石原信市郎です。

頑張ろう福島!!力を併せてこの国難を乗り切ろう!!

恋は五七五

2009年03月30日 08時49分18秒 | 日記
昨日の夜は「恋は五七五」という青春俳句映画を見ていました。先日大人の国語力という本を読み、自分の国語力の無さを実感したので俳句に親しもうと思い、借りてきたのですが、それにしても、DVDで御茶を濁すところが減点です。この映画を見て改めて俳句って小宇宙(小宇宙と言う表現が妥当かどうかは追及しないように)の中に情景や心の深さ、躍動感や自然の泰然自若とした姿を表現する素晴らしい文学なんだと改めて実感いたしました。

俳句は中学、高校の授業で触れた程度で特に興味も無く過ごしてきましたが、祖母は角川源義さんの直弟子であり、叔母達もかなり詠むらしいのですが、そんな恵まれた環境に居ながらいったい今まで何をしてきたんだろうと、六日のあやめ、十日の菊の思いです。俳句をひねる事はなかなか出来ませんが、俳句を読むだけでも心が広がる気がするので本屋で立ち読みしたり、積極的に親しんでいこうと思います。

南風わたしはわたしらしく跳ぶ

劇中の最大イベント俳句甲子園の最後に出てきた句ですが、画像のおかげもあり、本当に無限の広がりを感じました。

先日地区の青少年健全育成推進会の総会の御話を書きましたが、まだ祖母が存命のころ読んだ句集にあった「端居してただ居る父の恐ろしき」 by高野素十という句をふと思い出しました。

青少年健全育成推進会の標語は先日も書いたとおり「大人が変われば子供も変わる」ですが、両親や祖父母は本当に怖かった事をつくづくと思い出しました。学校の先生も怖かった。小学校では3人の先生が担任でした。当時多分中年の女性の先生、30代くらいの女性の先生、新進気鋭の男の先生(この方が現役日教組の県委員長)みんな怖かったですよ。よく殴られました。

怒られたくなかったしはたかれたくなかったから、家でも学校でも地域でも、子供心に大人の言う事は聞いてたと思います。

かといって勉強以外は窮屈な思いは特にしてなかったかもしれません。今でも体育の授業で行進の練習をしたり、右向け右、左向け左なんて全員が一糸の乱れも無く出来るまでやらされた事を覚えていますが、それだってやってる最中は熱中してたし、全員で出来た時の達成感は今でも思い出に残っています。

今はそういう授業は個性を消すということでやらないらしいですが、僕らはそういう授業を受けてきましたが、個性的でないのでしょうか?ちょっと理解に苦しみます。

個を重視しすぎてきたという反省は良く聞く言葉ですが、協調性、道徳、らしさといったもののバランスが大事なのでしょう。道徳やしつけは家庭で無いと教えられないでしょうし、協調性は家庭、学校、地域がそれぞれ子供たちに伝えていく心なのでしょう。そのなかでらしさを伸ばしてあげられれば理想なのかと思います。

県では青少年を家庭、学校、地域が一体となって育てて生きましょうということで、県民運動や育成推進活動を展開していますが、そういった活動や運動に参加している人々は大体同じ人で広がりが無いのが残念なところです。核家族、共働きの現代社会で大人も忙しすぎるのかもしれません。

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