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法律の解釈と登山・・・・・・戯言

2005年11月04日 | 法律一般
 法律の解釈と登山について、最近、私が思いついたことを書いてみます。
 
 法律を解釈をすることは、非常に登山とよく似ていると言われます。民事事件において、権利関係が非常に複雑な事案でも、ひとつひとつを解き放すと、以外に簡単に問題が解決することもあります。でも、その一つ一つが、面倒なことであることは確かなことです。

 一方、登山は、どうでしょうか。これも、みなさんの一歩一歩の歩みでしか、頂上に進むことはできません。早く頂上に着きたいと思っても、それは、みなさんの足の長さで決まります(笑)。

 しかし、みなさんの歩みには、必ず、太陽が照り輝いています(ここでは、登山にも夜中登山がありますが、無視しますね(笑))。太陽は、みなさんが、今、どこにいるのか、そして、どの方向へ進むべきかを教えてくれます。困った時は、空を見上げればいいのです(笑)。

 ここで、太陽とは、民法1条2項の「信義誠実の原則(信義則)」を言います。すべての法律の解釈の段階で、「信義則」が支配しているのです。この原則を忘れないでください。“太陽が、輝いている”とは、そういう意味です。
 また、太陽が雲に隠され、どうしても困った場合には、「仏様」のご登場を願いましょう。それが、民法1条3項の「権利濫用の法理」といいます。
 
 しかし、仏様をそうそう期待しないでくださいね。日本に住む約1億3千万人のすべての人に対応できるものではありません。それでなくても、仏様は、超多忙なんですから(笑)。

 (参考)
 民法1条2項
 「権利の行使及び義務の履行は信義に従い誠実に行わなければならない。」
 同法1条3項
 「権利の濫用は、これを許さない。」

 ところで、「信義則違反と権利濫用」について、有斐閣Sシリ-ズの『民法1-総則(第2版補訂)』29頁(2002年4月10日発行)で、次のように書かれています(日本大学法学部の山田卓生教授が執筆)。

「4 信義則違反と権利濫用

 この両者の関係はどのような関係に立つか。両者は援用される領域が異なると考えるのか、重複して援用されると考えるのか、という問題がある。いずれの法理を使うにしろ、権利行使を制約しようとする点では共通であるが、おのずから援用される場は限定される。とくに信義則は、権利の行使、義務の履行としていること(1条2項)からもわかるように、契約関係が前提されているといってよい。これに対して権利濫用は、契約関係のない当事者間で問題とされることが多いといえる。
 しかし、これは一応の基準で、判例の中にも、「信義則に反し、権利の濫用として許されない」というように、双方を援用するものがある(たとえば、時効の援用に関して、最判昭51.5.25民集30巻4号554頁)。」

 このように「信義則と権利濫用」については、判例と学者において、見解の相違があるようです。その上で、これからも私の戯言を“楽しんで”ください。

 それから、登山道には、時々「お地蔵さん」がおられますね。仏様のご登場をそうそう期待できなくても、「お地蔵さん」ならけっこうお目にかかれます。その「お地蔵さん」は、民法でいえば、90条の「公序良俗」にあたります。

 (参考)
 民法90条
「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。」

 戯言の続きです。
 また、登山なんかするのはいやだ、と言う方もおられるでしょう。ハイウェ-を自動車で疾走すれば、頂上にはほとんど歩くことなしに、すぐに行けると言われるしょう。
 しかし、そういう方は、登山中に道に迷い、救助を求める人(法律問題を抱えた依頼人)を助けることはできません。私たちには、法律を解釈する時に、太陽があり、さらに仏様とお地蔵さんがおられるのです。何も恐れることはないのです(笑)。

 以上の戯言は、故我妻栄博士が、「権利濫用の法理は、『ご本尊』である。そうたびたび、出すものではない」という文章をどこかに書かれていたのを思い出しましたので、それにヒントを得て書きました。
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