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床材の歴史あれこれ・・・

2016-01-20 01:31:15 | 副収入で稼ぐ

2016・01・20

 

畳の歴史・・・

奈良時代(710~794)、

現存する畳の古いものは、奈良東大寺の、

北西にある正倉院に、

聖武天皇が、

使用された「御床畳」(ごしょうのたたみ)、

と言うのがあり、

木製の台の上に置かれ、

寝台として使われたものである。

 

 

これは現在の畳と同じように、

真薦(マコモ)を編んだ筵のようなものを、

5~6枚重ねて床として、

表にイ草のコモをかぶせて、

錦の縁をつけたものである。

 

 

この台を二つ並べて、

ベッドとしていた。

 

 

平安時代(794~1192)、

この時代に入って、

貴族の邸宅が寝殿造の、

建築様式・・(寝殿造(しんでんづくり)は、

平安時代の都の、

高位貴族住宅の様式。

 

 

寝殿(正殿)と呼ばれる中心的な、

建物が南の庭に面して建てられ、

庭には、

太鼓橋のかかった池(遣り水)があり、

東西に対屋(たいのや)と呼ばれる、

付属的な建物を配し、

それらを渡殿(わたどの)でつなぎ、

更に東西の対屋から渡殿を南に出して、

その先に釣殿(つりどの)を設けた)・・。

 

 

 

となると、板敷の間に、

座具や寝具などとして、

畳が所々に置かれるようになった。

 

 

この置き畳として使われている様子は、

絵巻物等に描かれている。

 

 

そして使う人の位によって畳の、

厚さや縁についての規定があり、

 

その種類によって、

使う人も、

決まっていたのである。

 

 

京都御所の、

清涼殿は寝殿造を、

今に伝える建物として、

知られているが、

ここに使われている畳は、

平安時代の古い制度を、

残している。

 

 

「夜御殿」(よんのおとど)は、

天皇の寝室で、

部屋の中央に繧繝縁(うんげんべり)の、

厚畳二枚を敷き、

その上にさらに一枚置いて、

 そのまわり、

を大宋屏風(たいそうびようぶ)で、

囲ってある。

 

 

「昼御座」(ひのござ)は繧繝縁の厚畳二枚を並べて敷き、

上に御茵(おしとね・・しきもの)が置かれ、

儀式のときだけ、

御座されたと言われています。

 

鎌倉時代(1192)~室町時代(1338)~江戸時代(1603)、やがて鎌倉時代から、

 

 

室町時代にかけて、

書院造(日本の室町時代から、

近世初頭にかけて成立した、

住宅の様式である)が、

完成される。

 

 

この頃になると、

部屋の周囲に畳を敷き、

真ん中を残す使い方から、

部屋全体に畳を敷きつめる、

使い方になった。

 

 

それまでの客を、

もてなす座具であった畳が、

建物の床材に、

なり始めてゆきます。

 

 

こうした贅沢な使い方が出来るのは、

貴族でも一部で、

富の象徴であったようです。

 

 

畳が貴族階級に普及し始めると、

今度は畳縁の文様によって座る人の、

階級を規定したのである。

 

 

それは「海人藻芥」(あまのもくず)、

であります。

 

 

天皇は当時でも貴重な最高の織物である、

繧繝錦の繧繝縁が用いられ、

又神仏の前に座る半畳にも、

繧繝縁が使われた。

 

 

ついで親王や大臣は大紋の高麗縁。

 

 

公卿には小紋の高麗縁で、

僧正や僧侶や四位、五位の人は紫縁。

 

 

六位の侍、

 

 

寺社を統領する三種の役僧は、

黄縁を使うように、

定められていた。

 

 

この頃になると布団と、

畳の役割が分かれ、

小さな部屋割りに

畳を敷きつめるようになる。

 

 

桃山時代(1573~1603)から、

江戸時代へと移るにしたがい、

書院造は茶道の発達によって、

軽快な書院造、

それは本格的な格式ばったものではなく、

茶室の工夫や手法を取り入れた、

数寄屋風の書院造に、

なっていきました。

 

 

茶室建築から畳はやがて、

町人の家に引き継がれてゆき、

 

 

畳が一般庶民のものとなったのは、

江戸中期以降のことであり、

農村においてはさらに遅く、

明治時代になってからである。

 

 

「起きて半畳、寝て一畳」

「千畳敷に寝ても一畳」

「畳の上の水練」(理論や方法を

 知っているだけで、

 実際の役には、

立たないことのたとえ。

 

 

「新しい畳でも叩けば埃がでる」

「女房と畳は新しい方がよい」

このような故事が生まれるほど、

一般に普及したのである。

 

 

この頃長屋では、

畳は長屋を借りる店子が運び込んで、

使ったと言われており、

 

 

大家が用意して、

おくものではなかった。

 

 

それだけに畳の手入れをして、

長持ちさせる知恵を、

身につけていた。

 

 

畳み干しをこまめにして、

傷むのを防ぎ、

表がやけたら裏返しをして、

使っていた。

 

 

こうした習慣は戦後まで続いたが、

過密化した最近の都市では、

干す場所もなく、

家具も多くなって畳を、

上げるのが面倒になり、

姿を消しつつあるのである。

 

 

其れでは亦・・・

 

 

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■愛・・称 【青年の乃呟(つぶや)き】
■発行者 御料地(ごりょうち)の僕
■解・・除 sumai@chive.ocn.ne.jp

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