ふろしき王子功

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横山功のページ

ぴかぴかの河

2008年07月18日 04時39分02秒 | 自然
隅田川はきれいか汚いか。

これを聞かれたら
隅田川を知っている
たいていの人は
汚いと思うだろう。

でも、隅田川はきれいなんだよ。

もし隅田川が汚いならその原因は
荒川との分岐点にある下水処理場から
流す処理水に大量の塩素が含まれているため
殺菌力が強すぎて様々な微生物が死んでしまう
ことや塩素と反応してできる
ダイオキシンなどの発ガン性物質も
増える、というこれは僕の仮説ですが
一つの原因とも考えています。

では何故そのような強い塩素の処理水を
流さなければならないかというと
もともとの下水や生活排水が
大変汚れているから。

今は工場の排水は規制が厳しいので
ある程度浄化してから流されていますが
(もちろんちっとも完璧ではない)
家庭からの排水は
何でもかんでも垂れ流しです。

横浜と神戸の下水が最も汚いというのは
中華街の中華料理店で油をそのまま
流す店が多いからとか。
それ以上に
猛毒のパーマ液、ヘアカラー
(致死量は小さじ1杯ともいいます)
合成洗剤、シャンプー
趣味の染め物の廃液
絵の具の廃液
歯磨き、入浴剤などなど
金魚の水槽に入れたら
即死するようなものばかり
垂れ流しています。

こんな危ない商品を流通させている
ことが信じられないのですが、
何故かというと
馬鹿ではなく無知な消費者が
それでも買ってくれるからです。

無知になるのは、
売り手の企業からは
危険性の情報など
間違っても流さないので
自ら学ぶ姿勢がなければ
自然とそうなります。

そして勉強すれば
代わりになるものや
そもそもの必要性まで
見えてくるでしょう。

初めに何故隅田川がきれいと
いったかというと
隅田川はきれいなのに
人間が毎日継続して
汚し続けているということです。
それをやめればピタリと
きれいになるかも。

1人が台所から、
その下に魚が泳いでいても
大丈夫な水の流し方をすれば
その分川の水につやが出て
きらーん☆と光る。

10人がそうしたら10倍光る。
100人なら100倍。

1万人が、流す水を氣遣ったら
隅田川に東京湾にどれだけの
魚が増えるだろうか。

ここで、台所から流す洗剤などを
他のものに代えたら、
エコなものに代えたら高くて困る
という人もいるでしょう。
それは正常な反応です。

物を物のまま何かに代える
今のものをエコなものに代えるといっても
厳しいこというとたかだか低公害です。
試しにエコといわれる洗剤を
ほんのちょっと水槽にいれたら
ほとんどの商品は魚が死んでしまうでしょう。
エコなんて謳い文句はたいしたことないのです。
そんなものに高いお金を払うのは無知です。

それよりも、目的の目的までさかのぼって考えてみる。
まず洗剤を使う目的は食器をきれいに洗うため。
そして食器をきれいに洗う目的は
食事を衛生的に、見た目も美しく行なうため。

衛生的に、が目的なら熱湯で洗うだけでも
よいかもしれない。
それだけでは油が落ちないなら
・シリコン製のソストスプーンできれいにすくって
 食べてから洗う
・パンで拭いて食べてから洗う
・新聞紙などで拭き取ってから洗う
もっといえば
油を使うのは洋食に多いし
強い油は動物性だから
そういう料理はたまのごちそうとして
美味しくいただくと考えて
日常はもう少し和食を増やしてみるという
方法もあるかもしれない。

面倒かもしれませんが
習慣は慣れてしまうものです。

このように、洗剤をエコ洗剤に代えるという
発想から、そもそもの
洗剤を使う目的を考えてみれば
もっとふさわしい手段を
自分で見つけることができるでしょう。
そういうことに時間を使おう。
テレビはわざと暗いニュースばかり
選んで流す。
暗いニュースを見たがる人間がまだまだ多い。
そういうのは性悪っていうんだ。
誰かの幸せのニュースには嫉妬して
不幸のニュースで安心する。
そんなことに大切な命の時間を費やしていないで
もっとつやつやと有意義に生きるべし!
自分が輝けば現れる
女神(あるいは王子)に
恋をするんだ。
今すぐ逢いに行こう♪
老若男女問いません。

本来上流から流れ続けている
隅田川はきれいなわけなのに
人間が毎日汚し続けているのは
ものの考え方が
もののレベルだからです。

物に頼りすぎている生活だから
もしかして必要のないものまで
じゃんじゃん使って、
環境や家計を苦しめているのかも。
世の中はまだ物をたくさん売ろう売ろうとして
さも必要であるように宣伝するのだから
そういう心理学にひっかかるのは
素直なのはよいけど
知らずに被害者にも加害者にもなるから
やはり人はもっと勉強するべきです。
一生勉強っ☆

勉強といっても
ただ図書館に行って
それらしい本を読みあさって
分かった氣になるという形ではなく

無条件の微笑みから生み出される
言葉と行動、アイデアを
実行、トライ&エラーを繰り返しては
必要なことを調べ
智慧と工夫を重ねて
笑顔を忘れずに
続けていれば、必ず
ふさわしいご縁と情報と
サポートが入るもの。

勉強とは分からないことを
批判や知ったふり、
見て見ぬふりをすることから、
分からないことは分からないと認めて
知的保留をし
分かるように探求すること。

それほどの覚悟が
複雑な「学」の旧字体「學」
上の「臼」は先祖が両手で守っていて
中の2つのメは色んなことが交じり合って
つながって理解につながる様子。
そんなワかんむり(家)の中で
子が學んでいる。
現在の単純な「学」は
3つのちょん
1.インターネットで検索して
2.コピーして
3.ペースト
そんな浅はかな学びを
表しているようにも見える。

勉強して、分からないことも
言葉だけは頭に入れておけば
いつか分かる時がくる。
専門分野のみならず
全体を把握すれば
自分の専門が全体の中の
どの部品なのかを知ることができる。
幅広く勉強する中で
「學」の中のメのように
何かと何かが交じり合って
ある日微笑みにつられて
答えが出てくるでしょう。

今の生活を変えるのは大変だし
家族が理解しないという方も
いらっしゃるでしょう。

でも、自分だけで貢献できることがあるんだ。
それもちょっとした簡単なことが。
必要ないことをしないだけでいいんだ。
それは人生そのものの問題。

いつか死ぬ時に
今まで自分がやってきたことは
自分の本当の思いを無視して
幻想の不安を解消するための
むなしい仕打ちに過ぎなかった。
と思わないように
いつでも謙虚に生き直そう。

僕はいつか透明度宇宙一の
隅田川で泳ぎたい。


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4 コメント

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四股名 (サンディー)
2008-07-18 13:47:11
現在の大相撲の幕内力士の四股名に川が付いた力士が一人もいない。十両にもいない。昔は沢山いたように思います。
空と山、海の四股名の付いた力士はいます。
渥美清のフーテンの寅さんよりも前の作品「泣いてたまるか」
と言う番組を観るのが好きでした。
空が泣いたら、雨になる、山が泣くときゃ、水が出る
海は涙の貯金箱、川は涙の通り道・・・・・

天(空)、山、川、海が゛セットになって自然界は上手く循環しているんだなと子供心に思って歌っていた「泣いてたまるか」の歌詞でした。
現在では川が汚れていて力士がイメージダウンになり付けたがらないらしい。残念なことです。

隅田川のあるところに滝廉太郎の「花」の歌碑があるようですね。毎年春になるとその場所で「花」を歌う会なるものがあるようで自然の流れをみんなで共有しているんだなとネット上ではありますが、拝見しています。今年の桜はいかがでしたでょうか。
返信する
ありがとうございます。 ()
2008-07-18 13:55:29
そうなんですね。
ぜひ力士で○○川という名前が
増えるように
これからも地道にたんたんと
環境蘇生運動を続けていきます。

桜は毎年きれいですよ。
人々も喜んで集まりますが
後には膨大なゴミの山が。
上野公園もそうです。

集団になると
人は獣のように
心をなくしてしまいます。

それでも負けずにがんばっている
孤高の虹の天使たちを
同士として僕は探し求めています。

闇の世界を灯す
一筋の光になるべき人は
表面ではなく目を見れば分かります。

いつも書き込みありがとうございます♪
返信する
朧月夜 (サンディー)
2008-07-19 07:49:45
この春、縁あって37年ぶりに東京に足を運んだと以前書き込みました。実は上手くはありませんが、指笛なるものを吹いてこの道43年になります。皇居外苑で東京に勤務している先生の指導を仰ぐ傍ら一曲朧月夜吹きました。4月16日は外苑の桜もよく咲いていて心地よく吹けました。
確かあくる日は春の園遊会があった日でその日でなくてよかった。ひょっとして不審者扱いをされたかも知れません。

東京には、口笛奏者、指笛奏者、ハンドフルートの方と多彩で掲示版にはよく書き込みをしています。煙たがられているかもしれませんが。

隅田川の件も指笛関連です。そのグループの人達はごみを回収することはあっても捨てることはまずないとおもいます。ごみを捨ててなんとも思わない人には「花」は歌えません。歌はまずこころです。

明治から大正にかけてこの国の愛唱歌、童謡なるものは、その当時の国文学者、作詞家、作曲家等を総動員して殆どの名曲は、その時期にできあがっているのに驚かされます。

私は、年に数回ボランティアでライブを楽しんでいます。
主な曲は童謡、唱歌等余り手の込んだ難しい曲ではありませんが、吹いています。

最初の曲は、いつも「ふるさと」に決めています。もう何千回吹いたでしょうか。

3番の歌詞は”山は青きふるさと 水は清きふるさと”でおわりますが、敬老会等で吹くと大変懐かしく思われ涙する人もおられます。
ふるさとは大正3年の作品のようですが当時と現代を比較すると自然は見る影もなく変貌を遂げているようです。

2日前に急用で広島に帰省したとき学校がまだ夏休みにも入っていないのに蝉の蜩がないていた。いつも夏休みの宿
題をする頃に鳴く蝉だと思っていたんですが・・・

それにしても日本の名曲が時代にマッチしなくなり義務教育の音楽の教科書からどんどん消えて行くことは寂しいかぎりです。
返信する
いつもありがとうございます。 (いさお)
2008-07-19 11:18:00
僕も童謡
そして民謡が好きなので
もっともっとテレビで
やってほしいなと思っています。

太鼓を叩くのも好きです。

童謡の似合う國にまたなっていくでしょう。
童話の里と呼ばれる
大分県の玖珠町に

僕が仕事にしている
地球環境蘇生運動の
研修センター「元氣の家」があります。
そこから環境を蘇生させるお水を流しているので
一帯はホタルやメダカの天國に
なっているようです。

興味ありましたら遊びに行って
環境蘇生について体験しながら学ぶことができます。
STS研修センター 元氣の家
大分県玖珠郡玖珠町大字塚脇428番地の1
tel 0973-72-6116
定休日 月火祝
ご予約ください。
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