カシオペアの丘で 上・下
重松 清 著 講談社 / 2007.5
かつて炭鉱で栄えた北海道の北都市は、倉田鉱業の撤退により衰退の一途をたどっていた。
倉田鉱業の創始者・倉田千太郎の孫・俊介は、小学5年生の秋に起きたある出来事をきっかけに、
故郷に背を向けて以来、一度も北都へ帰ることはなかった。
東京でサラリーマンとなり、妻の実家の婿養子となって「倉田」姓まで捨てた俊介だが、
40歳を目前にして末期ガンの宣告を受ける。
愛する妻と息子を残して逝くことに苦悩する俊介。
しかし彼にはもうひとつ、どうしても北都へ行き、やっておかねばならない「宿題」があった。
毎度のことですが、泣かされましたぁ~~~。
この2日間、ずっと泣いていたように思います。
ほぼ各章ごとに泣かされます。
北海道の星空や雪景色の描写が、日頃、私が想うものと違わなかったこともあり、余計、感動したように思います。
夜、ハナの散歩に外に出た瞬間、まず夜空を見上げます。
星が輝いていれば、明日は晴れかな~と不思議とおおらかな気持ちにさせてくれます。
根雪が降れば、今年1年の自分の失敗やら嫌なことを、真っ白にして優しく包んでくれるような気持ちになります。
特に雪については、車の運転は嫌だけど、季節の有り難さを感じるきっかけになるので、無くてはならないものでもあります。
冬の厳しさを知るものは、春の訪れの有り難さに必ず感謝することでしょう。
季節の移り変わりへの感謝を毎年感じられることに生きているという実感があるのかもしれません(なんちって)。
さて、シュンのように39歳で余命を宣告されたとしたら・・・と、やはり、考えてしまいました。
その時にならないと考えられないことだと思うし、私はシュンとは全く別の人間だし・・、と、考えても詮ないのは承知で、でも、恵理さんの「自分と会えたのを幸せだと思ってくれるひとがたくさんいたら、やっぱりそれはいい人生でしょ?」という言葉が重く感じられました。
ゆるしてもらわなければならないひとがいたり、ゆるさなければならないひとがいたり、傷つけたり、傷つけられたり、人生を振り返るその時は、誰にでも訪れるものなのかな~と思いました。
その振り返る勇気は、果たして誰にでもあるものかな~とも・・・。
私は誰かに恨まれているだろうか?と、こんなことを思う時点で私はダメなんだろうな。
でも、いたとしたら、謝りたいって思うかな~、やっぱり。
未だゆるせていないひとはいるし、振り返れば、傷つけられたひともいるし、改めて考えると、自分の痛みや悲しみしか覚えていないんだな~~~。
でも、トシのように、ずっと誰かをゆるせずに憎んでいる自分っていうのも辛いんだよね。それは、解る。
シュンの気持ちも、トシの気持ちも、ユウちゃんの気持ちも、とてもよく伝わってきました(ミッチョにはちょっと・・)。
彼らの友情に、私自身の宝物である親友との友情を重ね、彼ら同様、私は幸せなんだな~と思いました。
夫婦の絆についても、恵理さんが自分が夫をガンにさせてしまったと自分を責めるところは他人事ではなく思え、その後、覚悟を決めた恵理さんが、「それくらいは奥さんの特権ってことにしておいてよ」とミッチョに言えた時には、言葉にできない重圧と、目に見えない何かを感じました。
そして、私は倉田千太郎に心を打たれました。
辛かっただろうな~と・・・。
自分が悪者になることで自分を支えてきたんだろうと思うと、やはり、ゆるされてもいいのかな~と思いました。
北都観音の建立に込められたクラセンの気持ちを思うと、ちょっとやりきれなかったです。
私がもし余命を宣告され、自分を見失いそうになる時があれば、この本を読むと思います。
そして、そんな時に読もうと思える本があるってことを今は有り難く思いたいです。
全く余談といいますか、これ、下巻に帯ついてますか??
私、ネットで購入したのですが、下巻には帯がありませんでした!!!!!!
むむむ~~~~、私としては帯無しは許せん!!
ありゃ、言ってるそばからこれじゃ~ね~、、、やっぱり、許そう・・・(笑)。