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翡翠色 オパール色 風の声

おひとりさまの人生 感じて 考えて 味わって(?)
草花とメダカに癒され生きています

こわいもの

2009-08-14 | 世の中の心配ゴト
子供の頃、とても私は恐がりでした。

(怖い話が好きでない方は、きっと色々想像するから、この先は、無理して読まないで下さいね)


何が苦手って、怪談とか、心霊写真とか、お化けにまつわるエトセトラ。

物心つく以前に、何が自分をそうさせたのかは判りませんが、
たぶん大人が思っている以上に、亡くなった人、そして遺体というものが、
私は、怖くて、怖くて、仕方ありませんでした。


幼少の頃、近所のおじさんに、我が家の2階の壁に人が塗り込められ、夜な夜な赤く光ると言われ、
1人で2階に上がれなくなったり、
(今にして思えば、このおじさんには、色んな嫌な事を言われた )


小学校の遠足で山に行けば、その道の下に、誰か埋められているのではないかと、地面を踏むのが怖く、
(年がバレますが、赤軍派の赤城山でのリンチ事件の頃 )


とある島に行けば、山の中腹に自殺者がぶら下がっていないかと、日々怯え、
(島の駐在所に赴任している親戚の家に遊びに行ったら、叔父は毎日裏山を眺めながら、
小学生の私を相手に、ひと夏、そんな話ばかりしていた )


身元不明の遺骨から粘土で顔立ちを再現したポスターが張り出された交番の前を、通れなくなったり、
(これは本当に怖くて、自分の部屋で1人で寝られなくなって、親の部屋で暫く寝ていた )


兄が毎週買ってくる少年マガジンか何かに載っていた、つのだじろうさんの
「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」というオカルト漫画を、ついつい読んでは、
すでに水洗になっているのに、うちのトイレの下から手が出て来たらどうしようかと恐がり、
(読まなきゃいいのに、これが良くできた漫画で、読みたさが勝ってしまった・・・)


私が10歳の時、祖父が亡くなり、お通夜の晩は、魂が屋根のあたりをさまよっていると思い、
窓の方ばかり気になって眠れず、(明らかに、うしろの百太郎の影響 )


修学旅行で訪れた広島でさえ、自分が寝てるホテルの下で、
原爆で亡くなった人が今でも苦しんでいるような気がして、内心びびりまくり、
(普段は大空襲にあった東京に暮らしている事を、すっかり忘れている )


母と兄が読み狂っていた横溝正史氏の文庫本が、隣の部屋にあると思うだけで嫌で、
夜、その表紙の絵が脳裏に甦って、1人切なくなり、
(頼むから、そこいらに置かないで欲しいし、犬神家のCMもTVでやらないで欲しかった )


兄がおもしろがって怖い話をしようものなら、耳を塞いで「あ゛ー!! あ゛ーー!!」と叫んでおりました。

まぁ、その位、小心者で、恐がりだったって事です。

TVの心霊写真特集とか、オカルト映画とか、何を好き好んで見るものですか!





今でもオカルトチックなものは、まっくもって好みませんが、
30歳過ぎた頃、私を可愛がってくれた祖母が亡くなった時から、死んだ人を怖いと思う気持ちは消え、
更に、父が亡くなった後は、言葉は悪いですが、化けて出て来てくれるならば出て来て欲しい、と
心から思うようになり、毎年、お盆にはわくわくするのですが、
残念ながら、気配を感じさせてもくれません。


それから、我が愛すべき村上春樹氏の作品は、
実は、生の世界と死の世界が交錯する内容のものが多く、
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という作品には、
古い頭骨から夢を読むという事を仕事にもった主人公が出てきます。
普通に考えれば、しゃれこうべ が並んでいる様は、ぞっとしそうなものですが、
春樹氏の文才によって、それはとても清潔で綺麗なものとして表現され、
それ以来、骨に対する認識が変わりました。

スリラーとは違う・・・綺麗なもの・・・うん!


その後、大久保にある国立科学博物館の研究室を訪れるチャンスがあったので、
これは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の光景が見られる! と、喜び勇んで出掛けて行きました。

そこでは、ネアンデルタール人とか、北京原人とか、棚に並んだ色んな頭骨(ほとんどはレプリカ)に囲まれながら、
顔は神妙にして人類進化のお話を伺い、内心はうきうきと頭骨の世界に浸ってきたのでした。

残念ながら、頭骨を見つめても、夢は読めませんでしたけど・・・





今回のブログを書きかけて、今の自分にとって「怖いもの」ってなんだろうと、考えました。

ふと、子供の頃、お化けを怖がる私に、母が言った言葉を思い出しました。


死んだ人なんか、何もしないんだから、怖くも何ともないわよ。
生きている人の方が、怖いわよ。
追いはぎの方が、よっぽど怖かったわ。


追いはぎというのは、通行人を襲って、持ち物を奪って行く賊の事です。
第二次世界大戦末期、食糧難で、なんとか手にした食料も、おちおちしていると、
帰路の道すがら、追いはぎに襲われ、奪い取られてしまうという事が、
日常茶飯事に起ったそうです。

やはり、戦争という生き地獄を通った人の体感した恐怖感というのは、
私の小心さなど、吹けば飛ぶようなものなのでしょう、明らかに。

考えてみれば、「怖い事」を引き起こしているのは、人間かも知れませんね。
「怖い事」を無くせるのも人間。

病気や天災も恐ろしいですけれど、今の私には、ある意味、運命として受け入れられるようにも思います。


それよりも一番怖いと思うのは、

友人や仕事仲間、自分を気にかけてくれる人
やさしい心を持った人達が、何かで苦しんだり、いなくなってしまう事・・・


              ・・・・・この一週間、自問した答えです。



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お願い・・・コメント欄に、自分が体験したオカルト話は書き込まないでね、怖いから。


 マンゴーの成長ぶりも、ちょっと怖い!

日本的クリスマスの提案

2008-12-24 | 世の中の心配ゴト
               日比谷、ペニンシュラホテル脇の通り、手前のツリーは沢山のパンジーが植えられています


   I wish you a very merry Christmas ! 



私は“記憶の底に眠っているもの”に興味があり、
時々、子供の頃の自分を客観的に見つめてみたりします。

楽しかった事、嬉しかった事、悲しかった事、辛かった事。

しかし、本当にそうだったのでしょうか?

子供は与えられた環境こそ、全ての世界。
どうであれ、それが当たり前だと思い、喜びも、辛さも、
広い世の中を知ってしまった今より、ずっと鈍感だったように思うのです。

いいにつけ、悪しきにつけ・・・

 
     銀座 ミキモトの大きなツリー          レインボー・ブリッジは、この時期だけ虹色にライトアップ


私は幼少の頃、毎週日曜に、カソリックの教会に通っていました。
でも、我が家がクリスチャン家系というわけでもなく、牧師さんの有り難いお話しは理解できず、
神様もサンタクロースも存在するとは、まったく思っていなかったように記憶しています。

ビロードでできた献金の袋を持って、兄が人々のところをまわるのを、
自分はやらせて貰えず、羨ましかった事だけが、ただただ、印象に残っています。


昭和ひと桁生まれの父は、自らがサンタクロースになる事などありえず、
クリスマス・プレゼントを貰った記憶もまったくありません。
だから、クリスマスはサンタさんがプレゼントを届けてくれる日である事すら、知らなかったのです。

たまにどなたかに、お菓子の入ったブーツを頂き、それは天にも上る嬉しさでしたけどね。

世の中を知らなければ、喜びは倍増し、悲しみは無いんですよね、実は。

いいにつけ、悪しきにつけ・・・


子供の欲しい物を聞き出して、それを忙しい中、買いに行って、こっそり枕元に置く、親御さん、
ホントご苦労様だと思います。
でも、またすぐに、お年玉?  まったくもって、ご苦労様です。


 
         夕暮れの豊洲ドッグ                      水に映るイルミネーション


まぁ、楽しい思い出はいっぱいあった方がいいと思うので、
日本におけるクリスマスは、お祭りであっていいと思いますよ。

でも、せっかくだから、大半がクリスチャンでない日本人のクリスマスは、
“実”が伴わない、救世主イエス・キリストさまの誕生祝いでもなく、
ただのケーキとチキンを食べるの日ではなくて、何かの日にしてみてはいかがでしょうか?

たとえば、戦火の中で生まれた子供達の事を考え、平和の大切さを教える日とか・・・

子供の頃に教えられた事って、大人になって、考え方の土台になると思うんですよね。

戦火の中にいる事が、その子供にとって普通であるなんて、
もしそれが自分の子供だったら、本当にたまらないと、私は思うのです。


   War is over if you want it, war is over now.   
        あなたが望めば、戦争は終わる、今すぐ終わる

もし、これが普通の生活だったら・・・ 【Happy Christmas】




私もその昔は、恥ずかしながら、連れ合いにゴージャスなクリスマス・ディナーを要求し、
かなわないと拗ねたりして、一人で過ごすなんて、すごく惨めな事だと思い込んでいました。

奇しくもクリスマス直前の12月23日は、天皇誕生日で祭日。
今年は、お墓の掃除と、空き家になっている実家の掃除に行きました。
そしてお願いしたわけでもないのに、Tちゃん一緒に行って、掃除を手伝ってくれました。
物理的な事よりも、その気持ちが嬉しくて、もうそれだけで、何よりのクリスマス・プレゼント。
感謝、感謝の一日でした。

今は、クリスマス・イブがお互い仕事で暮れてしまっても、何も寂しい事はありません。
ゴージャスなクリスマスディナーも、なんだか商魂逞しいだけに思えて来た今日この頃、
2人なら、おうちで冷凍チキンをチンでも、十分幸せなクリスマスです。


みなさんが、心暖かいクリスマスを過ごされる事を祈っていますネ。



あなたもサンタに! 

     
プラン・ジャパン
  クリックで救える命がある。   

                        



            サンタ苦労す!?  にほんブログ村 その他日記ブログ 40代 日々のできごとへ



私からのクリスマス・プレゼント!

   子供が望んでいる事を知りたければこちらをクリック! 
    
   実はそっくり同じ光景を、チャリティーと称して帝国ホテルのロビーでやっているのを見ました。
   もちろん、子供は大泣きでした。 

ヒトゴトじゃないですよ

2008-10-26 | 世の中の心配ゴト
金曜の夜にアップしようと思いつつ、すっかり遅くなってしまいました。。。
さて今回は、うちは関係ないからと、見過ごしてもいられない、世の中の怖い話です。


消去法で円買い 株安「負の連鎖」 一時90円台、東証は7649円(産経新聞) - goo ニュース

金曜は、主要通貨の激しい暴落に、目を離せないでおりました。

私は仕事で、海外との取引があるので、この20数年間、為替相場を見るのが日課になっています。
それから、いくばくかの外貨預金もしているので、その評価もおおいに気になります。

今回の世界的な経済危機の元凶とも言われる、アメリカのサブプライム・ローン。
地価上昇で不動産を担保に、返済能力を超えた融資を高利で行い、それが破綻。
まるっきり、日本のバブル崩壊の二の舞い。

さらに、その融資を証券化して、他の証券とまぜて、別の金融商品として、
世界中に出回ってしまったのが、世界中を巻き込む、大暴落の嵐を巻き起こした訳です。

そもそも、サブプライム・ローンなんて、日本のバブル崩壊を見ていれば、
アメリカだって判りそうなものなのに、そこで甘い汁を吸える人が、
政治や金融をコントロールしているから、確信犯的に放置されたなんて、
ちょっと許されざる事だと、私は、ずっと憤慨し、騒ぎ続けておりました。

そうしたら・・・

「過ち犯した」不十分だった金融機関規制でFRB前議長(読売新聞) - goo ニュース

やっと、謝ったか! 今ごろ謝ったって遅いんだぞ、グリーン・スパン!!





さて、どれ位前の事か、よく覚えていないのですが、都市銀行で外貨預金が出来るようになり、
その金利の高さ、為替変動の興味深さで、虎視眈々とUSドルが下がる時を狙って、
米ドルの預金口座を作りました。

日本はゼロ金利の時代、ただ日本円で預金していたら、世の中の物価上昇で、
実質的には目減りしてしまうと思ったからです。

株は怖いですが、ドルなら長年動きを見続けているし、毎日チェックするし、
まぁ大丈夫かなと思ったものでした。

なんせ、私は、一人で食べていかねばなりません。
年金はまったく出ない事はないでしょうけれど、どんどん条件が悪くなるのは、
明白だとも思いますので、とにもかくにも自己防衛。


で、近所のみずほ銀行にUSドルの口座を作りに行ったら、

   外貨預金をおやりになるのなら、使う予定のない資金で、
   お持ちの現金の1/3までにされる事をお勧めします


と言われました。
これは、当たり前の事ながら、今にしてみれば金言です。

今では、すっかり1%台に落ちた米ドルの定期預金の金利も、昨年迄は4%以上ありました。
1000万円を預ければ、年間40万円の利息。
ちょっとした小遣いには悪くないです。


しかし、昨年の夏、1ドル124円当たりまで上がってしたUSドルが、
サブプライムローンの破綻が表面化して、あっという間に117円まで急落。
これに泣いたのが、FXと呼ばれる外国為替保証金取引をしていた人達。

都市銀行で換金する時の手数料は、1ドルに付き1円。
円からドルに替え、ドルから円に戻すと往復で2円かかります。

ネット系の銀行だと、もっと手数料は安く、
sony銀行で片道0.25円、残高によって優遇されると0.10円迄軽減されます。

更に、FXであれば、もっと手数料は安く、片道0.03円位。
ざっくり言えば、少ない資金でも、倍率をあげて取引が出来、大きな利益をあげる事ができるもの。
しかし、裏を返せば、大きな損をする事もあるのです。

外貨預金の場合は、ドルが下がった時には、そのままにしておいて、多少なりとも利息は得、
またドルが上昇した時に、日本円に換金すればいいのですが、
FXの場合は、急激に相場が動いて、ある一定の割合を切ると、それ以上の損失を出さない為に、
自動的に換金決済されてしまうのです。

昨年の夏、丁度、お盆休みの時期に、急激な暴落が起こり、パソコンから離れていた投資家は、
これを回避出来ずに、随分泣きをみたのではないでしょうか。

私もFXをやろうと、この1-2年勉強していましたが、大きく増やす事を目的としていないのと、
この大きな損失を回避する為の強制決済が恐ろしくて、手を出しませんでした。

FXはもちろんの事、外貨預金も、ある種の投資です。
だからリスクも伴うわけで、日本経済も世界経済も、頭がこんがらがる位見つめて
売買のタイミングを読み続けている必要があるのです。


それなのに、なんか儲かりそうだと、ただ人から言われるがままに、投資をしてしまう人の多い事・・・

そして、子供の学費や老後の資金など、必ず必要になるお金を、リスクのある方法で運用してしまう人の多い事・・・


プロのディラーだって、四苦八苦しているのに、素人が簡単に儲けられるわけないのに!

プロだって、底値で買って、天井で売れないのに、素人がそれを狙うなんて、無茶過ぎる!


・・・と、私は思うのです。・・・受け売りですが。


今の波乱の為替相場は、100年に1度の嵐と言われていますが、
現実には、これまでに起こった事のない、大波乱ではないかと見ています。

私が外貨へ換金する場合、だいたい10年分のその通貨の動きを見るのですが、
現在の相場は、ほとんど役に立ちません。



こんなに円高になるなんて、日本はそんなに魅力的な国なのでしょうか?
貯蓄好きで、勤勉な日本人の資質が、手堅い運用をしていた結果だと、多少思いますが、
物を作って輸出する事で成り立っている国ですから、まったくいいとは思えません。


金曜の夜中、久々に「朝まで生テレビ」を見ました。
テーマは、世界的な経済危機。

かなり興味深かったですが、ケインズやマルクスを持ち出した所で、
未曾有の経済危機に適応できる筈はないんだけどなー・・と、
センセイ方の討論を聞きながら思っていました。

分析は大切ですが、この先、何が起こるかが、視聴者は一番聞きたい筈なのですが、
誰もそんな話は、してくれないので、3時過ぎに寝こけてしまいました。
話せる訳ないですよね、誰にも予測がつかない位、複雑で膨大な危機でしょうから。


仕事をしていても、大手はいかに欠損を少なく押さえるか、
中小はなんとかこの嵐につぶれないようにする事か、如実にその事で、日々が過ぎている感じです。
うちの会社は所帯が小さいので、なんとか食いつないで行く位は大丈夫だと思いますが、
この夏あたりから、一気に影響が出てきて、決して楽な状況ではありません。

みなさんの会社も、波が到達する時間差はあっても、必ず影響がくると思われます。
上層部から数字で締め上げられるお父さんたちが帰宅したら、せめてやさしく迎えてあげてほしいものです。

円高のメリットもないわけではありませんが、消費者の購買力が落ちるのですから、
あまり期待はできないかもしれませんね。

海外旅行は、来年の春以降なら、燃料代が少し下がるので、よいかも知れません。
現金に変えるのは、一番手数料が高いので、極力小額に押さえて、
なるべくならクレジットカードで払うか、海外でキャッシングをする方が、
得になる場合が多いです。
但し、今のように為替相場が大きく変動している時には、あまりオススメしませんけれど。

ドルが下がったから買うというのは、いい考えかもしれませんが、
底を付いて上がってからでも遅くはありません。

昨暮れ、1ドルが97円まで下がった時、ものすごい数の人が外貨預金を作ったそうですが、
あれを、この下落の前に売り抜けた人が、どれだけいるのでしょうか。
まぁ、外貨預金なら、持ち続けていればいいですけれどね。
ちなみに私は、もっと底はあると睨んで、手を出しませんでした。

為替を読む上で、色々なものを見ますが、主に2つ参考にしているものがあります。

1つは、銀行の為替の中長期見通し。毎月、月末に更新されます。

もう1つは、私の尊敬する伝説のディーラー酒匂隆雄さんの「読み」。
長年の経験から動向を見据える力は、素晴らしいです。
彼の言葉にこんなのがありました。

下がったら買うのではなく、底を打って上がったら買う
上がったら売るのではなく、峠を越えて下がったら売る


その底と峠を見極めるのは大変な事ですが、多少の利益が出ていれば、
それ以上の欲をかかない事が、投資には一番大切なように思います。

ちなみに私は、大もうけしたい訳ではないので、リスキーな株とFXはやりません。


さて、為替やFXについて、きちんと書けばきりがないのですが、今回は初心者の為のイロハのようなところ。
今回は、あまりに凄いこの経済危機の嵐に、居ても立ってもいられず、
ドシロウトのたわごととして、書かせていただきました。

どうも、おいしいフレーズだけに飛びついている人が、多過ぎるような気がします。
投資はリスクがあると言われてますが、まずは複雑な世情を見回し、
見極める事をせずにやれば、間違いなく、大切な資産を失う事でしょう。


私も、実のところ、世の中がどうなることか、戦々恐々としています。
私の虎の子は、とりあえず老後迄使う予定もないので、しばらくは冷凍保存です。
とりあえず、無茶な事、無駄遣いをしない事ですかね。

底はまだまだ見えない・・・


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ブログを泳ぐ、走る

2008-09-17 | 世の中の心配ゴト
ブログを始めて、早3ヶ月。
すっかりハマって、溺れきっております。

まだ見ぬ、怖い物知らずのお友達も、たくさん寄って来て下さり、
それから、脅迫まがいでクリックを迫っているブログ村のランキングも上位を頂き、
「色んな意味」で、かなりたまげております。

この場を借りて、心から御礼申し上げます!


みなさま、ありがとうございました! 


って、なんかブログを止めちゃうみたいですけど、そうじゃないです。

不肖者、無精者の私に、ブログのバトンなるものが届きました。
バトンで繋いで、ブログ友達を増やして行こうという趣旨だそうです。

バトンを届けて下さったのは、「心の調律」というブログを書かれている早紀さんです。
早紀さんは、「占い」や「気」について詳しく、いつも思わず、記事に読み入っております。


さて、まわってきたバトンのルールは・・・

  1・バトンを回してくれた人の質問に答える

  2・次に回す人の質問を考える

  3・バトンを回してくれた人へメッセージをかく

  4・次に回す 3名を指名する

  
で、ルールの1番。いただいた質問は・・・

Q. ブログを始めたきっかけは?

A. えー・・・たぶん気の迷いです。深い意味はありません。

何の気なしにgooを見ていたら、ブログと書いてあって、ちょっと足を滑らせて、
この底なしチョコレート沼にはまってしまいました。

と、言うのは、ほぼ事実ですが、たぶん世の中に言いたい事を、
ストレートに発信できるメディアが、欲しかったのだと思います。

しかし、仕事の文章だと、徹夜でも書けなくて、寝こけてしまうのに、
ブログだと書ける、書ける!
自分に何かが乗り移ったのではないかと、ちょっと恐ろしくなる事さえあります。

これが仕事でも発揮できればいいのですが、まぁ、そういかないところが、
世の中上手く出来ていると、いったところでしょうか・・・

しかもこのチョコレート沼、楽しい話がたくさん浮かんでいるではありませんか!
毎日、食べても飽き足らずに、さらにウマイものを探して、日々、漂流しております。

で、沼から這い出したら、そこに化粧を落とした若き日のジョニー・デップがいて、
手を差し伸べてくれるのではないかと、無謀な妄想も描いております。


Q. ベストショットとその理由は?

A. これねー、けっこう悩みましたよ。ウユニも蔵出し、しましたしね。

とりあえず、デジカメ持ってからの時代に撮った中の1枚。



9.11のテロが起こる前の年、ニューヨークをうろついておりました。
夕暮れの頃に、ブルックリンからマンハッタンを写した1枚。
ワールド・トレード・センター・ビルのあたりも、ウロウロしていたので、
あの惨劇をTVで見た時の衝撃は忘れられません。
左奥の高いビル2つが、在りし日の、ワールド・トレード・センター・ビルです。
心に刻んでおきたい風景です。


Q. 趣味(あるいは興味のあるもの)について

A. 趣味!? 興味!?・・・イケメン! うまいもの!・・・!?

これまで趣味というものを持った記憶がほとんどなくて、
多趣味のTちゃん(パートナー氏)からは、何が楽しくて生きてるの?って、顰蹙のお言葉。

でも今の趣味は、ブログという事でしょうか。たっぷり楽しんでおります!

若かりし頃は、生け花なんぞをやっておりまして、一応、草月流の師範でございます。
趣味らしい趣味と言えるのは、せいぜい、それ位。
ガーデニングを始めたら、それすら、すっかりやらなくなってしまいましたが・・・

運動は、まったくもって、どんくさいので、からっきしダメ。見るのもダメ。やるのもダメ。


興味がある事は、色々ですけれど、世界経済も気になり、環境問題も気になります。

でも興味があるというか、一番危惧しているのは、子供達の育つ過程でしょうか。
礼儀も、敬いも、美意識も、味覚も、そしてコミュニュケーション力も。
私は残念ながら子供を持てませんでしたが、心から子供達が心配です。


3番の早紀さんへのメッセージ

早紀さんの記事を読む度に、背筋が3センチ位伸びる気がする程、私の元気の素です。
 忘れちゃ行けない心がけの数々、教えていただいて、いつもありがとうこざいます。

 愛犬の高麗ちゃんの目の離れ具合は、かなり他人とは思えない顔立ちであり、
 写真を見る度に、PCのこちらがわで、でれでれして、私も尻尾を振っております。
 また、登場させて下さいネ!

 それから、そのうち手のひらをUPしますので、是非手相を見てやって下さい。
 これからも、ブログ楽しみにしています!



さてさて、次にバトンを誰に渡すか、どなたにもご都合を伺っていないのですが、
もし渡されたされた方は、3人はむづかしいとしても、1人にでもバトンをまわして
このリレーが途切れないようにしていただけると嬉しいです。

お友達の輪を広げたい方が、自ら名乗りを上げて下さると、もっと嬉しいです。
(コメントに書き込んで下さっても、メッセージで送って下さっても結構ですので)

リレーのルールの、2番の私からの質問、4番のバトンをお渡ししたい方、は、
次回の記事でUPしたいと思います。
宜しくお願いいたしますネ!!



あなたの為に、バトンを色々ご用意いたしました!  

                      



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父の人生 昭和という時代

2008-08-15 | 世の中の心配ゴト

お気に入りの1枚 祖父母と父とその姉2人の夏の1コマ 
おそらく昭和10年頃ではないかと思われます
まだ穏やかな日々だったのでしょうか・・・



今日くらいは、平和のありがたさを、考えてみませんか?


それまで考えた事もなかったのですが、父が亡くなり、母が亡くなって、
両親の人生について考えるようになりました。

父は昭和3年、母は昭和10年生まれ。
第二次世界大戦があった昭和16年~20年。
父は、一番楽しいであろう青春時代が戦時中です。

祖父は新宿で米屋を営んでおりましたが、統制品になり商売も出来ず、
渋谷の駅前で、旅館を始めましたが、東京大空襲で全部焼けてしまいました。

敵機が来て、みんなが防空壕に逃げ込むのに
物干し台でB29を見るのに夢中だった程、飛行機好きだった父。

航空隊に入隊を夢見ていた寸前で、終戦になり、一命を取りとめました。
でも、自分は特攻隊で死ぬ筈だったのに・・と、70歳を過ぎても言い続けていました。
その思いは、もう戦後教育で育った私の理解の範疇を越えています。

つかこうへいさんの「戦争で死ねなかったおとうさんのために」、
なんだか父の事みたいで、その昔、思わず手に取って読みました。


父も母も、食糧難を経験しています。
疎開先で肩身の狭い中で、それまでおぼっちゃん育ちだった父が、
畑を開墾して野菜を作る事が、どれほど切なかったことかと思いますが、
食べる為には、ただただ、鍬を振るしかなかったのです。
あまりの空腹と喉の渇きに、きれいそうな田んぼの水を飲んで、
赤痢と腸チフスににいっぺんにかかり、生死を彷徨ったと聞きました。
「蛍の墓」をご覧になった方は、体感できなくとも、その悲惨さは汲み取れる事でしょう。


もちろん、戦後も様々な苦労はしてきていますが、
今まさに後期高齢者と呼ばれる方達は、この世代です。
この世代の人達が、この平和で、飢える事のない時代を築いてくれたのに、
せめてなんとか福祉を手厚くできないのかと、心から思います。

自分も含め、今の60代より下の人は、財源不足の皺寄せを受けても仕方ないと思っています。
その為には、自衛手段も考えます。
でも、戦中戦後に、怖い思いを沢山して、ひもじい思いをした人達には、
せめて安心できる老後を、なんとかしてあげられないものかと、切に思うのです。


手前の男の子が父、真ん中が戦後すぐに結核で亡くなった叔母、右が上の叔母・現在80過ぎても元気に世界を旅しています


とあるおつきあいので、私は時々、作曲家の故・吉田正先生のオーケストラ
コンサートにお邪魔します。
昭和の名曲・吉田メロディーの数々をオーケストラが演奏するというコンサート。
お客さんは、70代~80代くらいの方が一番多い印象。

いつも最後に「異国の丘」という、シベリア抑留時代に作られた曲の演奏があり、
年配の方達は、口々に歌っています。
満員のホールを見渡すと、皆が、過ぎ去りし時代を、
万感の思いで、反芻している気がしてなりません・・・


第二次世界大戦は、歴史書の物語ではなく、ほんの少し前にあった事です。
今、あなたのまわりにいるお年寄りの方々が、みんな経験した事なんです。


そんな時代に生きたいですか?


私は思想的に右も左でもありませんが、やはり先人達の切ない時代を忘れてはいけないし、
尊敬も感謝もしています。

そんな思いをして生き抜いて来た祖父母や両親に、もう少し優しくしてあげればよかったと思いますが、
孝行したい時に、親はなし・・・です・・・




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