ありのままの国際結婚 これからの国際結婚

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わたしの証明 Ⅳ

2014年03月08日 12時06分53秒 | Weblog

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2014年3月 8 No.2543 わたしの証明 Ⅳ

親なし子なし反義なし、金もなければ死にたくもなし。42才の師走、倒産した私は、乞食同然、死ぬにはまだ早い別れた子供たちの成長も見たい。がむしゃらに次の仕事を摸索しました。 

 

わたしの友人にパキスタン大使館一等書記官の息子でムハンマッド・ライースという友人がおりました。岡山県にある(株)林原の広報の仕事をしていて、いろいろな本を書いて出版しています。 例えば外人課長が見たニッポン株式会社 日本人のための外人による日本企業論なんて 

 

ライースいわく、暇があるならいっぺんパキスタンを見てくれ。という事で、1973年6月にパキスタン・カラチ~ラホール~ペシャール~イスラマバード~ラワルピンデイ等を見て廻りました。当時は私のパキスタンの友人の間では、日本の山本五十六海軍大将が尊敬され話題になった事を覚えてます。そしてパキスタンの陸軍は、私も自衛隊当時使った、Mー1ライフルを米陸軍から払い下げられて使用していましたが、 なにか、アメリカのことはいい事は言ってませんでした。

 

私事ですが、高校中退~自衛隊卒なんて男は、一般的には まともに見てくれませんでした。ハッキリ言って、人がしない1ランク下の仕事とかマーケットが小さくて人がしない仕事で、活路を見出すしか生きる方法がないのです。まあ隙間産業とでも申しましょうか。するとパキスタンで発掘され、あまり人が知らないONYXなんかマーケットに流布する仕事なんて面白いと思って、ライースにパキスタンのONYXを企業ベースに乗せましょうと約束した。

倒産した当時、金融機関はなかなか金なんか貸してくれませんが、あの手この手と手品を使い、1000万円の融資を受け、これを元手にして資本金400万円の東京オニックス株式会社を立ち上げ、資本金5000万円まで増資をしました。人のやらない仕事は概ね外れる事が多いのですが、高級ONYX製品はよく売れて笑いが止まりませんでした。隙間産業、私は木漏れ日産業と自嘲していますが、人のやらない仕事はなかなかいけました。

 

ところが1990年頃から始まったバブルの崩壊、こんな あってもなくてもいい、高級商品なんて売れるわけがありません。これからはコストの商売、そこで方向変換、当時、発展途上国の中国から、一次産品(たまねぎ・人参とかアサリ・赤貝等々)に方向変換、ところが取引先の部長達が、私の娘を日本に嫁に行かせたいとの事にヒントを得て、海外国際結婚を始めました。  続きはまたーーー

 

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