ただの映画好き日記

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死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実

2010-10-14 | 映画 サ行


医師ジャック・ケヴォーキアンは1980年代、病状が末期を迎えた患者たちを苦痛から救うべく、彼らの自殺幇助に関わり始める。その数、130人以上。そのせいで“死の医師(ドクター・デス)”なる異名で呼ばれ、全米のマスコミからも注目を集めたケヴォーキアンだが、ついに逮捕されてしまう。全米が安楽死の賛成派と反対派で二分され、両者が激しく議論を戦わせる中、彼に下った審判とは……。

死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実 2010年/米/バリー・レヴィンソン





もう治る見込みがないと宣告され、ひたすら痛み、苦しみ、その辛さに耐えながら死を待つしかない人に、そして、本人が苦しみから解放されるべく自ら死を望んでいたとしたら、私はその人に頑張って生きてとは言えないと思いました。

自分以外の人に対しての安楽死は、どう考えたらいいのか解らないけれど、私自身がそういう病を患ったとしたならば、安楽死を望みます。
自分が楽になりたいと思う以上に、家族や他の人に迷惑をかけたくないし、貴重な医療費を使わせてもらうことに罪悪感を感じるからです

ジャックがどうして有罪になったのか、確かに、殺人罪のみの審議なら有罪になるのかなぁ?と思える部分もあります。
でも、じゃ~、動機は?
しかも、現場にいた人(家族)を証人として証言させず、ただ有罪?
最後の判事の言葉だと、この裁判は安楽死の問題を審議したのではなく(確かに、殺人罪の裁判だから)、被告人そのものが審議されたと言っていたけど、っていうことは、この裁判に“実行された罪”はなかったってことですか?

そして、何より許されないのは、検察の論告、ナチの大量虐殺と安楽死を一緒と考えるという非人道的発想。
恐ろしいなと思いました。
自分が患者の立場になった時に、この言葉を言った検事はどう思うんだろう。
大切な人が苦しんでいたらどう思うんだろう。

安楽死を認めることは、ナチスの大量虐殺を認めることになるんだろうか。
やれることは全てやり、どうしても治る見込みがなくて、ただひたすら苦しみもがきながら死を待つしかなくて、本人が安楽死を望んでいるのに、それでも生きろって言えるだろうか。。

一つ、安楽死と自殺は違うと思うので、あくまで、病気に侵され、全ての手を尽くし、助かる見込みがなく、機械等で生命を維持しているという状態の場合、の話だと思います。
ただ生きているのが辛いからとか、全てがイヤになったとか、そういう理由の人への手助けではないはずです。
それから、安楽死後の臓器提供の話がありましたが、臓器が提供される(次の命へ繋がる)ことがメインだとは感じませんでした。

ジャック役のアル・パチーノはやっぱち(!!)素晴らしいです。

※2010年4月24日、全米HBOで放送されたテレビ映画だそうです。日本未公開。

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