マックの”なんでもあり”

山歩きます。旅します。花育てます。うどん打ちます。

【食欲の秋】今年の松茸はどうかな?

2023-10-27 12:09:14 | 日記

2023年10月27日(金) 晴れ

季節はもう秋ですねぇ 【食欲の秋】といきましょう

丹波の枝豆や栗などが店頭に並び始めたのですが

さぁ~、松茸はまだ並びませんねぇ

隅っこの方に、やや小さく「中国産」と書いてあるのが、遠慮気味に出ていました

毎年なら、長野県産が出て兵庫県産が追いかけて出てくるのですが

今年はまだお出ましになりません 

大阪の阪急百貨店地下売り場辺りに行かないと見られなくなったのでしょうか?

ところで~

前回に投稿したのが9月13日でしたか?

もうあれから・・・1ケ月と14日が経ってしまいました

ここにお出でくださるみなさんには、毎度のご無沙汰で申し訳ありません

いつも心配してくださる鹿児島県在住のМさん

気遣っていただきありがとうございます

このブログにてお礼を申します  ありがとうございます

体調の方は徐々に良くなり、今では1kmはさっさと歩いています

内緒のキャンプも11月2~3日ですが、すでに申し込み

晴れてくれないかな? と、贅沢に悩んでいますので

ご安心ください 私は元気で、キャンプを楽しみにしています

だって・・・このキャンプが私の生涯にとっては最後のキャンプになるかも

わからないのですから・・・

もう、85を超えると何もかもが最後かもと覚悟を決めて参加しないといけない

状態になるでしょう?  存分に楽しんできます

私が77になったときに富士登山に参加したのですが、この時も富士山はこれが最後かな?

と、思いながら登りました 今から思うと、やっぱり最後だったかも・・・です

また、北アルプスの唐松岳にも同年にこれを最後にしようと思って登りましたが

やっぱり最後だったかもしれません

もう身体が動いてくれません・・・と書けば、そんなネガティブなことでは

と、叱られるでしょうが、いやホント、身体が動かないと言うのも実に辛いことです

気分はポジティブに生活しているのですが、どうもネガティブなことに判断することが

多くなりました

これ以上続けると、またネガティブ発言が出てくるかもですので

きょうはこの辺で終りにしたいと思います

みさなん・・・私は元気ですからどうぞ安心してください

次回は11月初旬のキャンプ情報を書きますねぇ

それまで待っていてください。 バイ~バイ~。

 

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「9月はまた新型コロナワクチンの予防接種が・・・」

2023-09-13 14:18:15 | 日記

2023年9月13日(水) 晴れ

みなさん こんにちは~

月日の経つのは、早いですねぇ

先月、投稿したばかりと思っていたのですが

あれから、もうひと月が過ぎていきました

アレで思い出したのですが、AREが近づいてきましたねぇ

M3 が点灯すると、今度こそは間違いないでしょう

もう何度も、楽しんでは最後にがっかり・・・のパターンでした

今度こそは腹から楽しめる最後にしてください

久しぶりの関西ダービーをこっそりと楽しみたいものです

伊丹に代わってから、近くのバス停から甲子園行のバスがあるのを発見

料金も乗り換えなしの¥220円です

歩く距離も100mも歩けば甲子園球場に入っているでしょう

好位置の所に来たのに、球場へは高校野球の準々決勝戦のみと

お恥ずかしい次第です

但し、入場料も値上がりして確か内野特別指定席では¥5000円を

超えていた気がします

無料だった外野席も、今では¥1700円です

それでも、優勝を決めた暁には1度くらい甲子園に行って

喜びを分かち合いものですねぇ

 

畑では~

これからが大根の種まき準備をしなくては、と思いながら

まだ準備が出来ていません

耕して土を柔らかくしてから、苦土石灰を入れて化成肥料も少々

書けば簡単なのですが、まだまだ暑さが残るこの時期に

2時間も畑で汗を流すのも・・・熱中症になって命を落とすのと

比較するのは勿体ないですからねぇ

朝晩の涼しい時を狙って準備をするつもりです

この辺では9月中旬から下旬にかけて種まきをするのが標準ですから

慌てることはないのですが、隣の畑で大根の芽が出ていると

ちょっと、こちらも慌ててしまいます

大根が収穫出来るのは種をまいてから60日ですから

正月に間に合えば満点なので、慌てずにやるつもりです

 

山歩きの方は~

11月に再出発の予定で準備を進めています

山友さんに頼んで、あまり歩かないところにテントを張って

朝まで、ワイワイ・ガヤガヤで楽しもうと目論んでいます

うまいビールが飲めるのも何か月ぶりでしょう

11月なら、暑くもなく寒くもなく・・と好条件です

あとは、台風が来ないでほしいと祈るだけです

 

身体の方は~

内科クリニック、整形外科、などを渡り歩いて検査

思わしい結果が出ず、大学病院の人間ドックも受診しましたが

結果は高齢によるものと判断されて

仕方なくこれが現実と諦めているのが現状です

それでも一時よりは随分回復して、最近は1kmくらいなら

ノンストップで歩いています

 

これからは、おまけ人生~

山仲間には、85歳までは山を歩きたい

もし、85歳になってまだ生きていたら・・・それは

神様が私に与えてくれた「おまけ」の人生だと思って

命のある限り、楽しみたいと思っています・・・と伝えています

昨年12月25日で85歳になり

今年の12月でそれが満了するので、それからが

「おまけの人生」を過ごして行けます

ですから、このおまけの人生が1年で終わるのか

もっと長く続くのかは、贅沢を言わず、無理もせず

ゆっくり、のんびりと楽しい人生にしたいと願っています

86歳になってからは、いつ、お迎えが来ても悔いはなし

と割り切りたいと思っています

86歳になるまではあと103日です

あと、103日は頑張るぞ~~~

 

写真がないので1枚貼っておきますねぇ

最近は朝5時に起きます

日の出は午前4時30分ごろですから、日の出の明かりはまず雲から

山に行くと、日の出の光はまず頂上から明るくなっていくのですが

わが家からではまず雲に当たる光で日の出を感じます

                    

             ~~~ごきげんよう~~~

 

 

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「8月11日は【山の日】です」

2023-08-11 11:59:15 | 日記

2023年8月11日(金) 曇り

きょうは台風6号、7号の影響で兵庫県伊丹市は曇っています

きょうは【山の日】です

山歩きの好きな私にとっては山でも行きたいところですが

熱中症の心配もあるので家でパソコンに遊んでもらっています

きょうは、私の山歩きの歴史を書きますねぇ

産まれわが家は神戸市須磨区というところで、南へ1km歩くと海があり

北へは50mで山への登山口があります

ですから、小さい時から山へは登ることには恵まれていたと思います

まぁ、海には小学校の臨海学校への講習が盛んに行われていたので

山にも海にも身近に感じていたのは間違いのないところです

海では小学校から真っ直ぐ海に行き、準備体操をしてからは

須磨浦公園まで泳ぐ遠泳に参加して、合格すれば赤い運動帽に白い帯線が

1本増えるのを楽しみにしていたことはよく覚えています

山への入門は小学2年生の8歳から始めました

神戸市内への空襲が頻繁になり市内にいるのは危ないからと、近くの

おじさん4,5人が小学生を集めて須磨から山越しで西にある明石市まで

よく連れて行ってくれたのが始まりでした

これには喜んで参加した私でしたが、5月に学童集団疎開が始まってからは

参加できなくなり、山歩きも一時中断していたと思います

明石までのコースは小学校から北へ進み、今はポートアイランドの埋め立て

事業で山がなくなってしまった高倉山(200m)の登山口から山に入り

鉄拐山(テッカイサン・234m)旗振山(253m)を通る六甲全山縦走路を歩

きジェームス山から下山、下畑村、奥畑村から垂水区の田畑地区を通り明石

市の里山にある古い寺・大山寺(タイサンジ)までの約8kmを歩きます

大山寺はホントに古い寺で、到着と同時には飯盒炊爨用に落ちている材木を

集めました

米を炊くのは各自が家を出るときに親からもらった飯盒を集めて、それぞれ

に米が半分になるくらいに移してその飯盒を5つ並べて火をつけるのが私に

任された仕事でした

昼食はいつもカレーで、これが好きで参加する学童も多かったと思います

この遠征はいつも年1回で、今から思えばこの飯盒炊爨が楽しくて参加を楽

みにしていたものです

ここに参加していた者の中からでも後に一緒に六甲山などに登った経験があ

ります

当時はカレーと言えばご馳走な方で、家庭でもなかなか食べる機会なかった

ので人気があったようです

この山歩きの行事は私が疎開に行った時点から不参加になったので終りまし

たが、戦火もたぶん酷くなり中止になったのではと思っています

やがて終戦になり、私もそんなことは忘れて神戸に戻ってきましたが

山歩きについては何故か興味が残っており、後の昭和39年11月に行われ

た第2回六甲全山縦走大会に初参加することに繋がりました

午前5時に塩屋をスタート、56km先のゴールの宝塚には20時30分に     

ゴール、歩行時間は15時間30分で、当時のコースタイム14時間30分

に対して+1時間とまぁ~そこそこの成績でした

この年の夏には一家全員で富士山に登った経験があります

今現在、伊丹市に住んでいる末っ子の長女が僅か2歳の時でした

当然、頂上までは歩けませんので、背負子で背負って頂上まで登りました

まぁ、疲れてグッタリでしたねぇ 2歳と言えども10キロはあったでしょ

う 昭和39年と言えば私が27歳の時でしたから若い元気な時でしたねぇ

富士山と言えば、平成26年にも登りましたから、当時は77歳

この年での富士登山は登山ツアーでも75歳以上の方は「参加ご遠慮くださ

い」でしたから、高齢の限界だったのでしょう

頂上、お鉢めぐりは視界不良で入山禁止で断念しましたが

剣が峰の3776mまでは登りたかったです

この年、北アルプス・唐松岳(2696m)にも登山しこの年の登り納めもしま

した

昨年11月、この年の登り納めに山友さんと上高地・大正池~明神池を往復

(約15km)したのですが、85歳にもなればさすがに疲労を感じて前回

の倍の時間がかかり、高齢になったものだと痛感した次第でした。

山歩きもボチボチ引退の時期でしょうねぇ。

と、言いながらこの11月にはテント泊登山を山友さんと計画中です

                      ~~終り~~   

 

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「学童集団疎開の思い出 Ⅱ」

2023-08-10 11:43:56 | 日記

2023年8月10日 (木)  晴れ

毎日々々が暑いですねぇ

いやホント、このままの気温が続くと、この世から後期高齢者が居なくなってしまいそうです

この前、テレビを見ていると、今後この状態が1億年続くと、地球上の海水が全てなくなって

しまう計算が成り立つそうです

海水が全部なくなってしまうと、地球上に生息する生物の全ての命がが失われる

と、どこかの学者が発表したとか、伝えられていました

まぁ、心配する必要はない またいつかは元に戻る事態が起こるかもしれない とのことでした

1億年先と言えば、我々人類にとっては想像もできないほど将来だそうです

今、人類の平均年齢が女性で86歳、男性で81歳としましょう

100000000÷81=12345679 と数字のマジックみたいな答えが出てきました

つまり、1億年先を生きていくには81歳を124回生まれ変わって生きている勘定になります

つまり、私が124回生まれ変わって生きるってことは考えられないことですもんねぇ

正に天文学的な話で・・・この話は終わります。

ところで~

きょうの話は「学童集団疎開の思い出」パートⅡを書きますねぇ

親も同行しての疎開だと思っていたみなさんは、これはちょっと話が違うのでは???

と、話が大きくなり、それでは小学校に行って講義をしようということでまとまり

ある日、突然に小学校に行こうと乗ってきたJR瀬戸駅まで歩いていき、やってきた列車に乗って

神戸まで帰るつもりでした

そこまでは小学2年生が考えること、大人の考えは1枚上でした

約1時間かけて瀬戸駅まで到着した脱走隊はいとも簡単におまわりさんに逮捕され

警察の車で簡単に宿舎まで送り返されてしまいました

それでも・・・宿舎に戻った脱走隊には質問の嵐が飛び

誰が脱走を考えたのか・・・には、みんなは「黙りん子」

脱走者全員の首には、【私はきょう、脱走しました】の前掛けがかけられて夕食はなし

それから一週間ほどしたころ、今度は小学校から校長先生が宿舎に来られました

また、脱走隊全員が集められて、校長先生と1人づつ面談しました

そこには1人ずつの親からの手紙と饅頭が1箱添えられていました

私の手紙には確か「2度と同じことをするな」と書かれていました

この脱走事件は校長先生がかえられたことで終りました

私はその時、何となく帰りたいと思って行動したのだと思いましたが

未だにこの脱走隊の発起人が誰であったのかはわからずじまいで現在に至るなんですよ

まぁ、5~6人で駅まで行ったことは覚えているのですが、その後、この件は消滅したと思います

小学2年生も勇気があったんですねぇ 「大和魂」だったのでしょうか。

 

 

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「学童集団疎開の思い出」

2023-08-05 10:57:54 | 日記

2023年8月5日(土) 晴れ

 

きょうも良い天気です

外出される方は熱中症対策をして、お出かけください

冷たい水1 Lと、塩分の入った飴があれば十分でしょう

但し、日向を歩くのは避けて、出来るだけ日陰を歩いてください

私はその上に帽子、長袖は軽いポリエステル系の上着を着ていれば

安全かと思います

疲労を感じたら、身体に熱がこもって体温が上がる前に日陰に入って

休みましょう 腰を下ろして休むのが回復には良いと思います

1つしかない命は大事にしたいものです

テレビにはきょうも【熱中症警戒アラート】が出ています

気をつけましょう

ところで~

あす6日は広島に原子爆弾が投下されて、14万人もの命が奪われました

続いて9日には長崎にも投下され、ここでは7万人もの命が奪われました

その時、私は小学校からの集団疎開で岡山県赤磐郡というところに

いました。 まだ小学校2年生でしたから、原爆のすさまじい破壊力などは

知る由もなかったのですが、こんな平和な時期にそれを知ったのも

悲しいことでした

当時、住んでいた神戸市では小学5年生になったら、集団疎開を推奨して

いたのですが、戦火が酷くなる度に4年生も、3年生も、と低学年まで

疎開する学年が低くなり、3月17日の夜にB29という爆撃機が神戸市内を

大空襲し、神戸市内の西半分が焦土と化しました

その後に神戸市では小学2年生までを集団疎開の対象にしたため

私ら2年生約30名が岡山県の農村部へ低学年では初めて疎開をしたの

でした

小学2年生と言えば、まだ親の傍に居たいときでしたから、親から離れて

遠い地で生活するのは慣れていなくて、夜になると布団の中で女の子が泣い

ている声を良く聞きました

そんな生活をしているとき、小学校から来た校長先生がきょうは大事な話

があるから、みなさん静かに聞いてください とのこと

ここで初めて、「戦争が終わったので、いつになるかまだわからないが

みなさんを家族のいる神戸に返します」の話で戦争が終わったことをしりま

した

みんなはすぐにでも親と一緒に暮らせると思い、大いに喜んだのですが

実際に親もとに帰れたのは、焼け野原になった神戸の街が整備されきれいに

なりかけた11月の初めでした

校長先生から帰れると聞いてから長い長い3ヶ月後でした

集団疎開の話を聞いたのは神戸大空襲からそう時間が経ってなかったと思う

のですが、みんなは親と一緒に行くと思っていたらしく

出発当日は小学校に集合して、最寄りの国鉄須磨駅までは住民のみなさんに

拍手で見送りをしてもらって、親と手を繋いで行進をしました

駅ではピカピカの蒸気機関車が停まっていて、我先に乗り込んだものでした

一緒に行く先生が汽車の中で食べて・・・と紙袋に入ったお菓子が配られて

喜び勇んだものでしたが

後になって親が一緒に乗っていないことに気づき、みんなが親は何で居ない

のかと問い詰めたが、先生はまだ姫路駅でもたくさんの人が乗って来るので

いっぱいになるから親たちはたぶん、後からの汽車で来ると思う

という話で一軒は落着したが、親たちは最後まで来なかった

親のいない辛い生活は5月に行って11月に帰るまでの半年間続きましたが

待望の帰る日がきました

国鉄須磨駅に着くと、親が迎えにが来ているだろうと~やっぱりうれしくて

車窓から探したものですが、大勢の人で見つけることはできなかった

列車から降りて、改札口を出たところで親に会えてうれしく涙がこぼれたこ

とは覚えています

それから、また列を作って小学校まで行進、みんな「がんばったねぇ」と

拍手で迎えてくれました

疎開で寝起きを共にしたものは今でもよく覚えていて、会ったらその時の話

に花が咲きます。

 

小学2年生で行った集団疎開の思い出は、辛かった戦争の思い出と共に

今も私の心のどこかに、大事にしまってあります。

 

 

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