Ⅲ.日本人と日本語のルーツを探る(考古・民族から)
 1.東アジアの民族誌
 2.岡正雄氏の日本列島種族論
 3.先土器時代から縄文時代の開始まで
 4.縄文農耕
 5.円筒土器と遼河文明
 6.弥生時代の開始


順次更新中

1.東アジアの民族誌

2015年03月21日 | 本論3-日本人のルーツを探る(民族・考古)
 東アジアの人類集団についてまずおさえておくべき前提として、集団の流れとしては専ら北から南の方向であるということがある。前に紹介したYali Xueら(2006)によるY染色体の多様性による集団の拡散年代解析(P9図1-4)から 、北部集団の拡散年代が古く、南部が新しい。また、ミトコンドリアDNAハプログループについて、北部はD*,D4*,C*など未分化パラグループが多いのに対し、南部ではR4a1a,R9c,B4a2,F1a3,F1a4,F3,M7b3,N9a6,Y2,E など特定の下位グループのみが展開する傾向がみられる(崎谷2009)。これらより、東アジアの人類集団の流れは専ら北から南への方向であったと結論付けることができる。出アフリカ後に北ルートをとったモンゴロイド人種のホームランドはモンゴル高原、アルタイ山脈付近であり、その一部が比較的最近になって南下していったものと考えられる。東アジア北部が寒冷にもかかわらず人口集積地だったのは、数万年前は草原が広がり食料となる大型哺乳類が豊富だったからであろう。

図3-1

 では、東アジアの植生について見てみよう。気候学では北方ほど低温、内陸部ほど乾燥というのが原則である。中緯度では高圧帯により砂漠ができやすいが、大陸東岸は湿潤であり、東アジアの中緯度海岸部に砂漠は存在しない。東アジア海岸部の植生は南から熱帯多雨林、照葉樹林、夏緑樹林、針葉樹林となる。北緯45度付近の内陸部では降水量が減少しステップや砂漠が広がる。また標高4000mのチベット高原は高山植生となっている。
 東アジアの生業も概ね植生に対応している。最も顕著なのはステップ・砂漠地帯で、専ら遊牧生活が営まれ、彼らは騎馬民族であり、アルタイ語族に属す。チベット高原地帯ではヤクの放牧を中心とした牧畜が営まれている。北部の針葉樹林では多くが狩猟採集生活を行い、北緯55度以北になるとトナカイ遊牧を行う民族が大勢を占めるようになる。中国北部の夏緑樹林地域は畑作地帯で、古くから麦や雑穀を栽培してきた。そして、中国中部~東南アジア、日本など広大な分布域を持つ稲作農耕がある。稲は人口扶養力が大きく、東アジア地域を特徴づける生業といっていいであろう。
図3-2図3-3

 このような環境、生業を背景に、東アジアでは長江文明、黄河文明、遼河文明という3文明が興った。遼河文明および黄河文明は冷涼、乾燥気候下で麦・雑穀作を基盤とし、ブタなどの牧畜も行う。対して長江文明はアジアモンスーン多雨気候の元で専ら稲作に依り、漁撈を併存する(安田2009)。起源は長江文明が古く、最古の稲作遺跡は中国江西省で約12000前のものが発見されている。

図3-4
 黄河文明の構成民族はシナ・チベット語族(Y染色体Hg:O3)と考えられる。華北が発祥であるが、チベット・ビルマ語派はその後南進し、ビルマやチベットに分布を広げたと考えられる。人口13億を誇る漢民族も黄河文明から興った。
 一方の長江文明は複数系統の民族が構成員であり、オーストロアジア語族(O2a)、タイ・カダイ語族、オーストロネシア祖族(O1など)、倭人(O2b)が担い手であったと考えられる。
 そして遼河文明の担い手はウラル語族(N1*,N1c)と考えられる(Yuli et al.2013)。彼らはシベリアから北欧にかけて広く拡散したが、その祖地である遼河地域では気候変動()および後の漢民族の膨張とアルタイ系騎馬民族の侵攻に追われることとなった。
 漢民族は黄河中流域の「中原」を発祥とする民族であるが、有史以来拡大膨張してきた。特に気候が寒冷化した2500年前頃(春秋時代)に大規模な南下を起こす。この時代、中国には漢民族の国家のほかに、呉、越など別民族の国家も存在した。呉、越は長江文明を担った人々と考えられるが、漢民族の膨張南下により2500年前頃に長江文明は崩壊し、呉の民の一部は日本へ逃れ倭人となったようである。(崎谷2008 澤田1999)。漢民族の南下に伴う異民族の混合・駆逐は長江文明崩壊以降も断続的に行われてきたようである(崎谷2009)。現在も中国南部に少数民族が居住するが、かつては中南部の広範囲にわたり非漢民族の人々が多数居住していたと考えられる。
 長江文明の崩壊以前から東南アジアでは現在の中国地域から断続的な民族移動が行われてきた。農耕開始以前は東南アジアには先住民オーストラロイド(南ルート系)とわずかなモンゴロイド(北ルート系)が共存していたと思われるが、稲作開始に伴い長江流域から民族移動が始まった。
 最初に東南アジアに移住してきたのはオーストロアジア語族(O2a)である。インド東部~ベトナムにかけて分断分布を示すこの語族は稲作を携えて東南アジアに拡散した最古層の住民と思われ、インドに稲作を伝達したのも彼らと考えられる。拡散年代は6300年前頃との説があり、(Ilia Peiros  2004)、インド最古の稲作遺跡は5000年前頃のものが発見されている。
 2番目に移動を開始したのはオーストロネシア語族であり、華南から台湾へ6000年前頃に移住したのち、台湾からフィリピン、インドネシア方面へ拡散していった。およそ5000年前と考えられている(Kun, Ho Chuan 2006 Bellwood 1989)。
 3番目の移住者はチベット・ビルマ系民族で、かつてはその一派は羌と呼ばれた。四川・雲南地域からビルマ回廊を南下していき、ビルマ平野部では雑穀農耕から稲作農耕へと生業を切り替えた(池橋2005)。おおよそ4000年前頃と考えられる(崎谷2009)。
 最後に移住してきたのはタイ・カダイ語族である。タイ系民族はおそらく春秋時代の百越と呼ばれた人々の一部で、長江文明崩壊に伴い長江流域から現在のタイまで南下してきたと考えられる(池橋2005)。2500年前以降のことであり、東南アジアで最も新しい民族ということになる。
 もっとも、近年は中国人の東南アジア流入もあり、この限りではないが、有史以来漢民族の東南アジア流入は多かれ少なかれ存在してきたと思われる。このように東アジアでは常に北から南への移動が繰り返されてきた。

図3-5
表3-1


 最後に、東アジアの歴史をみていく上で欠かすことのできない東西交流について述べておきたい。古来より東西アジアの交流は少なからず存在した。中国北部の麦作は古代メソポタミアから伝達したものであろう。有史以降とりわけ東西交流を担ってきたのは騎馬民族である。ユーラシア内陸ステップ地帯を疾走する騎馬民族は並はずれた機動力により東西交流の媒体となってきた。古くはインド・ヨーロッパ語系クルガン、スキタイに始まり、アルタイ語族系チュルク、モンゴル族が騎馬文化を受け継いた。チンギスハーンが築いたモンゴル帝国やヨーロッパを震撼させたフン族など、ユーラシア大陸において騎馬民族がいかに大きな影響を持ったかがわかる。万里の長城は中国の歴代王朝が騎馬民族南下を防ぐために造ってきたものである。
 現在のトルコ共和国にかつて存在したヒッタイト(インド・ヨーロッパ語族)は当時世界一の製鉄技術を持つ集団であったが、騎馬民族が媒体となり東アジアにも製鉄が伝達された。日本においては古代出雲王朝が製鉄術に長けていたとされるが、草原の道を通って騎馬民族により伝達されたものであろう。

図3-6

<文献>

7.ATLのレトロウイルス(HTLV)

2015年03月17日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
 最後に、日本人集団の成り立ちについて有名な指標がある。ATLのレトロウイルス(HTLV‐1)というものである。このウイルスは成人T細胞白血病(ATL)を引き起こす原因として発見されたものである。ちなみにこのウイルスに感染しても80歳まで生きて発症割合は数%であるのでご安心いただきたい。このHTLVは京都大学ウイルス研究所教授の日沼頼夫氏によって研究がすすめられた。
 日本人にはこのウイスルキャリアが多数存在することは知られていた。しかし東アジアの周辺諸国ではまったく見出されていない。いっぽうアメリカ先住民やアフリカ、ニューギニア先住民などでキャリアが多いという特徴をもつ。
 日本国内の分布に目を転じてみると、九州に多いのが目立つ。そして沖縄やアイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多いことが判明した。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されているという結果だった。東京、大阪など大都市で観察される患者の90%以上は九州などに分布するATL好発地帯からの移動者で占められている。
このウイルスの感染機構は生きた感染リンパ球と非感染リンパ球の接触で起こる。つまり、空気や通常接触では感染せず、体液(血液、母乳、精液など)が主な感染源になる。自然感染の経路としては母児間の垂直感染と男女間の水平感染に限られることになる。特に夫から妻への感染が多く逆はほとんど観察されないという。図で示すと右のようになる。
 以上より、日沼教授はこのウイルスのキャリア好発地域は、縄文系の人々が高密度で残存していることを示していると結論付けた。HTLVはかつて日本列島のみならず東アジア大陸部にも広く分布していたが、激しい淘汰が繰り返されて大陸部では消滅したようである。弥生時代になってウイルス非キャリアの大陸集団が日本列島中央部に多数移住してくると、列島中央部でウイルスが薄まっていったが、列島両端や僻地には縄文系のキャリア集団が色濃く残ったものと考えられるためである。
図2-33、34

図2-35

図2-36

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5.Gm遺伝子、形質人類学

2015年03月16日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
 日本人の起源を探るのによく用いられる遺伝子にGm遺伝子の頻度分布がある。これは大阪医大の松本秀雄博士が開発した免疫グロブリンGに含まれるGm遺伝子のタイプによる方法であり、親子関係が99%の確率で当てることができるという。この手法でアジアの各民族を調べてみた結果が図2-23である。一目見ただけで南北で割合が大きく異なるのが見て取れるであろう。ここからモンゴロイドは大きく北方モンゴロイド(東アジア中北部、アメリカ)と南方モンゴロイド(東南アジア)に大分できるとされる。アイヌも日本人も琉球人もみな北方モンゴロイドということになる。(ただしGm遺伝子組成の南北差はマラリアへの耐性の有無とする見方もある。)松本氏によると日本人に最も近いものはシベリアのバイカル湖の周辺に住むブリアート人であるという結果が出ている。確かにこの民族の顔は日本人そっくりであり、その歌は節分節に似ている。

図2-23
 ユーラシア先史学者の加藤晋平教授も「旧石器のルーツを調べていくとブリアートにたどりつく」と言っている。このことは旧石器時代人が日本列島に移住してきた後に若干の混血があって現在に至ったことを意味しており、これも真実の一端を物語っているのであろう。また、人間と共に行動する犬についても同じことが言えるという。
 形質人類学の立場からまた別の区分がなされている。モンゴロイドは大きく古モンゴロイドと新モンゴロイドに大別されるとされる。中国人やモンゴル人などアジア大陸中央部の人々が寒冷適応した平顔の新モンゴロイドであるのに対し、アイヌや東南アジア人、アメリカ先住民などは彫りが深く立体顔で、寒冷適応前の古い形質を残す古モンゴロイドであるという。日本人は両者の中間といったところであろうか。
 遺伝子と整合させてみると、古モンゴロイドは北方及び南方にもみられ、新モンゴロイドは北方にのみ認められる形質である。つまり、南北に分かれた後に北方モンゴロイドの一部から新モンゴロイド的形質が生じて広がったことになる。年代的にはここ1万年くらいの出来事ではないだろうか。日本人の場合、縄文系が古モンゴロイド、弥生系が新モンゴロイドとされる。

図2-24、図2-25、図2-26

 縄文系、弥生系の人々の形質については、形質人類学の分野で長らく研究がなされてきた。まとめたのが表2-9である。耳垢の乾湿、指紋の模様、蒙古襞の有無など縄文系と弥生系で明らかな差異が存在することをおさえておきたい。図2-27に示したのはアルコール分解能(酒に強いか弱いか)を表すものである。弥生系が多い近畿や中国で下戸が多く、縄文系の東北や九州、沖縄で酒に強い人が多い。確かに九州の人は酒が好きだとよく聞く。図2-28は日本人の頭型分布であるが、近畿地方に短頭の人が多いことはっきりと示されている。これは近畿を中心に定着した弥生系渡来人の流れを示すものと思われる。

図2-27、図2-28、図2-29
表2-9


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4.日本人のミトコンドリアDNAHg、日本人は北ルート系モンゴロイド

2015年03月16日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
ミトコンドリアDNA
 ミトコンドリアDNAは多様性が高く一つずつ紹介できないので、下図で示す。日本人のミトコンドリアDNAは周辺の諸民族と連続性を示す傾向が強い。図2-20、図2-21をみてわかることは、周辺諸族とのトコンドリアDNAの頻度差が少ないことである。 Y染色体Hgの頻度が日本、韓国、中国北部で全く異なるのに対し、ミトコンドリアDNAはほとんど差がない。これは男性の方が淘汰圧が高く、子孫を残せる個体に大きな偏りがあるからであろう。例えば、チンギスハーンのY染色体Hgは中央アジアの1600万人に受け継がれているというし、清朝を打ち立てた太祖ヌルハチの祖父の子孫は160万人に及び、中国東北部の少数民族に多いHgは太祖一族に由来するとされる(篠田2007)。大陸部では、一握りの優位な男性が膨大な子孫を残すという歴史が繰り返されてきたと推定される。
 なおハプログループN7aやN9bは沖縄やアイヌなど日本列島両端部で比較的高く、「縄文系」要素と認められる。

図2-18(篠田2009)


図2-19(http://www.scs.illinois.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf)


図2-20、図2-21(篠田2009)

日本人は北ルート系モンゴロイド
 以上、日本人のY染色体、ミトコンドリアDNAハプログループはともに出アフリカ後北ルートをとったモンゴロイド系が100%であることを確認しておきたい。少なくともハプログループの面からは南ルートをとったオーストラロイド系の北上は確認できない(崎谷2009a,崎谷2009b)。また明治以降の混血を除き、西ルート系コーカソイド要素も数字には表れていない。ただし有史以降の渡来人の中には西ルート系の血を引く集団がごく少数混在していた可能性は否定できないことは後述する。

図2-22

→次頁「形質人類学、Gm遺伝子」へ

<文献>
・崎谷満(2009a)『新日本人の起源』勉誠出版
・崎谷満(2009b)『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』勉誠出版
・篠田謙一(2007)『日本人になった祖先たち』NHK出版,PP199-200

3.日本人のY染色体Hg-2(タイプ各論)

2015年03月15日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
HaplogroupD1b(D-M55)
 ハプログループDは日本列島、チベット、アンダマン諸島などで高頻度に観察されている。非出アフリカ系統のハプログループEと姉妹関係を成し、起源は55000年前程と非常に古い。起源年代とその分布様相から、かつては東アジアを広く覆っていたが、駆逐され島国日本と高山チベットに取り残されたようである。ハプログループDはモンゴロイドを形成する集団の最古層に位置し、イラン→アルタイ山脈→東アジアという北ルートで東アジアに達したと考えられる(崎谷2009)。
 日本列島に分布するのはHg:D1b(D-M55)で、他に朝鮮で0~2%程確認されるのみでほとんど日本列島固有である。D1bは日本人に25~45%,琉球人に55%,アイヌに85%の頻度で確認されている。D1bの起源年代は33700±2200年前(She et al. 2003)で、日本列島に人類が居住し始めた年代とほぼ一致する。

図2-6、図2-7、表2-5 


図2-8

HaplogroupO1(O-MSY2.2)
 このハプログループはオーストロネシア語族と関係し台湾先住民で66%を占める。東南アジアのタイ・カダイ語族にも比較的高頻度で確認される。ただし両語族ともハプログループO3も共担する。日本にはO1が0%~4.2%(Nonaka 2007)ほど確認されている。

HaplogroupO2a(O-PK4),O2b(O-M176)
 Hg:O2aは東南アジアで高頻度にみられ、オーストロアジア語族と関連している。日本では2.4%観察されたという報告がある(Hammer2006)。
 Hg:O2bは日本、朝鮮、満州に高頻度で観察され、ベトナムやタイでも確認される。O2bの起源は7800年前と推定される(Katoh 2004)。O2bは日本で平均30%程観察され、D1bと共に日本人の2大Hgとなっている。
共に長江文明の担い手である。

図2-9、図2-10、図2-11、表2-5

HaplogroupO3(O-M122)
 東アジアに広く分布し、下位グループも多い。北部漢民族では60%以上の高頻度で観察される。O3a2c1がシナ・チベット語族を担い、特にO3a2c1aがチベット・ビルマ語派を担っている。O3a2*などいくつかのブランチはオーストロネシア語族と関連しているようである。O3a2c1と関連するシナ・チベット語族は雑穀・麦作農耕の黄河文明の担い手である。日本にはO3全体で20%程が確認されるが、下位グループの分析が追い付いていないようである。

図2-12、図2-13

HaplogroupC1a1(C-M8)
 このハプログループの最大の特徴は日本固有であることである。日本全国で平均5%ほど確認されるが、国外では一切観察されていない。つまり日本列島内で祖形C1a*から発祥した可能性が高いと思われる。遺伝学者の計算で発祥年代が12000年前後(Hammer et al.2006)とされており、縄文文化の開化とリンクしていることが考えられる。
表2-6


HaplogroupC2(C-M217)
 このハプログループはユーラシア中部~北米に多い。アルタイ語族、古アジア諸語、ナデネ語族と関連している。日本には平均4%ほど観察され、日本固有のC2aも存在する。福岡で7%以上と高い(Hammer et al.2006)。アイヌでも12%観察されている。起源地はアルタイ・サヤン地域と推定される(Zegura et al.2004)。

図2-14、表2-7

図2-15

HaplogroupN (N-M231)
 このハプログループはユーラシア北部(極北地域)に多い。分布域は北東シベリアから北欧にまで及ぶ。日本では平均4%ほど観察され、特に青森で7%以上と高い(Hammer et al.2006)。N1cはウラル語族と関連している。起源地は中国北東部と考えられる。遼河文明の担い手である(Yuli et al.2013)。

図2-16、表2-8

HaplogroupQ(Q-M242)
 このハプログループはアメリカ先住民の大半を占める。ユーラシアにおいてはケット族に90%以上、セルクプ族に60%以上認められるが総じて低頻度である。イラン付近で発祥し急速にシベリアを移動しアメリカへ入ったようである。日本人には約0.5%観察される。

図2-17

日本人の Y 染色体の起源年代と言語の関係
 以上紹介した日本人の Y 染色体の頻度、起源年代、関係言語をまとめたものが下表である。最も多い Hg:D1b は起源 34000 年前と最も古く、しかもほとんど日本列島固有であるから、列島内発祥の可能性も高く、日本人の最古層と考えられる。これが主に縄文時代人の中核を占めていたようである。彼らの言語を「原日本語」と呼びたい。大陸部でほとんど駆逐されてしまった Hg:D の系統が高頻度で残存していることは、日本における縄文から弥生への移行には武力征服はほとんどなく、平和のうちに推移したと推定できる。ハプロルグープ O の下位群とはおもに弥生時代以降に流入したようであるが、以下、考古学的、歴史的側面からもこの考えを検証していく。
表2-9


→次頁「日本人のミトコンドリアDNAハプログループ

〈文献〉
・Hammer et al. 2006. Dual origins of the Japanese: common ground for
hunter-gatherer and farmer Y chromosomes.
J Hum Genet. 2006;51(1):47-58.
Epub 2005 Nov 18.
・Shi,Hong , Hua Zhong, Yi Peng, Yong-Li Dong, Xue-Bin Qi, Feng Zhang, Lu-Fang Liu, Si-Jie Tan, Runlin Z Ma, Chun-Jie Xiao, R Spencer Wells, Li Jin, and Bing Su. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biol. 2008; 6: 45. Published online 2008 October 29. doi: 10.1186/1741-7007-6-45
・Nonaka,I et al 2007, Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms
・Katoh,Toru 2004, Genetic features of Mongolian ethnic groups revealed by Y-chromosomal analysis
・Yali Xue et al. 2013. Male Demography in East Asia: A North–South Contrast in Human Population Expansion Times. Genetics.December 2013, 195 (4)
・Zegura SL1, Karafet TM, Zhivotovsky LA, Hammer MF.High-resolution SNPs and microsatellite haplotypes point to a single, recent entry of Native American Y chromosomes into the Americas.Mol Biol Evol. 2004 Jan;21(1):164-75. Epub 2003 Oct 31.

2.日本人のY染色体Hg-1

2015年02月10日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
 HLAハプロタイプの流れから示唆される日本人の祖先集団を解明していくにあたり、まずは人類学的視点、遺伝子と形質の面から探ってみたい。

日本人のY染色体Hg
 日本列島および東アジアの周辺諸集団におけるY染色体Hgの割合を下表と次頁図に載せてみた。特筆すべきは日本固有のD1bが30%以上を占めることである。O2bも韓国以外では殆ど観察されない。Y染色体における日本人の特異性が読み取れる。国内の地域差については、西日本ほどO3、O2bが多く、東日本や沖縄でD1bが多い傾向があるが、調査地が少なく断定的なことはまだ言えない段階にある。周辺諸族の最多Y染色体を示したのが次々頁図である。では日本に分布するハプロフループについて簡単に紹介する。


図2-6(表2-3より作成)

表2-3


表2-4




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1.明らかになった!日本人のルーツ -HLAハプロタイプの流れ-

2015年02月06日 | 本論2-日本人のルーツを探る(人類学)
 1990年代、日本人の起源を解き明かす画期的な研究成果が発表された。東京大学医学研究科の徳永勝士先生の研究グループが、HLAの多型により日本人の起源のかなりの部分を解き明かしたと発表したのである。
 日本人の成り立ちについて述べる前に、まず最大のキーワードであるHLAについて、ある程度紹介しておこう。人類をはじめ高等動物が自分の体を守る仕組みである免疫系の働きは自己と非自己を区別することにある。即ち外から入ってきた病原微生物やウイルスなどの感染を受けて「変化した自己」の細胞を「正常な自己」の細胞と区別して攻撃し排除せねばならない。その識別のための「目印」として使われる分子グループを、人間の場合HLA(ヒト白血球抗原Human Leucocyte Antigen)と呼んでいる。
 このような役割を果たすために、HLAの遺伝子群は複雑で多様性に富んでいる。HLAは第六染色体の短腕の上に密集して存在する一群の遺伝子から構成され、しかもそれぞれの遺伝子が著しい個人差を示す。よって人類集団のより詳細な研究に役立つのである。下図のようにHLAの遺伝子群は染色体上で近接しておりそれぞれのHLA遺伝子座の特定の対立遺伝子がセットを組んで親から子へと伝えられていく。このHLA遺伝子セットを「ハプロタイプ」とよびぶ。ハプロタイプは個人差だけでなく、著しい集団差があることでも知られる。これは他の遺伝子標識と比べ明らかな特徴である。

図2-1、図2-2(徳永1995)

 このハプログループは非常に複雑なので全く同じものが異なる集団で別々に形成され、頻度を増すことは殆ど考えられない。よって同じハプロタイプが異なる集団で観察されれば、彼らは祖先集団を少なくとも一部は共有していると断定できる。またHLAハプロタイプは「保存性がいい」標識でもある。HLA遺伝子群は染色体上に密接に連鎖しており、いったん集団中で頻度を増したハプロタイプは数千年から数万年は存続することが期待されるからである。HLA遺伝子のセットの分布には明瞭な地域差・集団差が認められる。よって、容易に先祖集団の共通性(故郷)などを判断できるのである。
さて日本人におけるハプロタイプの上位8種類を示したのが下表である。徳永氏ほか多くの調査で各地に住む600人以上の日本人家族および東アジアの集団からハプロタイプデータを集めた。その結果、日本国内でも明らかな地域差が存在することがわかった。ここでは上位5型についてみてみよう。(以下徳永(1995)を引用)

表2-1 (徳永1995)


 日本人全体で、最も多いハプロタイプB52-DR2(A24 -B 52-DR2-DQ1。以下B52-DR2)は北九州、山陽から近畿地方にかけて、そして山形や福島でも12~13%以上と高かった。対照的に南九州と東北地方の青森、岩手では6%前後、沖縄では2%程度と低かった。従ってこのハプログループは北九州から本州の西部や中央部にかけて多いタイプといえよう。日本の周辺部をみると、中国南部や東南アジアの諸民族には観察されず、対照的に中国北部の漢民族や韓国人で2%前後あることがわかった。さらに興味深いことに、これはモンゴル人においても最も多いハプロタイプである可能性が高いのに対し、中国東北地方の満族やオロチョン族などではまれで、シベリアのヤクートやバイカル湖のほとりのブリアートにおいてもほとんどみいだされていない。
 2番目のハプログループ(B44-DR13)は、特に北陸地方から秋田にかけて多いことが知られており、また近畿や東海地方でも6%以上と多かった。対照的に東北地方の太平洋側や南九州、四国、沖縄では少ない傾向にあった。先に述べた一番多いハプロタイプ(B52-DR2)の分布状況と似ているが、日本海沿岸、とくに北陸地方に分布の中心がある点でいくらか異なっている。日本の周辺における分布をみても、先のハプロタイプ同様、中国南部よりは北部に多いハプログループであるが、詳しく見てみると違いが認められる。じつはこのハプログループは韓国人では7%以上と最も高頻度で見出されるタイプであり、また中国東北地方の満族にもかなりの頻度で見られた。にもかかわらず中国北部の漢民族やモンゴル人では殆ど見られなかった。表に示される3番目のハプログループ(B7-DR1)も同様な分布パターンを示していた。
 4番目のハプログループ(B54-DR4)は、先の三つのハプロタイプとは対照的に、南方に分布が偏っているようにみえる。日本列島においては、特に沖縄で最も多いハプロタイプであり、南九州、南四国や東海地方、神奈川でも比較的多く観察された。一方、本州中央部や東北地方では頻度は低い傾向にあった。つまり、このハプロタイプは日本の南部から太平洋側にかけて多いハプロタイプといえよう。日本の周辺地域について見てみると、北方では韓国のみに多く観察された。興味深いことに、中国南部にすむいろいろな民族ではほとんど見られず、南方のタイ人やベトナム人でもまれであった。
 さて、5番目のハプロタイプ(B46-DR8)であるが、その日本列島における分布は再び前二者に類似したパタンをとっていた。このハプログループは北九州から山陽、近畿地方にかけて4~6%と多い傾向にあり、沖縄、南九州や太平洋沿岸地域では2%前後と少ない。日本周辺部では韓国人と中国東北部の満族のみで多く、中国内でもその他の民族やシベリアあるいは東南アジアの集団には見られなかった。ところが、図12に示したように、このハプロタイプに非常に類似した別のハプロタイプ(B46-DR9)があって、中国南部、四川省やタイ、ベトナムの集団で最も多いことが知られている。この2つのハプロタイプは共通の祖先ハプロタイプに由来すると考えられるので、この両者が南方型と北方型という対照的な分布パタンをとっていることは非常に興味深い。
以上の例をみても、東アジアのHLAハプロタイプの分布状況から、はっきりとした地域差あるいは民族差が浮かび上がってくる。比較的均質と考えられてきた日本人の中にも明瞭な地域差が認められるわけである。(以上引用)
徳永氏の研究結果をまとめてみたのが下の表2-2である。

表2-2 

(以下再び引用・多少改変)
 HLA遺伝子及びハプロタイプの分布から、東アジアの諸集団、特に日本人の成立過程について考察したい。今まで述べてきたようにHLAハプロタイプの分布は明らかに異なっている。しかも、それぞれのハプロタイプがばらばらに分布しているのではなく線上のつながりを示し、少なくとも3つから4つの異なるパタンがみられる。この現象を説明する最も単純なシナリオは、日本人祖先が少なくとも3つから4つあり、それぞれ異なったルートから日本列島にやってきたというものであろう。
 第1に、B52-DR2を高頻度にもつ集団が、中国北方より朝鮮半島を経て北九州や近畿地方に移住してきた可能性が考えられる。この祖先集団と現在のモンゴル高原周辺に住む人々との関係に多いに興味をそそられる。
 第2に、B44-D13とB7-DR1で特徴づけられる集団が朝鮮半島あるいはその近隣を起点として、北陸地方などの日本海側に至った可能性が考えられる。先に述べたように、このハプロタイプをもっとも濃密にもつ集団は韓国人や中国の満族であったと考えられる。他のハプロタイプにも同様の分布パタンをとるものがあるので、以上2つの流れが現代日本人の遺伝的特徴に与えた大きな影響が想定される。
 第3には、B54-DR4を多くもつ集団が、中国南部を起点として西南諸島や、九州、四国を経て、本州の太平洋岸に達するルートが考えられる。(ただしこのハプログループはおそらく海を渡って朝鮮半島にも伝わったのであろう。)
 最後に、B46-DR8をもつ集団が考えられる。先に述べたように、おそらく祖先を共通する類似したハプロタイプ(B46-DR9)はあきらかに中国南部に由来するが、これらをもつグループは朝鮮半島を経由するかあるいは直接に、南九州ではなく北九州に到達したのかもしれない。
 現時点でははっきりと断定できないが、以上のHLAハプロタイプとは別に、頻度は低いながら南九州と東北地方北部に共通して存在し、その間の本州中央部には極めて稀なHLAハプロタイプが観察されている。形質人類学の多くの成果も考え合わせると、これらが縄文時代人の特徴の一部を反映し、先に述べたハプログループはむしろ弥生時代に渡来してきた人々を特徴づけているのかもしれない。(以上引用)
 なおアイヌ人のHLAハプロタイプは詳細研究が進んでいないが、日本人と異なったタイプが多いという。


図2-5、表2-3

以上まとめてみると、大きく以下の4つの流れが認められる。

1. 中国大陸北部から朝鮮半島を経て北九州・近畿へ(赤)
2. 満州・朝鮮半島東部から日本海沿岸へ (青)
3. 中国南部から琉球諸島を経て太平洋側へ(オレンジ)
4. 中国大陸南部から直接、あるいは朝鮮半島を経由して北九州へ(緑)


さらにこれとは別に縄文系と想定される別の複数のハプロタイプが南九州や北東北に存在する。
(詳細は徳永(1995,1998,2003,2006)を参照)

このように、日本人は少なくとも5種類以上の集団から成り立っていることが分かったのである。ではそれぞれの集団がどの民族に近く、どのような言語を話し、いつ日本にやってきたのであろうか?

→次頁「日本人のY染色体Hg」


<文献>

徳永勝士 (1995)「HLA 遺伝子群からみた日本人のなりたち」『モンゴロイドの地球(3)日本人のなりたち』東京大学出版会,第 4 章,遺伝子からみた日本人,p193-210
徳永勝士 (1996) 「HLA の人類遺伝学」『日本臨床免疫学会会誌』=『Japanese journal of clinical immunology』19(6), 541-543
徳永勝士 (2003)「HLA と人類の移動」『Science of humanity Bensei 』(42), 4- 9, 東京:勉誠出版
徳永勝士 (2008)「HLA 遺伝子:弥生人には別ルートをたどってやってきた四つのグループがあった!」『日本人のルーツがわかる本』逆転の日本史編集部,東京:宝島社,p264-p280

10.まとめ(世界的視点)

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点

・Y染色体・ミトコンドリアDNAハプログループは非出アフリカ+出アフリカ後3ルートの4グループに区分され、各々が「人種」を形成する。

Y染色体・ミトコンドリアDNAハプログループにより人種が判別できる

・人種間の系統樹は混血を前提に描く必要がある。(そうでなければ誤った結論に至ってしまう。)

Y染色体ハプログループ言語はある程度の相関性があり、語族を担うY染色体ハプルグループが存在する。ただし語族より上では相関性を必ずしも見出せない。

・語族より上位の系統樹を構築することは原理的に不可能である。

・環境変動は民族移動を考える上で重要なFactorである。


以上、世界的の視点から見てきた。次章ではいよいよ日本人の起源を解明しようと思う。

→次頁「Ⅱ-1.日本人と日本語のルーツを探る(人類学から) 1.明らかになった日本人のルーツ」へ

9.環境変動

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 最後に、人類史において重要なFactorとなる環境変動についてごく簡単に触れておく。最終氷期の最寒期は2万年前といわれる。以降徐々に気温が上昇し、1万年前に現在とほぼ同程度の気温になったと言われる。ちょうどこのころに農耕が開始したことと無関係ではないだろう。
 気温が上昇すれば氷河・氷床が解けて海水面が上昇するから、もと平野であった所の多くが水没することになる。世界中に似たような洪水神話が存在するのもここに起源するものと思われる。特に「ノアの洪水伝説」は海水面上昇により持ちこたえられなくなったボスポラス海峡が約7500年前に決壊し、黒海に大量の海水が流れ込んだ事件が後世に伝わったものであるという(文献1)。古代ムー大陸やアトランティス大陸も、それを科学的に考えれば海面上昇により水没した大陸棚を指しているものと思われる。
 1万年前以降も寒暖の小変化は繰り返された。6000年前頃に最も温暖であったと言われ、日本では「縄文海進」が起きた。以降は徐々に寒冷化傾向にある。特に2500年前頃にやや強い寒冷期があり、中国大陸においては華北黄河流域に住んでいた漢民族の南下により長江文明が崩壊したとされる。歴史的には春秋戦国時代の呉、越の滅亡に当たる。呉の末裔が日本に東流した倭人であることは後で詳しく述べるが、このような民族大移動の原因は気候変動によるものが大きい。
 民族移動を考える際、古気候、古環境を考慮に入れねばならない。サハラ砂漠は8000年ほど前は湿潤であったという。現在砂漠であったところも過去は肥沃な草原だったかもしれない。現在のシベリア針葉樹林(タイガ)が広がる地帯は1万年前まではマンモスステップであった。過去の環境を現在と同視するととんでもない結論に至ることがあり注意を要する。人類史を紐解く場合はその時々の環境を背景に考察しなければならない。

図1-30(文献2より)

図1-31(文献3より)
「ノアの洪水」は温暖化による海水準上昇により、ボスポラス海峡を通って地中海から黒海へ大量の海水が一気に流れ込んだ出来事をさすとされる。その流量はナイアガラの滝の200倍であったという。最新研究では数々の科学的証拠が発見されている。

→次頁「まとめ(世界的視点)」へ

<文献>
1.ウィリアム・ライアン  ウォルター・ピットマン(2003)『ノアの洪水』集英社
2.『日本人のルーツがわかる本』「逆転の日本史」編集部 編宝島社 1999 P129
3.http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/022/325/48/N000/000/003/138393926342062406226_blackseamap.jpg

8.語族より上位の系統とY染色体Hg

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 世界の言語は語族に括ることができ、Y染色体Hgとの関連性もわかった。では語族より上位の系統はどうであろうか。
 一部の言語学者は、語族より上のカテゴリーに「大語族」を提唱している。アメリカの比較言語学者グリーンバーグは、インド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、アルタイ語族、日本語、エスキモー・アレウト語などユーラシア大陸の殆どの言語を「ユーラシア大語族」として括った。これは画期的な試みとして注目される一方で、言語学的証明はとうてい不可能であるために、言語学の世界で賛同を得られているとは言い難い。地球上の全人類は元をたどれば同一の祖先にたどりつく。よって世界の言語は「人類共通祖語」から派生していったはずである。しかしながら、語族間の系統を探るだけでもお手上げ状態なのである。
 現生言語から同系性を確かめることが可能な可遡年代は5000年とされる。印欧語族は祖語が6000年前とされるが文献、石碑などの発見により過去の言語について研究可能であるからである。語族同士の系統はおそらく10000年以上遡るものであるから、言語学的には証明できないということになる。ではなぜ語族より上の系統は言語学的に証明できないのであろうか。それには語族形成のメカニズムを考える必要がある。
 同一語族に属する言語は比較的最近拡散したものである。言語学的に証明可能であるかあるいは同系性が想定される5000~10000年前に分岐したものである。分布を広げた祖語は次第に分化していく。初めは方言といわれる小さな差異だが次第に別言語となっていく。下位分化した各言語は、次第に隣接する他系の言語や基層言語と接触、混合することになる。文法は保存するが語彙が大幅に入れかわったり、発音を保ちながら基礎語彙が交換してしまうなど、大幅な変化を起こす場合もある。時間がたてばたつほどこの効果は増えていく。言語学的に同系性が証明できる上限が5000~10000年前である理由も多くはここにあると思われる。他言語と混合して大きく変容してしまった言語は、系統を決定できなくなる。
 このようにして成立した混合言語が、何かのきっかけで文化的優位性をもって再び広範に拡散したらどうであろう、新たな語族の誕生である。しかしその語族自体の系統は、混合を経ているために決定不可能なのである。世界の語族同士の系統が決定できない原因の多くがここにある。祖語自体が混合言語なのである。混合言語はハイリッドであるから系統的位置が定まらないのだ。

図1-28 語族の形成モデル

 言語要素ごとの系統(文法、発音、人称代名詞、語彙など)に限ってみれば、世界の言語の系統樹を書くことは可能である。実際に人称代名詞を用いた世界の言語系統樹を描く試みがなされている(松本2010)。しかしそれをもってイコール言語の系統とすることはできないであろう。発音や文法も重要な言語要素であるからである。世界の言語は過去に何度も混合を経ているため、生物種のような純粋な系統樹を描くことは不可能であろう。

図1-29

 では、遺伝子から見た場合どうであろう。先に語族を担うY染色体Hgが存在すると述べた。ある集団についてY染色体Hgをみればその集団の使用言語の系統がわかるのであろうか。言い換えればY染色体Hgの系統によって語族同士の系統も決定できるのであろうか。
 残念ながらこちらも諦めざるを得ない。先に見たように同一語族内でも拡散するにつれ言語を担うハプログループが交換する「話者交換」が起きてくる。例えばインド・ヨーロッパ語族を担うY染色体HgはR1aであるが、西欧地域の多くでR1bに話者交換した。このR1bはもともとバスク語やイベリア語などを担うハプログループと考えられる。ローマ帝国支配時にイベリア語など非印欧語族分布地域であった西欧にラテン語が広まった。住民は殆ど交換せずにDominental Minorityが生じた。そのためフランス、スペインなどではR1bが60%近くを占めている。スペインは大航海時代直後に新大陸に進出したが民族移動の観点からみるとスペイン語を担うY染色体HgはR1bとすることができよう。しかしながらスペイン語の祖先であるインド・ヨーロッパ祖語を担うY染色体HgはR1aであり、一度言語交換が起きている。さらに言えば、インド・ヨーロッパ語族を担うHgが最初からR1aであったかも不確かである。拡散させたのはR1aであるが、拡散以前の祖語の段階でR1aが言語交換した可能性もある。このように考えていくと、言語は少なからず話者交換を経ており、Y染色体Hgの系統をもって語族間系統を決定することはほとんど不可能であると言わざるを得ない。
 結論としては、言語はさまざまな混合、話者交換を経ているために、言語学的にも遺伝子の側面からも語族より上位の系統構築は、原理的に不可能といわざるを得ない、ということになろう。

→次頁「環境変動」へ

7.人種・民族・言語・遺伝子 -言語と遺伝子の相関-

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 人種、民族、言語などはしばしば混同される。同一民族であっても人種が異なる場合もありうるし、遺伝的にも明らかに同人種とされる民族でも使用言語が全く異なる場合もある。これらはどのように定義されるのであろう。
 人種というのは先にも述べたように、遺伝子が決定する。すなわち人類拡散時の移動ルートによるものであり、Y染色体・ミトコンドリアDNAハプログループによって判別可能である。一方の民族は母語とする言語によって決まるとしてよいであろう。(民族の定義は様々あるが、本論では言語で規定されるもの定義とする。)どのような遺伝子を持とうが、日本語が母語であれば日本民族である。このように考えると、人種は遺伝子によってきまり、民族は言語によって決まるということができる。
 では両者は全く無関係であろうかというと、そうではない。言語を担うのが人間である以上、言語と遺伝子もまたある程度相関が認められるのである。
 人類は父系氏族性が多い。大規模な民族移動は同一言語の拡散をもたらすが、男性主導の場合が多いといえる。一般的には移住男系集団が現地先住女性と配偶することが多い。これはミトコンドリアDNAの多様性がY染色体よりも高くなる要因でもある。すなわち言語の拡散は男系集団が担うことが多い。よってY染色体のハプログループと言語は相互に関係している場合が多いと想定される。これを確かめるため、2つほど事例をみてみる。
 1つ目にインド・ヨーロッパ語族をみてみよう。この語族は英語、フランス語、イタリア語、ロシア語、サンスクリット語などヨーロッパの有名言語を包有しているが、下図に示したように、祖語は黒海北岸の南ロシア平原から拡散していったと考えられる(クルガン仮説)。隣はY染色体HgのR1aの分布図であるが、両者は似たような分布を示していることがわかる。よってインド・ヨーロッパ語族とY染色体R1aの相関が考えられる。

図1-23、24(Wikipedia)
 次に西シベリア~北欧に分布するウラル語族である。図1-25、26はウラル語族とY染色体ハプログループNの分布図である。両者は似たような分布をしているのがお分かりいただけるであろう。Wikipediaの世界中の民族集団のY染色体ハプログループ割合一欄表
(http://en.wikipedia.org/wiki/Y-chromosome_haplogroups_by_populations)をみてみると、ウラル語族はハプログループNが過半数を占める集団がほとんどである(表1-2)。これはウラル語族とハプログループNの明らかな関連を示している。

図1-25 Y染色体Hg:Nの分布       図1-26 ウラル語族の分布 
表1-2


 このようにして世界の言語を調べていくとおおよそ表1-3のような対応関係が見えてくるのである。印欧語族はR1a、ウラル語族はN、日本周辺ではモンゴル語などアルタイ語族はC2、シナ・チベット語族はO3、ポリネシア語などオーストロネシア語族はO1と相関する。

 一方のミトコンドリアDNAハプログループは、Y染色体ほど明瞭な関係性は見られない。ただしアメリカ先住民のようにY染色体Hgの多様性が著しく低い場合、集団同士の近親性および言語系統を解明する手掛かりとなる。またミトコンドリアDNAハプログループは一度定着すると移動、拡散しにくく、地域特異性が高いためハプログループの多様性から人類未踏地への最初期定着ルートが判別できるという側面がある。例えば東アジアでは北部にD*,D4*,C*など未分化パラグループが多いのに対し、南部ではR4a1a,R9c,B4a2,F1a3,F1a4,F3,M7b3,N9a6,Y2,E など特定の下位グループのみが展開する傾向がみられる。これから東アジア集団の初期定着ルートが北から南の流れであったことが読み取れる。後からの移動・淘汰が激しいY染色体ハプログループでは単純に推定することができないから、ミトコンドリアDNAハプログループの有用性が高いということになる。
 さて、Y染色体Hgと語族には相関関係があるが、同一語族の全ての言語に当てはまるわけではない。これは「話者交換」がしばしば引き起こされるからである。次頁の図1-33はアルタイ語族の拡散と相関するY染色体Hgの分布図である。アルタイ祖語の話者はY染色体Hg:C2であり、最初は担い手自体が拡散していく「話者移動」であったが西方に拡大していくうちに次第にR1a,Jなどに担い手が交換していく「話者交換」がおこる。語族の拡散は周辺部に行くにつれ後者が増えていく傾向にある。話者交換は言語を基準とする概念であるが、場所を基準とすれば先にあげた「言語交換(dominental minority)」が生じたことになる。インド・ヨーロッパ語族についても元来の担い手、Y染色体Hg:R1aは西欧にはほとんど及んでおらず、ローマ帝国の支配などで複雑な過程を経て「話者交換」「言語交換」が生じたと考えられる。

図1-27

→次頁「8.語族より上位の系統とY染色体Hg」へ

6.言語の分布と盛衰

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 次に、言語の分布をみてみよう。世界の言語は様々な分布様相を示す。インド・ヨーロッパ語族やアルタイ語族のようにユーラシア大陸を広く覆う言語群が存在する一方、北海道のアイヌ語やスペイン・フランス国境のバスク語というような系統不明な言語が孤立して残存していたり、ニューギニア島やアメリカ先住民の言語のように互いの系統が不詳な言語が多く共存している地帯も存在する。世界の言語の分布様式は一般に1)モザイク分布 2)均質分布 3)残存分布 の概ね3型に区別できると思われる。
1)モザイク分布-は互いに系統不詳あるいは証明が困難な言語が狭い分布で多数共存する状態である。南米のアメリカ先住民の言語やニューギニア島の言語がそうである。これらの地域について一般に言えることは狩猟採集生活を行い、人類入植以来ある程度の期間がたっていながら、一度も言語的に単一化された歴史がない、広範囲の支配>被支配の関係が生じなかった地域ということができる。もちろん「国」というものが存在せず、言語的にも互いに独自性を強めてきたのである。
2)均質分布-はモザイク分布と対極的で、ごく最近の単一語族の急速拡散の結果である。ある集団が文化的優越性を生じる要素(農耕、騎馬など)を身につけた場合、周辺の狩猟採集民などを駆逐、同化して言語を置き換え、分布を広げることで急速拡散をする場合である。1万年ほど前に農耕が開始して以降農耕民の急速拡散が生じた。古メソポタミア語族、古西欧語族(共に畑作)、オーストロアジア語族(稲作)などが分布を広げたと考えられる。6000年前頃になると騎馬戦士文化を伴ったインド・ヨーロッパ語族が拡散し、5000~4000前頃からはアルタイ語族(騎馬文化)やウラル語族(トナカイ遊牧)などが分布を広げたようである。また優れた航海術を身につけ台湾からインドネシア、太平洋地域に広く拡散したオーストロネシア語族もこれに含まれる。
3)残存分布-はかつては均質分布であった言語が、新たに拡大してきた均質分布の言語に置き換えられ、駆逐、分断されるかたちの言語である。かつてパキスタン~インドに広く分布し、インド・ヨーロッパ語族の進入で分断したドラヴィダ語族や、かつて東南アジアに広く分布し現在ではタイ系言語やビルマ系言語に分断される形となっているオーストロアジア語族などがあげられる。この分布は時間軸による語族の栄枯盛衰を反映していると言える。

図19、20、21(Wipikedia)

 世界の語族は歴史学的、考古学的におよそ拡散経路、時期が推定されているが、一欄を表1-1に示した。語族拡散の必要なのは文化的優越であり、農耕、騎馬戦闘、航海術などが考えられる。約1万年前に開始された農耕を携えて拡散していった語族がいくつか見られ、次段階では騎馬遊牧などより進んだ文化的優越性を持つ語族が拡散していったと考えられる。

表1-1


 ところで、高橋ほか(1995)によると文化地理学では伝播を大きくa1)接触拡大伝播 a2)階層性拡大伝播 b)移転伝播の3種に大別できるという。a1)接触拡大伝播は紙に水が浸み込んでいくように接触によってじわじわと拡大するものである。方言語彙の「方言周圏論」が例としてあげられる。a2)階層性拡大伝播は重要人物が他の重要人物へ、大都市から大都市へというように、他の人々を飛び越えて伝播する過程である。これは世界各地における近代の西欧文化の伝播などが当てはまるであろう。b)移転伝播は文化特性を持つ個人や集団が新しい居住地へ移動することで発生する。ヨーロッパ人がアメリカ大陸に移住することによる完全な西欧化はまさに好例であろう。

図1-22

 さて、これらを言語と住民という視点に応用してみよう。言語の伝播、拡散形式にはさまざまなものが考えられる。外部から強力な支配者の支配を受ければ、住民がほとんど変わらず言語だけが支配者のものに置き換わることもありうるが、一方で言語を使用するのは人間である以上、人間の混合が起こらない場合、語彙の借用などを除き言語は本質的には変化しないようにも思える。言語と住民の関係には場所を基準にした場合、大きく以下の5型に分類できると思われる。

1.言語交換(住民そのまま)(Dominant minority)
 住民は殆ど変化せず外部からの少数の支配者層の母語に言語交換する場合。
例)トルコ共和国:トルコ語…アナトリア地方は古来より数回の言語交換を受けた
2.住民混合+言語交換
 外部からの支配者層と原住民が混合した状態であり、言語は支配者層のものに交換した場合。
例)インド:インド・アーリア語
3.住民混合+言語混合
 外部から進入した集団と原住民が混合し、言語も混合した場合。
例)ハザーラ語(モンゴル語+ペルシャ語)。日本語(族)もこのタイプであると思われる。
4.住民交換+言語交換
 外部から進入した集団が原住民をほとんど駆逐してしまう場合。
例)北海道:アイヌ⇒日本人…北海道はアイヌの土地であったが、現在は99%以上日本人が居住している。

 文化地理学の伝播拡散モデルに当てはめると、1が階層性拡大伝播 2~4が移転伝播に近いと言える。なおこれらは質的概念であり絶対的基準はない。

→次頁「人種・民族・言語・遺伝子」へ

<文献>
高橋伸夫ほか(1995)『文化地理学入門』東洋書林

5.言語について

2015年02月01日 | 本論1-世界的視点
 世界には4000もの言語が存在すると言われる。その中でそれぞれ近縁関係がある言語は「語族」としてまとめられる。語族とは同一の祖語から枝分かれしていった下位の言語群の集合体ということができる。西欧に発祥した比較言語学の分野ではさまざまな言語を系統的に結び付ける研究が進められてきた。同一語族に属するには文法の一致、基礎語彙の一致が必要であり、さらに音韻対応の法則というものが重要になってくる。これはある同系語彙において、例えば言語Aで[a]であるものが言語Bでは[u]、子音についても言語Aで[k]であるものが言語Bでは[g]となるという対応関係があらゆる語彙に見られという法則である。
 身近な例では日本語のオ[o]が琉球語ではウ[u]、日本語のエ[e]が琉球語のイ[i]、日本語のハ行音[h]が琉球語ではパ行音[p]となる(米→クミ、花→パナ)。これらから日本語と琉球語は同系とみなされるわけである。このような比較言語学の手法によりヨーロッパの言語とインドのサンスクリット語が同系であることが発見されたことで「インド・ヨーロッパ語族」が確立されたことを契機に、世界のあらゆる言語を語族に括ろうという試みが行われてきた。
 世界に主要語族を下に挙げてみた。ここには必ずしも音韻対応の法則が証明されていなものも含まれている。アルタイ語族、シナ・チベット語族などは内包下位言語に明らかな類似性が認められるものの、比較言語学的に同系であることは証明できていない。しかし世界の言語学者に一般的に広く用いられることが多いため、今後はそれらのグループも「語族」と呼ぶことにする。世界の語族地図を図1-18に示した。
 言語学的手法では現存語において他言語との類縁性を検証する可遡年代は一般的に5000年前、どんなに遡っても1万年前までであるといわれているため、自ずと限界が出てくる。言語学的に単一祖語から分岐したことが完全に証明された語族としてはウラル語族、インド・ヨーロッパ語族、オーストロネシア語族である。ただし同系であることが分かってもこれら語族の語派(語族より一つ下位のカテゴリーを語派と呼ぶ)やそれより下位のグループ同士の系統関係はなかなか確立できていないのも現状である。




図1-16、17(Wikipedia)


図1-18 世界の語族(500年前)(諸文献より作成)

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