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我が心の俳句とか徒然 〜祖谷馬関〜

⛩ 松尾大社の船渡御 ⛵️

京都の西方に鎮座する古社、「松尾大社」(まつのおたいしゃ)は、大山咋神・市杵島姫命を祭り、渡来人秦氏が一族の氏神として信仰した古い社が起源とされ、文武天皇の大宝元年(701年)に現在の地に「秦忌寸都理」が社殿を造営した、とのこと。(^。^)

境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があり、醸造の祖神として、全国の酒造家、味噌、醤油、酢の製造及び販売業者の信仰が厚い。(^_^)

室町初期の作で「松尾造」(両流造)といわれる本殿(重文)ほか拝殿、釣殿、楼門など社殿が多く、平安初期の作とされる等身大の神像は重要文化財に指定されています。(^-^)

この松尾大社では、四月の「松尾祭」、九月の「八朔祭」とも、桂川を神輿が渡る、いわゆる「船渡御」が執り行われます。(^。^)

4月下旬、松尾祭では、本殿のご分霊を受けた神輿と唐櫃が松尾大社から三か所の御旅所に入る神幸祭、通称「おいで」が挙行、また、神幸祭の3週間後、「おかえり」と称される還幸祭で、神輿や唐櫃が神社に戻る。神輿を船に乗せて桂川を渡る船渡御が行われます。(^-^)

神幸祭(おいで)は、前日の御船社(月讀神社境内)での船渡御の安全を祈る祭典「渡御安全祈願祭」から始まります。また、当日は、「面合わせの儀」が行われ、「榊御面」は神輿の先導役になります。

松尾七社のうち、四之社、衣手社、三宮社、宗像社、櫟谷社、大宮社の六社の神輿と月読社の唐櫃は、本殿から分霊を受ける御霊遷し、拝殿廻しを行い、榊御面を先頭に月読社(唐櫃)から本社を出発、桂離宮東北の桂右岸へ移動。
桂川に到着後、神輿と唐櫃は、桂川を桂大橋で渡らず、古来より続いている船で渡る「船渡御」にて、対岸へと渡ります。

還幸祭(おかえり)は、各御旅所(郡衣手神社・川勝寺三宮神社・西七条御旅所)にとどまっていた神輿が松尾大社に戻っていくお祭で、当日、それぞれの御旅所から神輿と唐櫃が「旭日の杜」(西寺跡・唐橋西寺公園)に集合します。
ここでは古例により、唐橋地区からの「赤飯座(あかいざ)」と西ノ庄地区からの特殊神饌のお供えをして祭典を行います。
なお、還幸祭では、松尾大社の本殿、楼門、各御旅所の本殿をはじめ、神輿や神職の冠・烏帽子にいたるまで「葵」と「桂」で飾り付けするので、古くから「松尾の葵祭」と呼ばれています。( ; _ ; )/~~~

旭日の杜(西寺跡・唐橋西寺公園)での祭典を終えると、神輿と唐櫃が出発し、朱雀御旅所(朱雀松尾總神社)に立ち寄り、ここでも祭典を行います。(^-^)

九月の八朔祭は、京都で最後の夏祭りと言われ、このころ農作物が台風や病害虫の被害を被ることが多いため、風雨安穏、五穀豊穣、家内安全の祈願が行われます。(^。^)

奉納相撲や赤ちゃん土俵入り、嵯峨野六斎念仏の奉納と続きますが、特徴的なのは「女神輿」の巡行で、渡月橋上流で船渡御を行う場面が見どころです。(^_^)

松尾大社は、酒造りの神様、、、神輿が渡る桂川の清水にも酒の精が棲んでいるやもしれません。( ^_^)/~~~

    「松尾の船渡御見遣る桂川
               潔き流れも酒と思しき」

by 祖谷馬関

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