子供の頃、とても私は恐がりでした。
(怖い話が好きでない方は、きっと色々想像するから、この先は、無理して読まないで下さいね)
何が苦手って、怪談とか、心霊写真とか、お化けにまつわるエトセトラ。
物心つく以前に、何が自分をそうさせたのかは判りませんが、
たぶん大人が思っている以上に、亡くなった人、そして遺体というものが、
私は、怖くて、怖くて、仕方ありませんでした。
幼少の頃、近所のおじさんに、我が家の2階の壁に人が塗り込められ、夜な夜な赤く光ると言われ、
1人で2階に上がれなくなったり、
(今にして思えば、このおじさんには、色んな嫌な事を言われた
)
小学校の遠足で山に行けば、その道の下に、誰か埋められているのではないかと、地面を踏むのが怖く、
(年がバレますが、赤軍派の赤城山でのリンチ事件の頃
)
とある島に行けば、山の中腹に自殺者がぶら下がっていないかと、日々怯え、
(島の駐在所に赴任している親戚の家に遊びに行ったら、叔父は毎日裏山を眺めながら、
小学生の私を相手に、ひと夏、そんな話ばかりしていた
)
身元不明の遺骨から粘土で顔立ちを再現したポスターが張り出された交番の前を、通れなくなったり、
(これは本当に怖くて、自分の部屋で1人で寝られなくなって、親の部屋で暫く寝ていた
)
兄が毎週買ってくる少年マガジンか何かに載っていた、つのだじろうさんの
「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」というオカルト漫画を、ついつい読んでは、
すでに水洗になっているのに、うちのトイレの下から手が出て来たらどうしようかと恐がり、
(読まなきゃいいのに、これが良くできた漫画で、読みたさが勝ってしまった・・・
)
私が10歳の時、祖父が亡くなり、お通夜の晩は、魂が屋根のあたりをさまよっていると思い、
窓の方ばかり気になって眠れず、(明らかに、うしろの百太郎の影響
)
修学旅行で訪れた広島でさえ、自分が寝てるホテルの下で、
原爆で亡くなった人が今でも苦しんでいるような気がして、内心びびりまくり、
(普段は大空襲にあった東京に暮らしている事を、すっかり忘れている
)
母と兄が読み狂っていた横溝正史氏の文庫本が、隣の部屋にあると思うだけで嫌で、
夜、その表紙の絵が脳裏に甦って、1人切なくなり、
(頼むから、そこいらに置かないで欲しいし、犬神家のCMもTVでやらないで欲しかった
)
兄がおもしろがって怖い話をしようものなら、耳を塞いで「あ゛ー!! あ゛ーー!!」と叫んでおりました。
まぁ、その位、小心者で、恐がりだったって事です。
TVの心霊写真特集とか、オカルト映画とか、何を好き好んで見るものですか!

今でもオカルトチックなものは、まっくもって好みませんが、
30歳過ぎた頃、私を可愛がってくれた祖母が亡くなった時から、死んだ人を怖いと思う気持ちは消え、
更に、父が亡くなった後は、言葉は悪いですが、化けて出て来てくれるならば出て来て欲しい、と
心から思うようになり、毎年、お盆にはわくわくするのですが、
残念ながら、気配を感じさせてもくれません。
それから、我が愛すべき村上春樹氏の作品は、
実は、生の世界と死の世界が交錯する内容のものが多く、
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という作品には、
古い頭骨から夢を読むという事を仕事にもった主人公が出てきます。
普通に考えれば、しゃれこうべ が並んでいる様は、ぞっとしそうなものですが、
春樹氏の文才によって、それはとても清潔で綺麗なものとして表現され、
それ以来、骨に対する認識が変わりました。
スリラーとは違う・・・綺麗なもの・・・うん!
その後、大久保にある国立科学博物館の研究室を訪れるチャンスがあったので、
これは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の光景が見られる! と、喜び勇んで出掛けて行きました。
そこでは、ネアンデルタール人とか、北京原人とか、棚に並んだ色んな頭骨(ほとんどはレプリカ)に囲まれながら、
顔は神妙にして人類進化のお話を伺い、内心はうきうきと頭骨の世界に浸ってきたのでした。
残念ながら、頭骨を見つめても、夢は読めませんでしたけど・・・

今回のブログを書きかけて、今の自分にとって「怖いもの」ってなんだろうと、考えました。
ふと、子供の頃、お化けを怖がる私に、母が言った言葉を思い出しました。
死んだ人なんか、何もしないんだから、怖くも何ともないわよ。
生きている人の方が、怖いわよ。
追いはぎの方が、よっぽど怖かったわ。
追いはぎというのは、通行人を襲って、持ち物を奪って行く賊の事です。
第二次世界大戦末期、食糧難で、なんとか手にした食料も、おちおちしていると、
帰路の道すがら、追いはぎに襲われ、奪い取られてしまうという事が、
日常茶飯事に起ったそうです。
やはり、戦争という生き地獄を通った人の体感した恐怖感というのは、
私の小心さなど、吹けば飛ぶようなものなのでしょう、明らかに。
考えてみれば、「怖い事」を引き起こしているのは、人間かも知れませんね。
「怖い事」を無くせるのも人間。
病気や天災も恐ろしいですけれど、今の私には、ある意味、運命として受け入れられるようにも思います。
それよりも一番怖いと思うのは、
友人や仕事仲間、自分を気にかけてくれる人
やさしい心を持った人達が、何かで苦しんだり、いなくなってしまう事・・・
・・・・・この一週間、自問した答えです。
年とともに怖くなくなったもの・年とともに怖くなったもの

お願い・・・コメント欄に、自分が体験したオカルト話は書き込まないでね、怖いから。
マンゴーの成長ぶりも、ちょっと怖い!
(怖い話が好きでない方は、きっと色々想像するから、この先は、無理して読まないで下さいね)
何が苦手って、怪談とか、心霊写真とか、お化けにまつわるエトセトラ。

物心つく以前に、何が自分をそうさせたのかは判りませんが、
たぶん大人が思っている以上に、亡くなった人、そして遺体というものが、
私は、怖くて、怖くて、仕方ありませんでした。
幼少の頃、近所のおじさんに、我が家の2階の壁に人が塗り込められ、夜な夜な赤く光ると言われ、
1人で2階に上がれなくなったり、
(今にして思えば、このおじさんには、色んな嫌な事を言われた

小学校の遠足で山に行けば、その道の下に、誰か埋められているのではないかと、地面を踏むのが怖く、
(年がバレますが、赤軍派の赤城山でのリンチ事件の頃

とある島に行けば、山の中腹に自殺者がぶら下がっていないかと、日々怯え、
(島の駐在所に赴任している親戚の家に遊びに行ったら、叔父は毎日裏山を眺めながら、
小学生の私を相手に、ひと夏、そんな話ばかりしていた

身元不明の遺骨から粘土で顔立ちを再現したポスターが張り出された交番の前を、通れなくなったり、
(これは本当に怖くて、自分の部屋で1人で寝られなくなって、親の部屋で暫く寝ていた

兄が毎週買ってくる少年マガジンか何かに載っていた、つのだじろうさんの
「うしろの百太郎」や「恐怖新聞」というオカルト漫画を、ついつい読んでは、
すでに水洗になっているのに、うちのトイレの下から手が出て来たらどうしようかと恐がり、
(読まなきゃいいのに、これが良くできた漫画で、読みたさが勝ってしまった・・・

私が10歳の時、祖父が亡くなり、お通夜の晩は、魂が屋根のあたりをさまよっていると思い、
窓の方ばかり気になって眠れず、(明らかに、うしろの百太郎の影響

修学旅行で訪れた広島でさえ、自分が寝てるホテルの下で、
原爆で亡くなった人が今でも苦しんでいるような気がして、内心びびりまくり、
(普段は大空襲にあった東京に暮らしている事を、すっかり忘れている

母と兄が読み狂っていた横溝正史氏の文庫本が、隣の部屋にあると思うだけで嫌で、
夜、その表紙の絵が脳裏に甦って、1人切なくなり、
(頼むから、そこいらに置かないで欲しいし、犬神家のCMもTVでやらないで欲しかった

兄がおもしろがって怖い話をしようものなら、耳を塞いで「あ゛ー!! あ゛ーー!!」と叫んでおりました。

まぁ、その位、小心者で、恐がりだったって事です。
TVの心霊写真特集とか、オカルト映画とか、何を好き好んで見るものですか!


今でもオカルトチックなものは、まっくもって好みませんが、
30歳過ぎた頃、私を可愛がってくれた祖母が亡くなった時から、死んだ人を怖いと思う気持ちは消え、
更に、父が亡くなった後は、言葉は悪いですが、化けて出て来てくれるならば出て来て欲しい、と
心から思うようになり、毎年、お盆にはわくわくするのですが、
残念ながら、気配を感じさせてもくれません。

それから、我が愛すべき村上春樹氏の作品は、
実は、生の世界と死の世界が交錯する内容のものが多く、
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」という作品には、
古い頭骨から夢を読むという事を仕事にもった主人公が出てきます。
普通に考えれば、しゃれこうべ が並んでいる様は、ぞっとしそうなものですが、
春樹氏の文才によって、それはとても清潔で綺麗なものとして表現され、
それ以来、骨に対する認識が変わりました。
スリラーとは違う・・・綺麗なもの・・・うん!

その後、大久保にある国立科学博物館の研究室を訪れるチャンスがあったので、
これは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の光景が見られる! と、喜び勇んで出掛けて行きました。
そこでは、ネアンデルタール人とか、北京原人とか、棚に並んだ色んな頭骨(ほとんどはレプリカ)に囲まれながら、
顔は神妙にして人類進化のお話を伺い、内心はうきうきと頭骨の世界に浸ってきたのでした。
残念ながら、頭骨を見つめても、夢は読めませんでしたけど・・・


今回のブログを書きかけて、今の自分にとって「怖いもの」ってなんだろうと、考えました。
ふと、子供の頃、お化けを怖がる私に、母が言った言葉を思い出しました。
死んだ人なんか、何もしないんだから、怖くも何ともないわよ。

生きている人の方が、怖いわよ。
追いはぎの方が、よっぽど怖かったわ。
追いはぎというのは、通行人を襲って、持ち物を奪って行く賊の事です。
第二次世界大戦末期、食糧難で、なんとか手にした食料も、おちおちしていると、
帰路の道すがら、追いはぎに襲われ、奪い取られてしまうという事が、
日常茶飯事に起ったそうです。
やはり、戦争という生き地獄を通った人の体感した恐怖感というのは、
私の小心さなど、吹けば飛ぶようなものなのでしょう、明らかに。
考えてみれば、「怖い事」を引き起こしているのは、人間かも知れませんね。
「怖い事」を無くせるのも人間。
病気や天災も恐ろしいですけれど、今の私には、ある意味、運命として受け入れられるようにも思います。
それよりも一番怖いと思うのは、
友人や仕事仲間、自分を気にかけてくれる人
やさしい心を持った人達が、何かで苦しんだり、いなくなってしまう事・・・
・・・・・この一週間、自問した答えです。





