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極刑は当然

2008年04月25日 | 日常の戯言
今更だけど山口県光市母子殺害事件について、9年の歳月を経てやっと「死刑」判決が出た時に、本村さん家族とは全く縁もゆかりもない人間だけど、安堵の涙が出た。
この裁判、本当に途中から一体どうしたんだ?!というぐらい馬鹿馬鹿しい展開になって、ただでさえ妻と娘を失った苦しみと悲しみでいっぱいの本村さんを、これでもかこれでもかと、更にその傷をえぐっていく弁護団に、本当に怒りでいっぱいになりました。この国の裁判はいったいどうなってんだと。「死刑」反対を訴える気持ちはわかります。死刑というのは人が人を殺す、結果として殺人犯と同じ行為をしてしまうわけですから、真っ当な人間なら率先してそんなことをしたくないと思うのは当然のこと。でもこの国には終身刑がない。死刑の次に重いのは名ばかり「無期」と付いた懲役刑。当然、拷問刑なんてのもない。死刑を免れれば、あとは刑務所で大人しく良い子にしていれば、あっという間にお外に出られる。もちろん、彼らのプライバシーは護られ、就職も斡旋してくれちゃうし、家も与えてくれちゃう。周りの住民には情報は与えられない。運が悪ければ再犯も起きる。
先日も自分の目を疑ったのだが、最近できた刑務所では、囚人達が談笑しながらTV観たり、なんとも優雅な生活をしているそうだ。今、家を失っている人も多いこの世の中、衣食住に困らないこんな優雅な刑務所があるのなら、誰だって入りたくなるではないか。

何故、こんなに加害者が護られているのだろうか。今回の光市の事件にしても、加害者は犯行当時未成年であったために実名は公表されていない。その後、成人したのだから堂々名前を公表すべきであると思うのだが。
そして驚くのは未成年だから、少年だから、今回の刑は重すぎると意見している人も多いことだ。この10年ぐらい、未成年の残酷な事件が多く後を絶たないのは、何故か。彼らは自分達がどんなことをしても、相応の裁きを受けずに済むとわかっているからだ。もちろん、中には自分の犯した罪を理解し、嘆き、苦しみ、更正できる者も居るだろう。でも皆が皆、そうではないのだ。
だからやはり例え未成年であっても、更正の余地のないような犯罪者であった場合には極刑が必要なのだ。頭や身体が未熟だからなんて関係ない。そういうのは年齢という量りで線引きできないんだから。そして死刑がまだまだ必要なのは、今の日本には、生きて一生、加害者が自分の罪に苦しむような生き地獄的な刑が無いからだ。死刑廃止よりも先に、死刑に匹敵するかそれ以上に生きて苦しみながら罪を償えるような刑を作らなければ、結果、死刑廃止論は犯罪者の思うツボになるだけと思うのは私だけだろうか…。今回の元少年についた弁護団は死刑廃止論の先駆けにいるらしいが、まるで本村氏が加害者で少年のほうが被害者であるかのような庇い方をしていたので、本当に寒気がした。

たとえ加害者を100回殺したって、失った大事な人は二度と帰ってこない。被害者の家族やその友人達は一生悲しみを背負って、それが癒えることはないのだ。だから彼らがこれ以上悲しみを増やすことのないような判決を裁判で下すべき。それが被害者達を救う僅かな望みだと思う。
そして今後裁判員制度が始まれば、誰しもがそういうことに否でも対面していくわけで、今の法や犯罪について、他人事ではなく考えていかなくちゃいけないんだなと感じました。


「磯谷利恵さんの事件に関する署名活動」
http://www2.odn.ne.jp/rie_isogai/
今回の件について、ネットで巡っていて見つけたひとつ。昨年の夏、闇サイトが起こした悪しき犯罪。殺された女性は私と同年代だ。本当に胸が痛い。
しかし事件の内容とは裏腹に、下されるであろうと言われている刑罰のなんと軽いこと。本当にこれで、この先犯罪は減少していくのだろうか。死刑廃止を訴える前にまず犯罪を減らす世の中を作ることが大事なのではないか。そのためには犯罪を犯せば、奪ったもの以上に、一生取り返しのつかないものが跳ね返ってくるという、当然の結果を作るべき。
私はこのご家族の運動に微力ながら参加したいと思います。
自分たちの生活環境を護るためにも。

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