談合坂のサービスエリアでラーメンとおにぎりと言う、しっかりした食事を取り、登山用に500CCのペットボトル入りのお茶を二本、キャラメルを購入した石野真琴は、大月市立図書館へ向かった。おおよそ予定した場所にあったのでさっそく駐車場に車を止めると、図書館の中から三浦殿が出て来た。どうやら石野真琴は2番目に到着したらしい、到着は9時25分ぐらいであった。
やがて小典厩殿が到着し、しばらくして征夷大将軍太郎殿が運転する車も到着した。しかしその車には3人しか乗っていない、猛馬飼育係殿の姿が見えないのである。
猛馬飼育係殿は急用とかで参加できなくなったらしい、二日酔いと言う説もある。
すぐに岩殿城に向かいたいところであるが、米屋繁霞殿が来られるのが11時頃と言う事なので、それまで別の場所へ行こうと言う話になっていた。三浦殿の案内で「鬼の杖」を見に行く、何でも岩殿城に住んでいた鬼が投げた杖が突き刺さっているという。確かに変わった石が地面から生えていた。
次に宝林寺と言うお寺に向かう、このお寺には笠原新三郎の妻の墓がある。笠原新三郎と言うのは信濃佐久郡笠原城の城主であった笠原清繁の事で、上野の関東管領上杉家の助力を受けて、武田信玄に従わずに戦った猛将である。しかし、上野からの援軍を武田軍は小田井原で打ち破り、援軍が来ない笠原城は開城した。この時、笠原清重の妻子などの女子供は甲府に送られ、身代金を払ったものだけが佐久郡に戻り、他のものは売られたという。
笠原清繁の妻はたいそう美人で、小山田信有が所望したので、武田信玄から下賜され、この大月、駒橋の屋敷で暮らしていたと言う。この地で亡くなって、その墓がこの宝林寺の塔なのである。
やがて小典厩殿が到着し、しばらくして征夷大将軍太郎殿が運転する車も到着した。しかしその車には3人しか乗っていない、猛馬飼育係殿の姿が見えないのである。
猛馬飼育係殿は急用とかで参加できなくなったらしい、二日酔いと言う説もある。
すぐに岩殿城に向かいたいところであるが、米屋繁霞殿が来られるのが11時頃と言う事なので、それまで別の場所へ行こうと言う話になっていた。三浦殿の案内で「鬼の杖」を見に行く、何でも岩殿城に住んでいた鬼が投げた杖が突き刺さっているという。確かに変わった石が地面から生えていた。
次に宝林寺と言うお寺に向かう、このお寺には笠原新三郎の妻の墓がある。笠原新三郎と言うのは信濃佐久郡笠原城の城主であった笠原清繁の事で、上野の関東管領上杉家の助力を受けて、武田信玄に従わずに戦った猛将である。しかし、上野からの援軍を武田軍は小田井原で打ち破り、援軍が来ない笠原城は開城した。この時、笠原清重の妻子などの女子供は甲府に送られ、身代金を払ったものだけが佐久郡に戻り、他のものは売られたという。
笠原清繁の妻はたいそう美人で、小山田信有が所望したので、武田信玄から下賜され、この大月、駒橋の屋敷で暮らしていたと言う。この地で亡くなって、その墓がこの宝林寺の塔なのである。
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